八つ鹿 | 鬼城

八つ鹿

2015.10.19.Mon.19:30
裏町1丁目八つ鹿保存会

散歩で必ずお参りする宇和津彦神社・・・
今日は賑やかである。
秋祭りは29日だが・・・
何か聞いたなあ!
NHKのいよイチの生放送で練習風景が紹介されると言っていた。

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鹿踊りのルーツ

宇和津彦神社は秀宗入部ののち9年かけて造営された南予一の宮、すなわち一宮神社である。
秀宗がやったことは、まず守護神たる神社、城の守り神としての鬼門封じの寺である。
高虎によって街が形成され、発展させるための一手であった。

秋祭りの練習に余念が無い児童たち

NHK2

仙台と宇和島

文化交流が始まったのは1630年頃と考えられる。
宇和島藩が落ち着いてきた頃より移住、文化交流が始まったのではないか?
これは謎!
八つ鹿、あるいは7つ、5つ鹿の伝来も謎である。
荒々しい東北地方の鹿踊り、南予のたおやかな踊りと似ても似つかない。
いろいろと理由が述べられているが、確かなものではない。

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この子どもたちは仙台にも・・・

今月11日、仙台市博物館で開催されている「宇和島と仙台」の特別展の関連としてホールで踊った。
今日はNHKのアナウンサーの質問にも落ち着いた対応が出来ている。

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散歩の途中

山を登るのでこれにてお別れ!
石段下には生中継用のマイクロウェーブアンテナを積載した車が・・・

NHK5
コメント
No title
 番組を見ましたよ。現場にいたのですね。
 今年は、28日から撮影に行こうかと考えています。車が、止められないので自転車で行く予定です。
ヘンですね
ここで八つ鹿の練習したということは聞いたことありません。練習はいつも明源寺でしていますよ。雨の日は宇和津彦神社お籠り堂の駐車場でした。いつもはもっと暗い所で練習していますよ。
宵宮
syoryuで~す。様
フラッシュがいります。何しろ暗いので・・・カメラについては素人で・・・「うわつ」さんは、光りすぎないように包帯か何かで包んでいました。我が輩は内蔵で・・・しかし、全然だめでした。カメラマンが大勢来ますよ。私は講演が入りましたので、間に合えば行きます。勿論チャリンコ・・・(泣き)
テレビ局
うわつ 様
明源寺も駐車場になって危険なのか、お籠もり堂が多いようですね。いよイチの番組のためでしょう。入部400年祭との関連で・・・仙台にも行っていますので、向こうのNHKの番組が刺激になったのかも・・・最近、このルーツは果たして仙台なのか、いつ頃来たのか疑問に感じています。
No title
 八鹿、こちらは五鹿ですが、秋祭りにはなくてはならないものに思います。
 年々、子どもの数の減少で、いのこ等も存続が難しくなっていますが、残してほしいと思います。
 練習中、インタビュー中の子どもの表情が自然で緊張感がないのは、場数を踏んだからでしょうか。
場数
吉野の食いしんぼう 様
私たちよりは、インタビューなどの場数は踏んでいますね。(笑い)宇和島も5つ鹿でした。大正時代?昭和になってから8つ鹿になりました。祭りにはなくてはならないものですね。
No title
 鬼北も五鹿だったと思います。ただ地区地区には、牛鬼だけで、近永だけ四つ太鼓や五鹿があったように記憶しています。たぶん、神社によって出し物が変わるのだと思います。やはり、子供不足で、牛鬼も2人でかけるちいさなものにいずれなるなど寂しい言葉が聞かれます。
清水
tentijin 様
五つ鹿ですね。特に清水のものは宇和島の5つ鹿と同じ作者です。本町の磯衛門作・・・1857年と58年だったか?お練りは神社によって違いますね。山車も面白い・・・
自著宣伝をしてご免なさい。
拙著「お国自慢お練話 八つ鹿踊りと牛鬼」(創風社出版刊)で、宇和島八つ鹿の由来や分布の状況を易しく書いておきました。
先日、仙台川前鹿踊りと宇和島裡町一丁目八つ鹿踊りを並べて演じられたDVDを拝見して、その転訛の感じがうかがわれました。仙台の鹿踊りは供養踊り、宇和島の鹿踊りははじめから練りものとして定着したことがよく分かりました。拙著には、歌詞の考証についても素人なりに書き添えておきました。宇和島人の常識的智識として纏めました。
ご参考までに。
ありがとうございましたm(_ _)m
由来の変化・・・踊りから類推されたようですね。鳴り物も変化しているようですが、継承がなかなかのようです。長く伝えていくことも大切だし、それに対する考察、予算など今、生きている人が考えねば成りませんね。

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