パークス来航150年 | 鬼城

パークス来航150年

2016.08.13.Sat.09:36
樺崎砲台跡

ほんとに跡である。海に面していたはずなのに、埋め立てで陸地に・・・
探さねばわかりにくい場所である。
復元されているが、コンクリートはいただけない。

樺崎1
旧フェリー乗り場から戎山を望む

高野長英、村田蔵六が宇和島に来ていた頃の宇和島藩の海の防御設計・・・
宇和島湾に侵入してきた外国船を戎山と樺崎から十字砲火をあびせるというものだった。
戎山砲台跡は九島大橋の袂辺りと聞いていたが、このたび特定できた。
柚山俊夫先生が九島の遠見場とともに調査されていた。
赤い灯台の根元である。
段々畑のところでその上に玉蔵も記録に残っている。

 樺崎2

宇和島港

昔のフェリー乗り場のイメージにほど遠いが、えひめ丸が停泊していた。

樺崎3

歴史資料館

昔、在った場所はここでは無いが、移設されている。
当時の洋館としての歴史的価値がある。

樺崎4

戎山

宇和島湾を自転車で一回り・・・汗が!
この場所の手前の方に進むと戎神社、九島大橋である。
パークスがサラミスで来たとき、この地に接岸し、上陸した地点でもある。

戎山1

樺崎方面

当時の面影は無い。
 徳洲会病院が・・・住吉山が・・・目印。

戎山2

戎山砲台跡

山際に寄って見たが、当時の石垣とか、跡地と分かるものは無い。
ただ雑草のみ、しげっている。
ここの地は民間の人の所有地だと聞いている。

戎山3

赤松遊園地

ふと眼をやると覗き岩が見えた。
子供の頃、夏休みになると毎日のように泳ぎに行っていた海水浴場である。
映画「海すずめ」の雀ちゃんの自宅の撮影場所。
荒れ果てて、当時の面影はない。

戎山4

砲台位置特定

現在の地図に書き込んだ。
戎ヶ鼻と深浦の中間点辺りに「プリンセスロイヤル号」が停泊したとされる。
ちなみに旗艦「プリンセスロイヤル号」は3,000t・・・
パークスが乗っていた「サラミス号」は800t、調査船「サーペント号」も800tである。

地図




コメント
先日の時間をかけて丁寧に説明、案内頂いた博物館。結女さんと伊達家の歴史と遺産に「すごいね~」を車中でも連発して帰りました。
 当然、パークス来航の事も未知の世界だったのですが、模型も見せて頂き、今まで何気なく見ていたこの風景にも歴史が残っているのだと思いました。
 子供の頃、やっと従兄たちと連れて行ってもらった憧れの「赤松遊園地」あの日は子供たちでごった返していたのですが・・・・。
 なるほど人知れず研究をされている方がおられるのですね。研究をされている方の成果を、伊達博が発表してあげるというのも大変意義あることではないでしょうか。
 9月10日からの「海、遙か」の展示が楽しみです。また、講演会も興味をそそられますね~。
懐かしさ!
吉野の食いしんぼう 様
昨日来た人は「公園」にならないかというものでした。聞くところによると建物は崩れかけ・・・トイレも悲惨!当時の面影はありません。
宇和島はこれからどのようにして発展していくかのビジョンが大事ですね。他地域と同じようなことをやっていったのでは、先が見えています。歴史はその土地にしかないもの、大事にする必要があります。
 素人考えながら、歴史の足跡、調査検証されている鬼城様の力で、ぜひとも明らかにし、残していただけると、後々意義あるものがつながっていくように思います。頑張ってください。
イギリス駐日公使パークスは、中国から赴任するといの一番に訪ねた四国の大名といえば宇和島伊達でした。この理由を十分に検討し、パークスは宇和島の何処に惹かれたのか? パークスは最初に宇和島を選んだことによって、明治初期の日本文化の発展が極端に早くなったことを考えてほしいと思います。
パークスは、それまで日本も中国同様武力の勝負だと思っていたようですが、宇和島人の温和な応対を見て、ガラリと態度をかえたのです。

昭和初期、覗き岩のある赤松遊園地は宇和島の一大行楽地でした。経営しておられたのは宇和島運輸株式会社で、わたしは商業学校の1,2年の夏(昭和10~11年)、この会社の総務課の給仕に雇われたことがありましたので、印象的ですが、戦後、個人の方がご自分の保養地として島を買取られたことを直接ご本人から承ったことがありました。宇和島市にここを活用しようなどという気概はないでしょう。

歴史資料館は明治の中頃広小路にできた警察署の玄関で、戦後、一時、南郡の役場に移築されたことがありましたが、役場を改築するときに再びここに移したのです。中野逍遥の詩に詠われている豪華な警察署の今日の姿です。
とにかく、宇和島には歴史遺構はありますが、いずれも十分活用しているとはいえません。宝の持ち腐れってところでしょうか。
準備万端!
笑隆で~す。様
高校の先生方が研修されているようですね。昔は城北中、和霊小などは、チームで研究されていたようです。それだけ暇が無いんですね。一昨日、木村氏が帰省され、開展式など詳細の打ち合わせが終わりました。印刷物なども完了・・・あとは、実施在るのみです。講演会も是非・・・
復元
tentijin 様
本来なら戎山砲台跡も復元したいのですが・・・土地購入など課題も多く難しいのが現状です。石灰図は伊達家がお持ちです。何とかならない者か?
パークス展準備完了
木下博民 様
見るべきところが散らばっている。そして宿泊する魅力が無いところでしょう。観光客が伸びているのは、新居浜、今治、松山ですね。南予は忘れ去られています。
パークスの展示会、準備が整いました。図録も発注しましたので9月10日以降にお届けします。跡のイベントに関しては分かりませんが、スピーチコンテストが南文で19日開催されるようですね。大使館との交渉は止めたそうです。実行委員会が開かれないので人伝です。
パークスの件は尚古集成館長さん、近藤先生の講演で明らになるでしょう。9月24日生涯学習センターで開催です。
似ている
樺崎砲台跡も今は海から遠くなりました。歴史資料館も訪れる人は少なく歴史から忘れられているようです。私が行くのはアンズが咲く頃だけです。そのアンズの木も手入れされていないのか年々少なくなっています。雑木は逞しく育ちますが、交流の証のため頂いた木や植えた木は、手入れ管理しないと枯れてしまいます。枯れてから慌てて植え直してもダメですね(笑)歴史も似たところがあるようにおもいます。
うわつ 様
全く同感!湯治頂いた杏、三浦にあるのは雑草の中で虫だらけ・・・かろうじて天赦園と伊達博物館にあります。樺崎も何とかならないものか?K氏が怒るはずです。歴史を大事にしている街は活気がありますね。新しい物をいくら作っても魂が無ければ、無用の長物です。
昔の真似をしろというわけではありませんが、昭和初期まで宇和島は「関西の奥座敷」といって賑やかでした。当時は今治や新居浜はなぜか人口の増えない田舎町でした。
宇和島人にこれからを乗り越える智慧がないのです。なにかというとイベント屋に頼りますね。そこから脱出しなければ。
極端なことをいってご免なさい。どんどん人口が減ってはそういわれてもやむをえません。
木下博民 様
日本全国、同じ悩みを抱えています。先日、ある議員さんと話機会がありました。来年は市長選、議員選だけれども自分が票を入れるのは「具体策のある人」に入れると宣言しました。先生に言われている人口増のために何をするのかがマニュフェストですね。抽象的なことは、あほでも言えます。具体策なんですね。
確実な情報では、九島架橋によって宇和島に出ていた人が帰ってきたということ。また九島出身の方が、九島に家を新築中とのこと。過去になかったことですね。すこしづつやらねばなりません。

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