伝承の旅 その4 | 鬼城

伝承の旅 その4

2015.05.21.Thu.08:00
和霊神社

幸霊と対照的に山家清兵衛を祀る和霊神社が勧請されている。
屋敷神とのご指摘があったが、線路を渡り、地域の公民館の裏手にあり、鎮守様のようである。

和霊神社1
鳥居

この意味は別の機会に回そう。
民俗学的にもおもしろい学説があるようだ。
結構りっばなと鳥居で頭上には「和霊神社」の額が・・・

和霊神社2

手洗いか?

横には小川が流れている。
仁井田米の産地としては、田に引く水路であろう。

和霊神社3

本殿

屋根など吹き替えられ、改修の跡も見える。

和霊神社7

小さな祠

誰を祀っているのか、地元の人に聞くことができれば良かったのだが・・・
次回訪ねることにする。
次回は龍馬の和霊様も訪れよう。

和霊神社5

旅の目的

この和霊神社を勧請した神社は全国に200社近くあるそうだ。
愛媛県歴史文化博物館協議会委員長、佐々木正興先生がこの研究の第一人者である。
私もご教示を頂きながら、この伝承を広めていっている。
左手は地区の公民館の建物である。
シャッターを開けると部屋の中から直接、神社のお参りができる。
山家清兵衛の命日、7月29日には「蚊帳待ち」などの行事があるのかもしれない。

和霊神社6

コメント
No title
 佐々木正興先生が、委員長なのですか?高校時代の恩師で私が教員を目指そうと思った方です。
 先生が、宇和島東校勤務時代に子どもさんが宇和津校に通学されていました。野村高校校長・県立図書館長・今治西校校長を歴任されて退職されたと思います。
 これ以上ない人物を委員長になっていただいたのですね。
No title
 私に理解ができるのは、和霊という言葉の意味くらいですが、山家清兵衛以外の縁でも和霊神社なるものが存在するんですね。わざわざ邪魔者を排除した上で、和霊を行う、政治的なのか、文化的なのか、どこに由来する発想なのだろうと思います。
和霊信仰
syoryuで~す。様
和霊信仰の分布図などすごい研究をされています。許可を頂いてUCATの解説などしています。もちろん、名前を紹介させていただきます。センターの頃、ご一緒でした。博物館でもお世話になりました。まあ、人物ですね。
後で考えた・・・
tentijin 様
放し討ち(上意討ちの一種)され、怨霊神を和ますための和霊・・・江戸中期に四国遍路の方々が、霊験あらたかと全国に広めていったとされています。商売の神、海の神で有名ですね。
和霊神社
和霊神社は宇和島だけではないんですね。
竜馬の才谷屋も和霊信仰とか。400年でもあるので和霊サミットでも開催したらもう少し詳しく解明できるかもしれませんね。和霊神社にも和霊騒動を調べていて詳しい人が居るそうです。
No title
う~ん、私には難しい。和霊様って山家清兵衛を祀った神社かと思い、すごい数って思っていたのですが、違うのもあるのですね。
 知らないことが多いのを自覚すると共に、なるほどと賢くなった気も。(きちんと憶えておけばの話ですが)
和霊サミット
うわつ 様
2020年が山家清兵衛が亡くなって400回忌になります。この年に盛大に祭り、法要をするとか。しかし、この年の7月には東京オリンピックが開催中です。さてどうするんでしょう?サミットはおもしろいと思います。
吉田にも・・・
吉野の食いしんぼう 様
吉田の神社の和霊神社の祭神は山家清兵衛では無いようです。怨霊神ですから誰かを呪っているんでしょうね。その霊を和ますので和霊・・・全国のものを調べて祭神など列挙するとおもしろいかも・・・私には興味はあっても調べるという行動が無い。(笑い)誰かがやったのを見聞きし、話題にするのみ・・・
「和霊」考
和霊は神道の吉田家から授かった名称と聞いていますが、古来、「にきたま」「にぎたま」「和魂」など「柔和・精熟などの徳をそなえた霊魂、神霊」をいい、怨霊信仰の盛んだった元禄時代には怨霊神が流行りました。天神、将門、もちろん和霊明神(やがては和霊大明神)も霊験あらかな神明に挙げられています。悲運な霊魂こそ霊験あらたかというのが怨霊信仰ですから、頼朝よりも義経や義仲を神とする人情が、和霊信仰の原点で、やはりこの神さまは悲運な末路で終っていなければならんのです。そしてその功労者はやっぱり秀宗さんということになるのかな。
屋敷神と怨霊信仰
怨霊信仰ってものは往々にして屋敷神から発展してゆくようにおもわれます。
和霊と名の付かないまえの怨霊をこっそり祀った森安の里の祠もはじめは他の神さまの軒先を借りていたといえば失礼ですが、とにかくこっそり祀ったのが始まりを聞いています。怨霊神をはじめから堂々と祀ることはやらんでしょう。丁度、処刑された萩森のように。
考え方
木下博民 様
吉田家が奉幣使ですね。神の位を授かったと記録にはあるようです。(和霊神社)今年の特別展には和霊神社より出品していただけるものがあるようで、先日、新しい宮司さんとお話ししてきました。秀宗の功労ですか。なるほど・・・
移り変わり
木下博民 様
森安は間借りですね。それから桧皮森(ひわだのもり)そして向山(城北中いらずの森)、再度森安、現在地と遷宮されています。そのたび格が上になったようですね。萩森も最近、知名度が上がってきました。庶民の味方は強いですね。魂のよりどころでしょうか?
和霊信仰の原点
和霊信仰の原点は、「御霊信仰」または「怨霊信仰」ですから、この思想を十分に踏まえて、その発展度を考えることが先決でしょうね。
派生
木下博民 様
この六反地の清兵衛の奥方の墓は戦争前に張り替えされているそうです。遺骨は金剛山に・・・分骨され方円寺で弔っている記録があります。まだまだ信仰に謎があるようです。友人は事実かどうか分からないが、面白いと調査始めました。お寺に記録が残っているのも面白い。

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