伊吹八幡神社 | 鬼城

伊吹八幡神社

2016.07.08.Fri.17:00
八幡様

宇和島市の北側に位置する八幡神社・・・
境内には樹齢約800年と推定される国指定天然記念物の2本のイブキがある。
源義経が伊予守補任のとき社殿を造営した。
家臣鈴木重家に命じて庭に植えさせたものといわれる。


八幡様0
八幡神社日記

代々の宮司さんの日記が残っている。
閲覧するため訪問したが、あまりにも多すぎて目的が達成できない。
別の日にゆっくりと見るようお願いし、帰ってきた。

八幡様1

参道

川の向こうまであったといわれているが、現宮司さんはわからないとのことだった。
この渡辺家は松野河後森城の城主渡辺教忠の御子孫とか・・・

八幡様2

国の天然記念物「伊吹」

拝殿の左右にある。
右側の幹の方が大きい。

八幡様3

拝殿

八幡神社由来 幕末維新の暗号より

 稲荷、八幡、八坂、明神、金比羅、日吉、諏訪、春日、熊野、白山、天神、住吉など神社には系列がある。
その数、全国におよそ8万。
一番多いのは稲荷神社だ。
文字通り、稲の豊作を願ったのがはじまりらしく、それから商売の守護神となって商店街や会社でもてはやされるようになる。
その気軽さから日本国中「お稲荷さん」は引っ張りだこだ。
 庶民的な稲荷神社に続いて多いのは、重々しい八幡神社である。
 呼び方は「やはた」あるいは「はちまん」どちらでもかまわない。
全国にある神社のざっと三割が八幡神社で、約2万5千社といわれている。
 八幡神社は、祭神が応神天皇であることから、もともとは皇室の守り神である。
1063年、八幡神社にちょっとした異変が起こる。
 源頼義が俺だっていいだろうと源氏の「氏神」として、鎌倉の鶴岡八幡宮を創建した。
 「氏神」というのは「氏」すなわち一族繁栄のための神だ。
 もちろん源頼義は皇室の血を引いているものの、れっきとした武家である。
 すなわち、この時点で、八幡神社は「武家の守護神」にもなったのだ。
 他の武士たちもそれを見習い、自分の領地に建てはじめる。
それ以降、「八幡神社」は公家と武家の二股、すっかり公武合体的雰囲気を醸し出す神社として定着することになる。


八幡様4

1200年の年輪

木の勢いはあるものの、老木であるため管理は大変である。
枝分かれのところなどに銅板で水の神道を防ぐ処置もされている。

八幡様5



コメント
No title
 文化財を担当していた時、何度か確認に行ったことがありました。台風の風の影響で枝が折れて、文化財解除にするかどうかでした。
 趣のある参道の感じが良く出ていますね。その参道は、川向こうまで通じていたのですか・・・?
No title
 これは、写真から察するところ、須賀川のほとり、短大の川向こうの神社でしょうか?八幡神社の歴史的なお話、恐れ入ります。私には、目から鱗です。
今度「八幡神社」について出版します。
表題は「八幡神万華鏡(やわたのおおかみまんげきょう)」です。八幡神と日本の歴史を私なりに書きました。私は八幡」は、はじめ「やわた」といったでしょう。勿論、渡来人の祖神で、のちに応神天皇と習合し、やがて大仏建立で提供した情報(神のお告げ)からいちやく都城守護神となり、河内源氏が氏神としたことによって、武士層とともに全国的な神になります。
もちろん伊吹八幡についても触れています。
ご期待ください。
No title
叔母の家が近くにあり、ここは墓参りの往復時に通ります。何気なく通っていたけれど次回から注目度が違ってきそうです。
 叔母の家の住所は伊吹町ですがこの伊吹の木が関連しているのでしょうか?
またひとつ、博学に
伊吹の木、覚えました。
ゲーム「信長の野望」に登場する人物ですね。たぶん神主は高校時代の国語の先生だったかも・・・書道部に入れ入れと誘っていただいた記憶があります。黒板に書く字は、男性が書いたとは思えないくらい綺麗で柔らかなタッチの筆圧でした。
一番古い歴史の神社
syoryuで~す。様
昔から面白いと感じていました。昨年この神社の奉納刀を見る機会がありました。来年も出陳して頂きたくの訪問もかねて・・・参道は短大前辺りまであったと聞いています。最近は神様のお祭りなど廃れてきています。宗教に関することですが、寂しい限りですね。 
その通り
tentijin 様
昔は鬼北に行く道筋の川側ですね。須賀川ダムの下流域になります。八幡河原と言い、弘法大師に水をあげなかったところから、川が涸れ石ころだらけになったという伝説もあります。真実は伏流水だとのこと。今では須賀川ダムでなお一層、水流は少ないですね。
前々から・・・
木下博民 様
前々から書かれていることは知っていました。脱稿されたのですね。期待しています。南無八幡大菩薩などという武士の祈りなどもここから来ているんでしょうね。若い宮司さんとお話をしばらくしました。八幡信仰も時代の流れか、少なくなってきていると・・・
はい!
吉野の食いしんぼう 様
地元の人は「伊吹八幡神社」といいます。樹齢800年と言われている古木、美事な物です。お寺さんは東禅寺?ここのお寺も臨済宗妙心寺派ですから伊達家ゆかりの寺ですね。ここの河原は武左衛門一揆の集合場所です。吉田藩の安道様が切腹した地ですね。
渡辺先生・・・
結女 様
今は引退され、息子さんが宮司を務めておられます。なにしろ古い時代からの家柄ですから、歴史をひもとくにはお話を聞きに行かねば成りません。綺麗な文字を書かれますから古文書なども読み解かれるのだと思います。
先祖は可後森城の城主だったそうですから、松野町とは切っても切れない関係ですね。
八幡河原
八幡様とか伊吹八幡とか言うそうですが、八幡河原という印象があります。
たしか?吉田藩紙騒動の時八幡河原にて吉田藩家老安藤儀太夫は割腹、騒動を起こした武左衛門らは捕まって斬首され武左衛門一揆は終結したという。
他にも戦後八幡河原に博徒らが集結したらしいが、事件になったのか真偽のほどは分からない。八幡河原は現在の神社前の河原とは違うかも知れないけどね。
吉田藩の百姓一揆と八幡川原
拙著「岡本家の矜持」にこの事件の詳細は詳しく書いておきました。吉田藩お殆ど全村の百姓がどういんした一揆で、その計画から成功度満点の一揆ですが、後日、軽率な百姓の言葉から首謀者が判ったという一揆です。
これを研究されたら、いかに大衆を指導することが難しいか、よくわかります。ちょうど参議院選挙当日ですから、言葉一つが大勢を思わぬ方向へ流れるか、EU離脱の英国の後悔は繰り返したくありませんね。
八幡河原
うわつ 様
その通り!よく覚えています。まだまだ惚けてはいない。(笑い)鋭い記憶です。博渡の件は忘れていました。校区は違っていたけれど、記憶にある歴史ある神社ですね。
言われるとおり
木下博民 様
歴史は繰り返すとよく言われますが、まさに当を得ている。武左衛門一揆も謎の部分が多いと聞きます。いろんな方々の記録や考えを見てみたいですね。時間があるときにでも読んでみたいと思っています。さしむき、現在は和霊信仰・・・先生の「武四郎」もう10回ほど読ませて頂いています。
和霊信仰を広めたのは四国遍路でしょうね。
封建時代は神仏習合の時代で、たまたま宇和島城下には札所がなかった。あるのは九島の観自在寺奥の院願成寺(鯨大使)だけ、やむなく遍路の盛んになった元禄期に元結掛に札所を移した程度、だから宇和島城下近くの参拝場所に和霊神社は好適だった。殆どの当時の遍路案内には和霊k神社が出ているほどです。
村候
木下博民 様
時を同じく、和霊信仰のきっかけを作った殿様、村候がいます。この時代に合わせるかのように四国遍路ブームが起きています。伊達家の祀り上げることと遍路の御利益が一体化したのでしょう。坂本家(才谷屋」もこのころ隆盛を極めています。そのため山を買い、合資株を買い、和霊神社を勧請しています。先日の訪問で分かったことです。
No title
村候とその時の家老櫻田の努力です。その桜田の先祖が清兵衛殺しの張本人のように描かれた後世の作家はなんともわからない。しかもいまでもこの創作を本気にしている宇和島の古老話は、ここらではっきりを改めたいもの。張本人は秀宗で、守護神として崇める仕掛けをしたのは、村候と櫻田家老であるとこの際認識してほしいもの。怨霊神には強い霊力があると日本人は信じてきました。
私の今度の手術にも、和霊神社にご祈祷いただき、お札を送ってもらいました。多謝。
和霊信仰
木下博民 様
庶民の不信感を払拭する意味で、村候の功績は大きいと思います。秀宗はたたりを恐れ、児玉神社を祭った。2代宗利は仙台からの上意討ちとたたりに関する手紙が・・・3代、4代の時の記録が無い。これも不思議です。法円寺の寺記録もこの頃は無住とのこと。さて・・・?

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