銅像 | 鬼城

銅像

2016.06.25.Sat.12:00
吉村虎太郎の像

龍馬記念館、昼食そして和霊神社参拝し、帰路についた。
帰途、津野町にある吉村虎太郎の銅像に立ち寄った。
京都方面をにらんだ立ち姿は迫力がある。
維新の志士の一人として土地の人の自慢である。

吉村虎太郎1
高知の銅像

各地の銅像を数多く見てきたが、高知の銅像には動き、心がこもっている。
この銅像も迫力がある。

「じゃらんより」

幕末の志士。
天誅組首領。
諱は重郷。
天保8年4月18日高岡郡津野山郷(東津野村)芳生野の床屋に生まれる。
北川村を始め大庄屋を歴任。
瑞山の指示で脱藩、天誅組首領として活躍中、鷲家口で戦死。
享年27才。
 「吉野山 風に乱るる紅葉は 我が討つ太刀の血煙と見よ」の辞世の句は有名。

吉村虎太郎2

維新の門

虎太郎の銅像に寄ったら、檮原の「維新の門」は外せない。
檮原の町並みから川を渡り、小高いところに群像が・・・

威信の門1

迫力満点

先ほども書いたが、動きのある銅像はすばらしい。
作者の表現力にもよるのかもしれない。
先頭を切って走る、那須信吾・・・

威信の門2

檮原の6人の志士

そして中央、坂本龍馬、沢村惣之丞を加えた8人の群像・・・
彼らによって維新は遂げられた。
郷土の誇りをこの「維新の門(維新の群像)」に込めている。

威信の門3

吉村虎太郎像

津野町にある銅像と違って、自分をあるいは志士たちを鼓舞している姿はすばらしい。
この檮原の道から維新へ大きく進んでいったことは間違いない。
ここから先の脱藩の道(愛媛県側)は正確にはわからないとか。

威信の門4
コメント
No title
 「いつでも来られる」という思いがあるので、いつも前だけ通ってしまう。
 なるほど、「ここから、維新が始まる」というのも、間違いではありませんね。
 それにしても、動きのある銅像ですね。足摺岬に「ジョン万次郎」横波黒潮ラインに「武市半平太」桂浜に「坂本龍馬」室戸岬に「中岡慎太郎」そして、檮原に「維新の門」維新前後に活躍した人物を上手に配置してありますよね。
No title
吉村虎太郎の銅像、表情・動き・土台も素晴らしいですね。
 我が家から車で数十分のお隣の県で、こんなにも魅力的な人びとが多く生まれてきた風土って何なのでしょう。
 道の駅ばかりに首をつっ込まず、訪ねたいと思いました。
No title
 維新の門で地元のボランティアの方の説明を聞いていた時に「みんな韮が峠を向いているんです。だから、逆光で写真には撮りづらいんです」と仰って納得した記憶があります。
 この写真は見事ですね。夕方だったんでしょうか?
天誅組
時の羽ばたいた英雄たちですね。先日奈良にコアジサイ撮影に行った時、天誅組行軍の足の郷峠に行きました。看板には天誅組が行軍した5年後に明治維新になったと書いてありました。数年前に東吉野の天誅組終焉の地に行き吉村寅太郎、那須信吾達の墓があった。
何のために・・・
syoryuで~す。様
銅像は何のために置くのか?いつも思うことです。郷土の誇り・・・歴史・・・そのためにはストーリー性がいります。高知はストーリーがあります。土地の人たちの思いなんでしょうね。写眞は夕方が良いですよ。満月辺りが・・・
先輩
吉野の食いしんぼう 様
三間の先輩の先生が、童謡の銅像を訪ねてとエッセイを書かれていました。私は何でも銅像が好きなので回ります。彦根に行ったとき、予定が詰まっていたので直弼の銅像は撮りましたが、直政はと・・・ホテルから駅前まで走って行って撮りました。朝飯前でした!鹿児島もイギリス留学生の像も走って行ったなあ・・・(笑い)
聞きたいですね・・・
単おじ 様
ボランティアガイドの方たちは「竜馬博」の時だったんでしょうか?賑やかでしたね。機会を失って行くことは出来ませんでした。逆光になるんで写眞は夕方が良いですね。ケーブルテレビのカメラマンと一緒でした。撮っているとき竜馬像の真上には月が・・・偶然でしたが、心動かされました。動きのある像は素晴らしい。韮が峠まで機会があれば歩いてみたいですね。
歴史をたどる・・・
うわつ 様
人との交流、歴史を通して地域との交流・・・面白い!いってみたいですね。維新の志士たちは、今でいうところの「テロ集団」とやかく言っても「維新」の貢献者です。今の日本の礎を築いた人たちです。天誅組しかり!しかし、27歳の若さで・・・まだまだ行きたいところ、知りたいことが数多くあります。長生きしましょう・・・
No title
 龍馬伝放送の年に立ち寄ったことがあります。印象としては、維新の志士たちを輩出した高知らしい誇りを感じる群像たちでした。デフォルメはされていますが、後世から歴史を眺めるとこんな案配なのでしょうね。
誇り
tentijin 様
地域の熱意を感じます。龍馬伝のとき、この町は人口の2倍ほど人が来ていました。それだけ魅力があるのでしょう。何度行っても飽きないところです。

管理者にだけ表示を許可する