八つ鹿 | 鬼城

八つ鹿

2015.10.31.Sat.09:00
八つ鹿の衣装

天赦園で1時半から演技と聞いていたので訪れた。
食事中で衣装が並べてあった。
衣装は3回替わっているようだ。
江戸時代のものは伊達博物館にあるが張りぼてで5つ鹿、白い面である。
このような写実的な面は他で見ることが出来ない。

八つ鹿1
衣装を着付ける保存会、曽根会長さん

先日、仙台宇和島歴史姉妹都市締結40周年記念に招かれ、仙台のしし踊りと共演してきたとか。
宇和島の誇る民俗芸能である。

八つ鹿2



街中で踊る踊りとこのような広い場所で踊る入り方は違っているようだ。
演舞の場所を考えている。

八つ鹿3

明心楼跡

この芝生のところが宗紀公が生活をしていた明心楼・・・
変額のみ残っている。
署は水戸斉昭公である。
残念ながら復元は難しいようだ。

八つ鹿4

提案

写眞を撮りに来た人から宇和島城を入れてカメラマンの居ない絵にしたいと・・・
みな、南側に固まった。
面白い試み!
しかし、8頭そろうことは至難の技!
やっとそろっている写真があった。(笑い)

八つ鹿5

牝鹿

中でも一番小さな子ども・・・
美事に演じきった。
朝もこれからも市内を回る。
元気で演じてほしい・・・

八つ鹿6
コメント
No title
 本当にワガママなカメラマンが多いこと。「自分も撮影しているのだ。」と、言ってやりたい気持ちになりました。
 見事に8頭を押さえましたね。直線になった時は簡単ですが、円になって動いている時は難しいです。お見事!!
中で1枚のみ(泣)
難しい!つくづくカメラマンは我が儘・・・私もその一人かもしれません。しかし、平気で言えるかどうかですね(笑い)「うわつ」さんが撮ったらさっさと異動する理由が分かりました。今日はどちらですか?(爆)
しイ~かア~のこオオ~は♫
田舎では「五ツ鹿」でした。踊りは同じかな?太鼓も一緒のようだし・・・
お城を入れての舞は、いいですねえ!
ほんと帰りたくなります。年取った精ですかね?
「おいのこ」はしないんですか?これは祭りの時ではないかもしれませんが・・・
No title
 鹿踊りは鬼北では、近永だけ見かけたように思います。ということは、弓滝様だけということなのでしょう。四つ太鼓も近永でした。後は、地元の奈良下の神社などは、牛鬼のみでした。御輿もないというのは、貧乏だからでしょうか?神主様もよそから出張して来られます。
覚えている!
結女 様
故郷の伝承は忘れていない。すごいことですよ。正式には五つ鹿でしょう。雌鹿1頭を推す鹿2頭が奪い合う、そのおつきが2頭で5つです。
おいのこさんは、だいぶ少なくなりましたね。座布団持参でつくんですよ。コンクリート、アスファルトだからでしょう。松野の祭りは済んだようです。兄嫁が嫁いできた頃は11月8日だったですね。なぜ変わったのか?
神社
tentijin 様
宮司の職業では生活できない。兼務か、副業かですね。都会では駐車場経営が多いとか聞きます。広見で有名な鹿は清水の5つ鹿です。1857年制作の頭が在ります。宇和島本町追手の磯衛門作です。この古面の1年前に制作されたものが裏町の鹿です。伊達博物館蔵です。各地方のお練り、大事にしたいですね。
八ッ鹿
八ッ鹿の8にはこだわってなかったです。
改めてそうかと!気付きました。
それで思い出したことがあります。
名のある画家の息子が学校で魚の絵を描きました。先生は納得ゆかず親に聞いたそうです。
「この鯉はうろこが3枚しかないのでおかしい」と言ったら、その親は言いました。
「先生には鯉に見えたんでしょう」と言ったとか。
そんな話だったな~(笑)
棟方志功だったかな?
No title
 南文前の広場でこの衣装の八鹿見ました。お城をバックに絵になりますね。特に5枚目の輪になっている写真お気に入りです。
 最後の写真の少年にも思わず「お疲れ、頑張ってね」と声をかけたくなりました。
可愛いですね!
縦列している画像が1番好きですが、城山を背景に素晴らしい写真が撮れましたね。お見事!伝統はいつまでも絶やさず残して欲しいものです。可愛い踊り子さんたちの踊りや掛け声を身近で聞いてみたいです。最後のお子さんの写真、全体像が見たかったです。
祭り
kinoppy 様
kinoppy さんのところの祭りも良いですよ。これは日本の誇る文化だと思います。それが神社が絡んでいますので教育とは分離、政治とも分離・・・どこも継承者で苦労はしていますが、打つ手は無いようです。
八つ鹿の起源など、謎に満ちています。これも面白い!
みなさん八つ鹿踊りに興味をお持ちのようですね。
私も随分調べました。よろしかったら、拙著「お国自慢お練話 八つ鹿踊りと牛鬼」(創風社出版刊、1600円+税)をご覧ください。
鹿踊りは極端にいえば牡鹿、雌鹿、仲立の3頭(3人)いれば踊れるでしょう。宇和島の鹿踊りも八つ鹿から時代によっては五つ鹿になり、大正11年摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が行啓されたとき、天赦園でご覧にいれたときから、八つ鹿に替えました。そのとき、現在のような衣裳に替えたので、いまのはその時からの図柄の踏襲です。
いまの子供は以前の子よりも丈があるのか、前垂れも着物の裾も以前より短く感じられます。
頭は五つ鹿までは縁起のいい白鹿でしたが、八つ鹿になったからは現在のようなリアルな頭になりました。
踊りのはじめと終わりに前垂れを持ち上げるのは最近の演出ですね。一番小さな雌島の少年、ご苦労さん。
南豫の踊りは「雌(女)鹿隠し」という踊りで、関東から東北にかけて伝承された鹿踊りなのです。
声変わり前の少年をそろえるのは大変なことだと思います。曽根会長のご苦労を感謝いたします。
雌獅子隠し
木下博民 様
民俗学に興味のある女性が来られ、友人が2日ほど案内したようです。宇和のわらぐろにも興味を持ち、上甲会長さんと熱心に話したとか。そのあと歴博の大本さんと話したようです。鹿踊りについて東北も行脚したいと言っていました。若いと言うことは良いですね。

管理者にだけ表示を許可する