内子町町並み | 鬼城

内子町町並み

2016.09.01.Thu.15:00
内子町町並み

古い町並みが残っている街・・・
きれいに整備され観光の名所となっている。
小京都でもある。

内子1
工夫

灯籠、松、街道沿いの雰囲気
内子は七夕祭りでも有名である。

内子2

和蝋燭

ハゼより手作りで作っている昔ながらの手作業・・・
店も雰囲気がしっかり出ている。

内子3

説明

店の方が出てこられ、歴史や作業内容に関して説明していただく。
和蝋燭購入!

内子4

内子座

歌舞伎小屋
せり出しや花道など整備され、歌舞伎の公演もできる。
大正時代の建設とか?
最近では玉三郎の公演がされている。

内子5

看板

演目、役者絵など入り口に飾ってある。
雰囲気があり、歌舞伎も見てみたい。

内子6
コメント
 暑い中、訪問いただきありがとうございました。
 当時木蝋生産は、全国の7~8割を占めていたとか。芳我一族は、かなりの羽振りだったようです。その中には、海軍兵学校を卒業後、戦艦大和に士官として乗り込み最後の決戦の時、家族を見なければならないというので下船した方がいました。戦後、中学校の数学の教員になり、中学2年生の時に指導を受けました。1m90cmくらいある大きな先生だったのですが、繊細で生徒思いの教員でした。一度、ビンタを受けましたが・・・。(私が悪かったのですがね・・・。)
 内子座は、取り壊すことになり荒れ放題になっていた頃、雨になると中に入って走り回っていました。奈落に入り、回り舞台を動かしたりして遊びました。今から50年ほど前の話です。
 9月15日&16日に、内子町並観月会が行われます。竹灯籠や琴の演奏などがあります。是非、奥様と行かれてはいかがですか。
syoryuで~す。 様
いやしの南予博の「にゃんよ」のFacebookの表紙になっていました。「卯のほたる」がなくなったので一人舞台です。頑張ってほしいですね。木蝋、手触りから違いますね。現在のろうそくというのが、間違いだと思います。芳賀一族ですね。内子座、壊さなくて良かったですね。壊して何も残っていない街とは大違いです。
 町並み散策も、内子座も、見学したことがありますが、何かしらリピートしたくなる体験講座があると良いなと感じました。子供の頃、ハゼの実を集めてガキ大将の指導の下、ろうそく作りに挑戦しましたが、失敗に終わった経験があります。1度成功したいものです。
内子へゆかれたのですね。
私は、この町に早くから興味を抱いていて、宇和島の行きかえりに何度立寄ったことか。最初は内子座など廃屋同然でしたし、あの通りも雑然としていました。それをこれまでに仕上げるには大変だったと思います。
ちょうど松丸や吉野が内子のような状態で、松野の古川町長とはなんども内子と対比しながら話したものです。私は厚かましく松野まで出かけて町おこしの講演をしたことまでありました。夢のような話です。あの内子の木蝋やさんの器具も松野にあったのをお譲りしたと古川町長に承ったことがありました。
芝居小屋だって、吉野にも松丸にもあったことなど、もうとっくにお忘れでしょう。
歴史を大切にしないと、街そのものが消えます。今に、吉田や岩松も消えますよ。吉田にも沢山の文人が来ました。岩松などは獅子文六が名作を沢山残してくれました。いまの若者たちに胸を張ってその話ができますか?
 夏ふかき岩松川の岸辺には河原撫子ありやあらずや
 そのかみの古りし屋敷を懐かしみ吉田のまちに幾夜寝にけむ
これは吉井勇の歌の一部。
内子座で歌舞伎?
内子座には何度か行ったことがあり、奈落にも入ったことがあります。芝居などの演芸を見たことはありません。琴平金丸座は毎年歌舞伎を見に行っています。内子座で歌舞伎があれば行くのですが、歌舞伎ありますか?
tentijin 様
ものづくり、何でもやっているんですね。内子の町並み、久しぶりでしたが・・・暑いときは避けたいですね(苦笑)しかし、観光バスがやって来ました。魅力があるんでしょう・・・駐車場も整備されています。
木下博民 様
言われるとおり、残さねばならないものを考えねば成りません。吉田には伏見御殿の一部を使った民家があります。崩れ掛けで、いづれ壊されるでしょう。市の方に相談があったそうですが、一部ではと・・・いずれなくなるでしょう。岩松、吉田も宇和島市なんですが、どれだけ興味を示すか?行政には先生のようなブレインが必要ですね。
うわつ 様
不定期にやっているようです。金丸座のように定期的には無理でしょう。歌舞伎を受けるのは、莫大な予算を伴いますから、補助金が付いたときにという感じでしょう。歌舞伎を見るならやはり、施設が要ります。南文とか姫銀ホールではつや消しです。新歌舞伎座に行ったことが無いので、行きたいですね。
私も内子は何度か訪ねましたが、飽きが来ない街だと思います。山仲間がボランティアのガイドをしていて、一度、案内してもらいましたが、よく勉強しているな~と感心するとともに充実の観光ができました。
 内子の蝋燭と燭台を買いましたが、風情があります。
 tentijinさんのコメントでもしやと思ったことが。同級生の超ガネスのTUYOSI君が小学校2・3年の頃、すっごく、はぜにかぶれて登校した記憶が今も鮮明に残っています。子分として手伝った結果では?
吉野の食いしんぼう 様
昔は今したようね。ハゼにかぶれ、顔が腫れ上がっている子が・・・燭台は気がつかなかった。人のネットワークは繋がる物ですね。しかし、努力しないと広がりません。さあ、出かけようという気が無ければ!
鬼城さん
九島に小学校も無くなり、この島の教育風土はこれからどうなるのでしょうかね。
島の人々は「住居環境」をどう考えているのでしょう。
住居環境はまず祖神・自然神を祀る場+住民の集会場があって、教育環境が熟成し、その住民の矜持が生まれるものです。
ことごとに「隣の芝生的発想」でものを考える風土になったら、100年も経たないうちにその「場」は消滅するでしょう。
宇和島の街そのものもこの200年くらいの間に格段に、海を埋め立てて面積は広くなりましたが、人口密度は大きく低下しています。その解決策を若い人びとはどう考えておられますか?
九島の小学校跡地、九島で真剣に検討しておられますか?
大浦に魚市場を移転させる計画があるようですが、陸上げされた魚介類を奥地へ運ぶ道路は十分なのですか? 見返橋の下流にさらに橋をかけるという話もあるようですが、現在の魚市場のあるところは「産業道路」と称する鉄道駅とをつなぐ広い道路が昭和のはじめにすでに計画されていました。私はその港湾計画の話を小学校6年の学芸会で話したことがあり、よく覚えています。ことどとさように、昔は子供でも郷土の将来計画に関心がありました。
九島に橋をかければドンドン環境がかわりますが、次々と先手先手の計画がほしいものですね。
木下博民 様
古き良き時代の写真を探して織られる方がいます。今となっては遅いと言わざるを得ません。堀を大手門を復元などと言うのは夢のまた夢ですね。さて九島、活用などは考えていないようです。島民は昔から島への愛着が強いところですから便利さを考えます。小学校も少人数で学校の躰をなさなくなっている現状ですから合併賛成でしょう。子どもはある程度の人数の中で育てねばなりません。ここ数年で10校ほど閉校になりました。跡地利用はどこもやっていません。具体策が無いのが現状です。さて計画は何処が立てるのでしょう?

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