伝承の旅 その2 | 鬼城

伝承の旅 その2

2015.05.18.Mon.16:00
調査

お借りするものの採寸、様態など見せていただいた後、和霊宮のお話が・・・
お寺の裏手に和霊様をお祭りしているとのこと。
神仏習合のためだろうか、鳥居は無かった。

和霊堂由来(妙楽寺まとめ)
明治43年には「妙楽寺鎮守和霊大明神由来記」なるもの「B4」1枚で活字になっている。
なぜ妙楽寺に和霊様を祀ってあるのかその由来と改築の寄付の趣意書である。
建立の時期は不明・・・
明治43年には立て直しされている。
昭和57年にも回収をしている。

和霊宮1
標柱

石碑には「大乗妙典一字一石」とある。
神仏習合だろう。

和霊宮2

本殿

頭上には釘抜きの家紋が・・・

和霊宮3

賽銭箱にも釘抜きの家紋が

ここでおもしろいことに気づいた。
調度品、和霊宮ともに「抱き波」の家紋が無い。
この理由も考えねばならない。

和霊宮4

本殿全景

和霊宮5

大きな特徴

こだわってみると屋根にしゃちほこがついている。
天主でもない神社にしゃちほこが着いているのは初めて見た。
佐賀城には城門にしゃちほこがあるのが珍しいと鯱の門と名付けられている。

和霊宮6

コメント
行ってきました
 こんなに近くに住んでいるのに、知らなすぎと、今日の午後時間が出来たので、母と行ってきました。(母は歩行が辛くなり、下からの見学になりましたが)
 鬼城様のブログの説明を読んでいたので、見るポイントが解りました。朱塗りにちょっと目を見張りましたが、その下に咲きほこっているアマリリスの朱とマッチしていました。
違和感
吉野の食いしんぼう 様
6月19日~山家清兵衛展にお道具類は展示します。見応えがありますよ・・・和霊宮も幻想的で良い場所でした。さもありなん・・・松野と宇和島は山一つという感覚だったんでしょう。まだまだ旅は続きます。
No title
 私などの知らない内歴史が少しずつひもとかれていく様子がおもしろいですね。われわれには、思いも付かない目の付け所を教えていただくと、少しワクワクします。
日本の信仰
日本には神だ仏だという区別などなく、土俗信仰も道教も儒教も仏教もごちゃ混ぜで、納得できたものは信仰してしました。だから明治以前の宗教的遺構ではすべてその集合体のなかに神が祀られていると思えばいい。
家紋一つにしても厳密に考えては間違いがおきます。とにかくいい加減のところがおおいのです。特に「伝承」などというものは単なる「噺」で物証はあとから付けられたかもしれない、と楽しまれることです。
まだまだ知らないことが・・・
tentijin 様
風の国あたりの歴史もおもしろいと思います。とくに昔の地図などあれば最高ですね。山家事件が起こった頃は、松野の統治者は渡辺氏(西園寺15将)、河後森城主だしょうから、ここに隠れたとも・・・この後が二つのルートが・・・これも謎!
楽しい
木下博民 様
記録が無いと言うことは、何とでもつけることができるんですね。記録と言えば奥方の遺骨は六反地より金剛山大隆寺に移され、分骨し方円寺に祀ったとの記録があるようです。ここらあたりも調べてみようかと・・・江戸時代のものが見つかるとおもしろいのですが・・・
No title
 歴史の面白さを、地でで行っている感じですね。白日の下に明らかになるのも良いのですが、秘密の部分があるというのもミステリアスで良いのかもしれませんね。
 これで6月の展示会が、とても楽しみになりました。
高知編
syoryuで~す。様
先日は楽しい会でした。次は格さんの就任祝いを夏頃に・・・
和霊神社にも言い伝えがいろいろとあるようです。また金剛山にも・・・歴史学者たちは史実に基づかないと嘘だと決めつけます。史実はおもしろくない。おもしろおかしく脚色すれば、広がりがあります。当然のことながら断りは必要ですが・・・
奥方と母は
大乗妙典一字一石とは供養塔のようですね。富士の大噴火の時も大乗妙典一字一石の供養塔を建てているようで各地に見られます。
奥方はいつどこで亡くなられたのでしょうか?
いつかは不明
うわつ 様
この後、高知窪川に向かいます。六反地で亡くなったという伝承がありますからそこを訪ねます。供養塔は誰のために建てられたのか分かりません。いつの時代か、質問が来ていますから、明らかになると思います。
山家清兵衛の謎、ロマン、歴史はおもしろいですね。
噂話の恐ろしさ
その最たるものが櫻田玄蕃の悲劇ですね。秀宗を庇うためにあらぬ噂を創りあげ、いまだにこれが宇和島人には根を引いているようですから、宇和島人はもっと櫻田を評価するべきです。
とくに責任ある人が喋るとそれが一人歩きするものです。蔵六とイネの関係など司馬遼太郎の小説が邪魔していますね。司馬といえば土居通夫についても居合の達人だなんて、彼の伝記にそのようなことはまったくありませんのに。
勧善懲悪
木下博民 様
明治時代の名残でしょうね。桜田家に関しては、手打ちなど一時期、評判になりましたが、誰も気にする人は居ません。
現在、伊達博では「伊達57騎企画展」をやっています。桜田家から頂いたものも数多く展示しています。幕末でさえ、創作が多いのですから400年前などは、分からないことだらけ・・・さてさて・・・山家清兵衛展も控えています。

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