麦秋 | 鬼城

麦秋

2016.05.14.Sat.12:00
季語

俳句をたしなむ人、常識人は知っていると思う。
私が不思議に思うのが「小春日和」「麦秋」である。
季節は字とは逆・・・
今では分かるが、不思議な言葉である。

さて麦の話、小麦、二条大麦、六条大麦、裸麦の6種類がある。
小麦生産量日本一は北海道・・・
なんと裸麦生産量日本一は愛媛県!

裸麦1
伊予市

国道56号線から砥部方面に行く途中の畑、麦が一面植えられている。
裸麦!
この季節が麦秋というのも分かる気がした。

裸麦は、昔から押麦、麦茶、 味噌など日本型食生活に欠かせ ない伝統的な食品に加工されて きました。
近年は、健康食品として需要 が拡大している麦みそや麦ごは んなどに使われています。
ほか、焼 酎や発泡酒、パンなどの新製品 も多く開発されています。

裸麦2

麦の穂

刈り入れの写真を撮りたかったが、仕事の途中、断念・・・

裸麦3

麦踏み

冬の厳しい季節、強く育てるため夢寐踏みを刷る。
踏まれても踏まれても強く育つ。

裸麦4
一面の黄色
麦が住めば田植えの季節だ。

裸麦5

農家の苦労

雨の心配、気温の心配、肥料の心配、雑草も・・・
大変な作業である。
いよいよ収穫の季節がきた。
ご苦労様です。

裸麦6
コメント
No title
 宇和島地方には、この光景はあまり見ませんが、大洲盆地に入るとよく見る光景になります。と言っても大洲地方でも麦を作っている農家は少なくなりましたね。
 昔は、現金収入を得るため二期作で大麦を作っていたのでしょうかね。田んぼを一年中有効活用していたのですね。
 黄金の絨毯という言葉がぴったり来る光景ですよね。初めて大洲上須戒の少年自然の家に子どもたちを連れて行った時、5月の風に揺れる麦畑を見た時に上げた感嘆の声を忘れることができません。海岸端で生活していた子どもたちにとって珍しい風景だったのでしょうね。私にとって、脳裏に焼き付いている光景です。
No title
今年も裸麦は豊作のようですね。伊予市あたりはまさに「麦秋の候、いかがお過ごしでしょうか?。」の様子ですね。この天候の良いときに早く収穫を。
来週の水曜日には松山に行くのですが、雨後になるのでもう収穫がすんでいるでしょうね。(残念・・)
麦畑
伊予灘SAから見ると黄色い麦畑が見えます。東予市から西条市にかけて麦畑があります。西予市でも見えましたよ。昔は宇和島でも麦畑がありました。黒くなった穂でチャンバラしたり、カエル腹を膨らませて遊びました。
麦わらで
ストローだったり、蛍入れや篭を作っていたような?軽いし、光沢もあったような?
また、帽子は「麦わら帽子」という固有名詞があるくらい有名ですよね。
なら地方も素麺のほかに麦を栽培してパンを製造している会社もあるとか?
懐かしいなあ~。
最後何になるのかしら?
麦秋の思い出2,3
① 小津安二郎の映画に「麦秋」というのがありましたね。最後のカットが奈良のあたりの麦秋風景で終る父と娘の話だったかと思いますが。
② 昭和のはじめ藤江の山はほとんどが麦畑でした。我が家が朝日町の倒産製糸工場の寄宿舎の一部屋にいましたので、新しく六艘濠を河川にして竣工した須賀川の向こうが藤江の山で、ここの麦藁を焼く煙や赤い炎が見渡されました。懐かしい思い出です。
「麦秋や廃屋長屋の二階にて」
No title
 子供の頃、鬼北方面でも、冬は麦の栽培をしていました。したがって、田植えは6月が普通でしたが、今では多くは早稲をを植えるようになり、田植えは、4月になってしまいました。麦の産地は、愛媛では中予が中心になっていると思います。ひばりの巣を探したり、麦笛を作って吹いたりして下校していました。懐かしいですね。
No title
私、麦秋・小春日日和の時季を知ったのは大人になってかなり経ってからでした。
 麦踏みは、私が保育園の頃、母の里でもしていた光景を覚えています。
 学校の帰りに、麦の中の黒ん坊を友人と探したり。 最近は、バスで松山に行くとき、伊予市手前当たりで見かけ、これが麦秋の景色だな~と眺めました。
笑隆で~す。 様
母の里が農家だったので、麦はよく知っていました。麦踏みもしました。田植えは麦が済んだ土地に水を入れ、田ごしらえをしていました。しかし今は、田植えが早くなっていますから・・・どうしているんでしょう?そのまま畑にしているところが多いのかも・・・
重信も麦畑は多いですね。
最盛期
izumigamori 様
雨上がりだから刈り入れは木曜日辺りかも・・・刈り入れの写真を撮りたかったのですが残念でした。松山は続けている仕事ですか?ご苦労様です。
麦わら
うわつ 様
懐かしい!蛙の腹を膨らませていましたね。一緒にやったことが在ったかも・・・麦わらで籠作りもしました。野イチゴや桑の実を入れていました。懐かしい。宇和島旧市内は田んぼ、畑は見られなくなりましたね。
裸麦
結女 様
味噌とか醤油とか、麹造りの原料となるんでしょう。麦わらで遊んだことは、もう思い出しか残っていないですね。おそらく切り刻まれて肥料になるんでしょう。ホタル籠、在りましたね。丁度この時期か・・・
パークスウォーク
木下博民 様
先生が言われている辺りの話を参加者にしたかったのですが、規模縮小で私はスタジオで解説のみ・・・中途半端なイベントでした。最後には止めた方が良いとも言ったのですが・・・六艘濠なども紹介したのかどうか?船奉行所跡も調査していたのですが、残念でした。昨年800人参加、今年は52人でした。今宇和島地方では野焼き禁止です。畑で草木を焼くこともありません。よき時代は消えつつあります。これが温暖化防止というのですから噴飯物ですね。
ひばり
tentijin 様
久しぶりに聞きました。宇和島に居た頃の話でしょうか?ヒバリの巣、思い出しました。さがしましたねえ・・・鬼北も麦畑は多かったんですね。今では小麦や大麦あたりは輸入ばっかり・・・輸入が停まれば、饑餓が訪れます。さてどうなるのか?家庭菜園の研究でもしなければ・・・(笑い)
黒ん坊
吉野の食いしんぼう 様
病気ですかね。黄金色の麦の中に黒い麦が・・・探す遊びなどなど。里山の景色ですね。今ではほとんど見なくなりました。いづれ麦作りを見る観光になるかも・・・笑い話で無く、田んぼガールなどいる時代ですから・・・

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