住吉山 | 鬼城

住吉山

2016.05.20.Fri.12:00
須賀川河口

打ち合わせ、お願いがあり住吉小学校を訪れた。
目の前が住吉山である。
昔は測候所があり、訪れる人も多かったが、今は公園にしているがほとんど行かない。
学校側には鷺の集団が・・・
ものすごい数である。
公害鳥と言っても過言で無い。

住吉1
もてころの碑

 「大きな石は俺にもてころ」これは、住吉小学校の校訓です。
郷土の先人、森岡天涯氏の言葉で、「大きな石は俺に持ってこい、苦しい仕事は俺に持ってこい。」という意味です。
ボランティア精神に満ちあふれた言葉です。

住吉2

評伝 森岡天涯

木下博民著の社会教育の先駆者の偉大なる記録である。


森岡天涯


見返り橋

昔から宇和島藩伊達家の刑場「黒野瀬峠」に送られる在任が振り返ったという橋と聞いていた。
ところが、此の橋は明治時代に須賀川が付け替えられたときに架かった橋・・・
つまり、江戸時代には無かった。
見返り坂という地名があり、それを橋の名前に転用したということが分かった。

住吉3

六艘堀

須賀川付け替え以前は、このあたりは六艘堀と呼ばれていた。
公営の船だまりと行っても良い。
現在は須賀川だが、江戸時代は海!
この左手の道が船板書、船奉行宅一体である。
頭上には「宇和島道路」が走り、面影は無い。

住吉4

右手が川土手

船奉行屋敷跡である。
石垣くらいは残っていないか、調べたが何も無い。

住吉5

付け替え工事

昔の地図と比較しても新しい住宅が建ち、調査は難しい。
後方が住吉山である。
此の付近は神社、仏閣もある。
多賀神社、浄念寺、和霊神社・・・

住吉6
コメント
No title
 梅雨の頃の住吉小は、最悪でした。糞の臭いが、漂ってきて美味しい給食がもっと美味しくなりました。臭いは下がるのでしょうか、南青に居たときは一度も感じたことはありませんでした。
 法務局から取り寄せた地図に見返り橋下辺りに持ち主の名前が書いてあるものがありましたが、付け替え前の土地図だということが分かります。地図には、「内務省」とありました。
 この辺りは、大きく変化した場所ですから、昔のものはなくなったのでしょうね。寂しい話です。
さみしいです・・・
笑隆で~す。様
鷺などは駆除する必要があるともいます。猪、鹿も同様だと思います。動物愛護の精神と生きていく人間社会とのバランスが大事だと思います。朝日運河、須賀川など面影が全然ないことに寂しさを感じます。言っても無駄とはわかっていますが、堀がないのが一番!
懐かしい!
 松野東の新採の時、住吉のベテランの先生の所に1日、校長先生の配慮で研修に行かせて貰いました。その時「もてころの碑」を見て、とても印象深かったのを思い出しました。ちなみにそのM校長先生は、須賀川通りにお住みの方でした。
 宇和島七福神巡りの時、森に一杯の鳥を見てびっくりしました。
 食いしんぼうとしては、南青の五目寿司が美味しかったのも懐かしい。
南青
吉野の食いしんぼう 様
社会教育の先駆者、天涯!南青に額がありました。五目寿司もなつかしい。無くなって一番寂しい思いをしているのはM先生でしょう。昨日も両M先生と二時間ほど話しました。話題は尽きません。月末まで身動き取れず・・・6月に入れば動こうと思っています。体力が持つか?
なぜ「住吉山」というのだろう?
住吉神社があったからです。いまは多賀神社境内にあるか、合祀されているかわかりませんが、私の子供の頃は神社の境内の左脇に測候所へ通じる道があって、よく遊びに行ったものです。測候所の所長さんの子が小学校の同級生だったからですが。測候所の裏は松林で、これを過ぎると山椿の斜面が海へ向かって続いていました。
森岡天涯の拙著紹介していただき有難うございました。住吉校の東北の山に国民宿舎(いまはどうなっていますかね、県から移管された建造物で、住吉校の改築時に活用するとか聞きましたが)の庭に森岡天涯の碑があるはずです。いまはどうなっていますかね。
跡地利用
木下博民 様
「住吉小学校」では森岡天涯について子ども達に教えているようです。「大きな石はおれにもてころ」の合い言葉の如く・・・昔、住吉小学校勤務の先生方の会も「もてころ会」成る名称で懇親を深めているようです。南予青年の家ですね。生島氏が寄贈されたとか?跡地利用がどうなっているか?候補はいろいろとあったようですが・・・碑は残っていると思います。住吉神社、多賀神社かな?
懐かしい!
住吉山、住吉小学校、住吉町とても懐かしい響きです。住吉小学校に通ってました。でも「大きな石」のことは??嵐の時など見返り橋を渡るまでがとてもつらかった。現代ならみんなお休みだと思うけど、幼かったからスゴク感じたのかな?住吉山もなんだか樹木が荒れてる感じ。鷺が公害?信じられない。大学時代に実家が引っ越して住吉町、須賀川べりにありました。高速ができて影も形もなくなったらしい。googleで市内を見渡してみましたが、埋め立てられて随分変わったんですね。きっと。もう帰ってもほんの1部の地域しかわからないと思います。非常に寂しい。
サギ
サギのフンで住吉山に雪が降ったように真っ白になってたのを知っています。立ち木を伐採したようですが駆除しないので数は減らなかったようですね。鳥獣保護で駆除しないのでしょうね。
鷺に明渡した住吉公園って、ゆかいですね。
役立たせない地域を「公園」と称して放置しているから、鳥獣の恰好の棲家になるわけで、これこそ自然の理でしょう。鷺に占拠された公園こそ、宇和島市民として公園を所有する資格がありません。天下の笑いものです。いっそのこと「愚公山を移す」の実習地にしてはいかがですか? 見返り坂を切り下げて川にした宇和島の先人もいますよ。
「第五尋常小学校」が、新須賀川の完成と同時に、玉ヶ月浦を河口にした切崩し土砂で埋立てた場所に移転して、「住吉小学校」となり、朝日町界隈の子供たちも和霊校から編入替えになったわけですが、あの川沿いの道は風が強くてそれこそ子供なら吹飛ばされかねない難路だったはずです。
「大きな石はもてころ」という天涯の言葉、わたしは随分調べましたが、「もてころ」という方言がどうしてもわかりませんでした。「持って来い」を「もてころ」なんていうのは何処の方言ですか? 宇和島ではいいませんね。天涯の郷里日振島でもいいませんね。どなたか、教えてくれませんか?
自然淘汰
うわつ 様
出来ないのであれば、駆除しかない。保手も真っ白になります。ホントに公害です。近所の池、学校の池など鯉などを狙われ、これも大変です。法律を変えねば・・・後手後手ですね。気がつけば、何も残らない。この連続です。
変わり方・・・
kinoppy 様
良く鳴るように変わるか、悪くなるように変わるか?この辺りは明治以降、あまり変わっていないようです。須賀川縁に宇和島道路が掛かったくらいでしょう。どこかの別荘が丁度、真下あたりで無くなりました。そうですか?住吉校区・・・私の最後の中学校が城北だったので地域は結構うろついていました。機会があれば・・・
もてころ?
木下博民 様
何処の方言か?南予地方だとは思います。それとも天涯の造語か?調べてみます。第五ですか?第四は和霊?第三は・・・教育も測候所も昔の仕組みの方が良かった気がします。世界に追いつき追い越せも、最近では抜かれっぱなしです。教育会も迷走状態です。
No title
 もてころの碑は、有名で聞きおよんでいますが、天涯先生のことは、よく知りません。しかし、言葉の伝える心意気のようなものは、すばらしいなと思います。パソコンの不調で、昨日も、M先生のお宅にお邪魔していました。
もてころ?
書き込みありがとうございます。「もてころ」の語源を知りたいという方がいます。南予地方の方言でしょうか?ご存じならお教え願います。10時頃からM先生宅へソフトを持って行こうと思っています。天涯先生は社会教育の分野で活躍したしたかたですね。

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