檮原三島神社 | 鬼城

檮原三島神社

2016.06.27.Mon.15:00
御幸橋

立派な鳥居をくぐり、御幸橋を渡って参拝する。
この三島神社は伊予の三島神社を勧請したとされる。
この御幸橋は、檮原の木材を使って架けている。
下には四万十の源流が・・・

檮原三島神社2
神の森

何処の神社も森に囲まれている。
この神社には樹齢400年の朝鮮松(ハリモミ)がある。

檮原三島神社1

檮原

この町は平成の大合併の時、他町村と合併しなかった。
それ以降、財政難ではあるが、独自の工夫で町運営を行っている。
町民の自覚もあるのか、街は綺麗で自然も豊かである。
毎年行われている「よさこい踊り」の檮原の連は有名である。
つまり結束力があることに他ならない。


檮原三島神社5

奥四万十

このようなネーミングだそうだが、まだまだ上流がある。
しかし、水は澄み景色に溶け込んでいる。

檮原三島神社3

拝殿

厳かな雰囲気の社である。
本殿は1803年築、拝殿は1890年に再建された。
祭神は大山祗命、雷神・・・

檮原三島神社4

竜馬脱藩の道

本殿に向かって左手に山道が・・・
檮原の脱藩者や竜馬が超えた韮が峠は、この道をたどる。峠を越えると伊予国・・・

檮原三島神社6
コメント
No title
 今日も、大野ヶ原の帰り檮原経由で帰りました。いつもも横目で見ながら「屋根付きで立派な神社だ。」と思いながら通っています。
 今回は、コメントがないので詳細が分かりませんね。
<(_ _)>
予約投稿にしていましたが、昼寝をし寝過ごして内容記述が遅れました。疲れがどっと出た感じで・・・一眠りしたので頭はすっきり・・・
それにしても、毎日よく動きますね。大野ヶ原は檮原から・・・?それとも野村でしょうか?昔、鬼北の亡くなったI校長が最後は大野ヶ原小学校でと言ったことを思い出しました。
脱藩の道
三島神社の上に吉祥寺があり、寺の横に脱藩の道があります。春になると桜が咲きます。韮が峠~泉ヶ峠~五十崎~長浜ですが吉村寅太郎は韮が峠を通らず九十九曲がり峠から宇和島藩に入ったようですね。
静寂の町
宇和島からどこの道を通って時間はどのくらいかかりますか?
よく皆様のブログ上に登場しますね。
ゆったりと時が流れ、静寂の世界へ・・・
ちょっと私には、遠い世界のような感じですね。でも心癒やされています。
さすが・・・
うわつ 様
やはり詳しいですね。笑隆で~す。さんが、良いところがありますよと言っても、あそこは、この時期よりと返事が返ってくる。驚いていました。南予の脱藩カメラマンですね。(爆)歩いてみたいような気もします。まずは車で・・・
時間
結女 様
帰省されていたんですね。食いしん坊さん初め、ご友人の方々とおしゃべりで吉野生街に花が咲いたことでしょう。宇和島から50分くらいかな?松野なら40分程度で行くことが出来ると思います。この町は、補助金を使うことが日本一うまいといいます。活性化しています。そして書いているように空気もうまいし、景色も、街も綺麗です。ゆったりとした散歩コースですね。
No title
とにかく町はきれいですし、幕末から明治にかけての時代を感じられる場所でしょうね。
拝殿の彫物は見られなかったですか?この辺りでは、随一ではないかと思います。とある雑誌の全国版にも紹介されています。
夕方
izumigamori 様
彫刻は素晴らしいものと聞いていましたが、撮影できず残念でした。広島の有名な彫刻師の方だそうですね。知らない土地で、知らないことを学ぶ、元気の素ですね。
何も残っていない街を内外に発信する方法はないものでしょうか? 
No title
私も若い頃から、地吉峠経由で五段高原にに行く途中、左手に大きな神社があるな~と横目に通過していました。
 こんな立派な神社だったのですね。
 結女さんの帰省時にに余裕がある時、一緒に行こうと思います。
三島神社は・・・
吉野の食いしんぼう 様
伊予の三島神社から勧請しているそうです。三島神社も八幡神社と同じく全国区ですね。立派な神社で驚きました。檮原の街も面白いそうです。見るべきところは多々・・・それから地芳峠、天狗へと・・・結女さんとどうぞ・・・大野ヶ原のアイスも外せませんね。
No title
 脱藩の道も、歩く催しがあり、歩いた記憶があります。龍馬がなぜ檮原経由で脱藩したのか、檮原の地に時代に呼応する人たちがいたというのもその理由の1つかもしれませんね。
武市の存在
tentijin 様
たぶん、土佐勤皇党に参加した檮原の郷士たちとの連携でしょうね。もう一つ現在の高知道方面から丸亀へ出ていますね。江戸へ修行に行くときの道も・・・本州に渡るルートは3つ・・・一番脱藩の道で賑わっているのは、愛媛街道です。歩いただけなんですが、竜馬人気でしょうか?
やっと5度目の癌と闘い生還しました。
実は今度はもう駄目だと思っていたのですが、なんとなく生還できました。これも運です。癌手術は、入院の半分は自力(体力と気力)の勝負で、薬など出されませんでした。
癌は今は2人に1人は発症する遺伝で小。詳記発見と著著せぬ処置が第一です。みなさんご用心を。
梼原はいいところですね。それにしても土佐の郷士たちは山越えに城川に入り、この地の志士たちと交流しながら京に向かったのでしょうね。
いつか梼原を訪ねたとき大変熱心に案内いただいた方とはその後交流していましたが、故人になられたようですね。
情報社会
木下博民 様
心配していましたが、色々と情報をたぐり寄せ、お元気に成られているとのことで案して居ました。手術成功、おめでとうございます。今は養生されることが一番です。無理をされませぬよう・・・いわれるとおり、小さな町ですが、国を憂う若者たちを排出された町・・・訪れる人たちにも新説で、素晴らしいところです・・・

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