俵津文楽 | 鬼城

俵津文楽

2015.08.23.Sun.12:00
文楽

俵津文楽は嘉永5年に始まったと聞いている。
歴史的にも価値あるものである。
詳しくは歴史文化博物館のブログを参照されたい。
先日、訪ねてきてくれた教え子に「卯のほたる」のとき上演されると聞いた。
以前よりみたいと思っていたが、俵津公演の折には駐車場が・・・
7時30分開演・・・7時前に演舞場到着1
2体の人形が飾ってあった。

文楽0
演目は「傾城阿波の鳴門」

みごとな「でく」使い!

文楽1

なりきる

神棚が祀ってあるので、文楽座には祀ってあるのか聞いたところ、演目にあるとのこと・・・
知らないことは聞くのが一番・・・

文楽2

写眞

写真を撮る人たちが大勢・・・
私のその一人だが、遠慮しながら(笑い)
スマホも数多く並んだ!

文楽3

有名なおつると母親の場面

文楽4

別れ

美事に演じられていた。

文楽5

何度も繰り返す名場面

戸の小道具もよくできている。
年代物である。
愛媛県には5つの文楽座があると聞いた。
すばらしい文化遺産である。

文楽7


コメント
No title
小1の頃、お隣の下級生のお家に遊びに行くと、そこのおばあちゃんがセリフ付きの話を聞かせて貰いました。「そして、とと様の名は?」「あわのじゅうろうべーともうしま~す」??後にこれ文楽の話だったのだわと解明しました。
 鬼北の泉地区にも残っているようですが、使い手によってまるで生きているようになる人形、この文化遺産が伝承されることを願っています。
No title
 私も会場へ行ったのですが、多くの見物客&カメラマンで中まで入ることができませんでした。入り口から撮影しました。
 それにしても人気のイベントなんですね。凄い人出でした。
 最後の写真の中央下の緑のシャツを着ている方が、均ちゃんですかね。頭の形が似ていますが・・・。
 初めて行って良い写真をと思う気持ちが浅ましいですね。なかなか良い写真はありませんでした。
傾城阿波の鳴門
傾城阿波の鳴門8段目「巡礼歌の談」で、ここが一番有名で、よく演じられますね。親子であると語りも出来ず、父十郎兵衛も誤ってお鶴が殺されるという、もっともお涙頂戴の場面。
徳島へ行ったとき、文楽会館で見たことがありましたっけ。
お弓とお鶴の愁嘆場、台詞は誰でも知っています。最初の「巡礼にご報謝」と柄杓を差し出すお鶴、なんとあどけないことよ。
No title
 子供の頃には、普通にラジオ辺りから、浄瑠璃が聞こえてきていたように思います。我が家には、浪曲を書く方がいたので、耳にたこができるくらい、日常の中で、聞こえたり、聞いたり、聞かせられたりするわけで、それはもう、大変でした。今では、浄瑠璃も浪曲も、日常的に楽しむ方がほとんどいなくなった気がします。
芸能
俵津文楽まだ見ていません。出し物は一つだけでしょうか?ともあれ伝承されているのは素晴らしいことですね。
お神楽も梼原には残っているそうですね。郷土芸能の火が消えないことを祈りたいです。
文楽
吉野の食いしんぼう 様
人形浄瑠璃ですね。広中の頃、泉地区に残っている話は聞いていました。離れた後、復活の話題も・・・昨年、訪れて完全復活されている驚きと喜びを感じました。
食いしん坊さんも「人形使い」できますよ。修行されたらいかがですか?俵津の方、美事でした。
良かったです・・・
syoryuで~す。様
待っていた(嫌いなんですが・・・)甲斐がありました。均ちゃんは奥の準備しているところから撮るのと聞き取りだったようです。相当に人形浄瑠璃は研究しています。いつか論文にしたいと言っていました。目的があるのはすごいと改めて感じた次第・・・
行き当たりばったり、深く反省(汗)
30分・・・
木下博民 様
11月23日には愛媛県の人形所漆の発表会が三瓶であるとか?行きたい!しかし、この日は400年祭の最終日なので残念ながら行くことが出来ません。
私も一番最初に見たのは徳島の人形会館でした。有名な場面で台詞まで覚えています。これからも継承してほしいですね。
おとうさん・・・
tentijin 様
当局を書かれていた話はよく聞いています。残しておくものが有れば是非残してあげてください。以前話した「武左衛門一揆」など最高の資料となること請け合いですよ。日本の伝統、浪曲や浄瑠璃、謡い、能など寂れていくのは寂しいですね。
是非・・・
うわつ 様
機会があれば、是非に伝統芸能を残してください、お神楽、和霊神社や八幡様でも舞うとか。檮原は有名なようですね。この会場も一杯の人でした。もう一つ「故郷劇団」も公演していましたね。西予市は市民劇団も多いとか。どんどん輪を広げていってもらいたいですね。
いま書いている昭和初期の明浜では
「与平さん」という村の若者が、のちに「浪花節語」になって、これまた村の人気者になったという。わたしは初めて小学校の同窓会に行ったとき、先輩の余興は浪花節で、「森の石松金比羅代詣の一節」をやりますと、同僚も声を合わせて語ったものです。当時の歌謡曲といえば東海林太郎の「国境の街」が大流行していましたっけ。それが小学校高学年から新米小僧たちの歌でした。浪花節ってのはいまの浪曲のこと。
浪花節
木下博民 様
今日は研修会でパソコンの前に座っています。浪花節のほうが私には理解しやすいです。tentijinさんのお父さんは脚本を書かれていたそうです。武左衛門一揆なども手掛けたとか・・・今では語る人も少なくなっていると聞きました。なんとか続けてもらいたいですね。

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