予土線三兄弟 | 鬼城

予土線三兄弟

2015.10.08.Thu.07:00
予土線イベント列車

今日は休み!
「うわつ」さんよりこのイベントの誘いが・・・
待ち合わせを間違い、ぎりぎりだった・
「うわつ」さんm(_ _)m

0型新幹線・ホビートレイン、トロッコ列車の三重連のイベント号が今年も・・・

予土線三兄弟1
練習

機関区のところからの写眞である。
宇和島城を入れてと指導をしてもらう。
レンズを間違えてきたことに気づく(泣き)
この列車は予土線の普通列車である。
予土線三兄弟2

見えた!

0型が先頭車両・・・
城が!

来た!

角度を変えて

うまく入ったと思ったら?
駐車場の名前の表示に足をぶつけた。痛い!

予土線三兄弟3
連写

教えてもらったようにシャッターを切り続けたが、列車は入っていない。
失敗の撮影!
「うわつ」さん、「笑隆で~す。」さんは列車を追って予土線をたどるとか。
美事に撮られている写真を見るならLinkにアクセスしてください。

予土線三兄弟4

行ってらっしゃい!

あっという間に・・・
写真を撮っているのは笑隆で~す。氏!

予土線三兄弟5
コメント
No title
 師匠にも館長にも証拠写真を撮られてしまいました。(笑)
 列車も飛行機も一瞬の勝負ですから、頭の中できっちり構図を決めて撮影ポイントを明確にしておかないと、思ってもみないものが映り込んでいて現像して「がっかり!」というのがたびたびあります。
 今回の三兄弟も多くの失敗作がありました。経験値を増やしていくと解決できる問題かもしれませんね。
ご指導ありがとうございます・・・
syoryuで~す。様
写真は難しい!しかし、おもしろい・・・これからもとり続け、御批評を浴び続けたいと思います。<(_ _)>
No title
“ちょん”は、半人前、取るに足らない人を、芝居の終わりに打つ拍子木の音になぞらえた言葉であったといわれる。「バカチョンカメラ」はコンパクトカメラを指す代名詞となったが、「馬鹿でも朝鮮人(チョン)でも撮れる」との解釈が可能で、放送禁止用語となっている。間寛平がバラエティ生放送で「僕はカメラはぜんぜんダメで、昔からバカチョンカメラしか持っていないんです」と発言し、部落解放同盟から「チョンは在日韓国、朝鮮人を指す差別用語であり差別用語である」との抗議電話があった。飯田哲也(環境運動家)が「原子力に反対する奴はバカだチョンだ」と発言しキャスターの古舘伊知郎が番組中で謝罪、自民党の溝手顕正が党の会合で「安倍晋三首相のように非常に勢いのいい首相の下だと、ばかでもチョンでも当選する」と発言、ただちに撤回した。
 貴方のブログ閲覧者は、知性と良識を備えていると思われますが、スーパームーンの撮影に関する話題で、この言葉がありました。この指摘は、当人への非難・侮辱の意図はなく、余計なお世話と思いますが、貴方に代わって指摘しておきます。
ありがとうございます・・・
ご指摘、もっともなことだと思います。あえて訂正はしませんでしたが、ブログを作成している者としてお詫びいたします。今後ともご指導のほどよろしくお願い致します。
三兄弟
やりましたね~三兄弟。私は赤い車を避けましたが入れても良かったですね(
笑)一枚目は左の列車と県事務所をトリミングしても良かったかも?
城を入れて撮れるのはここだけですので、何度か挑戦したら面白いです。
No title
私は3兄弟が地元を走った事を知らせる写真が撮れただけでも喜んでいましたが、鬼城さんやうわつさんsyoryuで~す。さんのブログを見て、うわ~っすごいって思いました。
 切磋琢磨され益々、わ~って言う写真を見せて頂けるものと楽しみです。
レンズ
うわつ 様
場所を教えてもらうたび、レンズが必要だと感じます。写真の趣味は良いけれど最低でもレンズはいりますね。(笑い)ありがとうございました。またご指導のほどよろしくお願いします。
師匠
吉野の食いしんぼう 様
私はど素人ですから、皆さん師匠です。特に
「うわつ」さんには頭が下がります。彼の知識は半端ではない。努力家で幅が広い。ブログの写眞もごく一部ですから・・・切磋琢磨して勉強しているところです。
No title
 バカチョンカメラの発言者です。大変失礼しました。無知でチョンの意味が朝鮮の方を蔑称する言葉だとは知りませんでした。今、自然を破壊する枯れない外来の朝顔が朝鮮朝顔と呼ばれていますが、これもまた、朝鮮発祥の植物ではないかも知れず、同じような差別的な言葉かも知れません。無知のみで差別する意図はまったくありませんでした。大変失礼をいたしました。
宇和島機関区
この写真は予土線三兄弟の話だが、機関区がちょっと出ているようなのでその想い出を。
昭和初期、この辺りがまだ田圃や桑畑だったころ、商業学校の校庭(現県事務所)から塀を越え、畑枝川を跨げばいま機関区に成っている場所だった。これをさらに進むと小池(埋め立てられていまはない)の笹の繁った土手添いにさらに東北へ桑畑を超えれば大池(ここも埋立てられた)の脇に墓地がある。ここまでが学校教練の校外演習の場所だった。だから機関区周辺は湿地だったけれど攻撃の初動地点で、適当に駆けていったものだ。「敵は墓場の高地」というのが命令の一声だったっけ。とにかく、このあたり当時の生徒の学校教練演習地だったという話。ところで畑枝川は元大池のあった谷の奥が水源地になるはずだが・・・

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