伝説の旅 その1 | 鬼城

伝説の旅 その1

2015.05.18.Mon.15:55
壽福山妙楽寺

山家清兵衛の奥方の足跡を辿った。
伝説と思っていたが、謎はあるものの史実である。
奥方と娘二人、そして奥方の母親は、清兵衛が討たれたことを聞き、腰元のふるさと松野吉野生の妙楽寺に逃れた。
清兵衛の初盆にお参りするため、正眼院を訪ねる。
その頃、吉野生では追っ手により幼子二人が斬り殺される。
ここまでは事実・・・



妙楽寺1

真言宗御室派

ご住職にお聞きすると本山は仁和寺とか。
派手な色彩で驚いたが、数年前まで保育園だったとか。
子どもも少なくなり廃園に・・・
その名残がこの色彩。

妙楽寺2

石案

長屋門をくぐり、急な石段を登ると本堂が・・・

妙楽寺

お地蔵さん

石段の途中にはお地蔵さんが・・・

妙楽寺3

本堂

調査の前にご本尊を拝む・・・

妙楽寺4

鏡台

蒔絵は松竹梅と鶴亀のおめでたいもの・・・
家紋は釘抜きである。
もともと最上山家は抱き沢瀉が正式な家紋のようだ。
この釘抜き、今回の調査では見られなかったが抱き波は宇和島に来てから作ったらしい。

この調度により間違いなく奥方はこの地を踏まれている。

妙楽寺5
コメント
No title
 素晴らしい調度品が残っているようですね。驚きました。どうして今まで調査がなかったのですかね。奥方が、吉野に逃げたということは分かっていたのでしょうに・・・。
 後世に残すためにもしっかりとした現地調査が必要ですね。
歴史上のお方と出会えて
半世紀以上も生きてきたのに、まして町内だというのに・・・また呼び名「やんべせいべえ」なる方も知りませんでした。お寺のお子、同級生なんです。今は横浜の方にいらっしゃるとか・・・保育園は、ここだったとか。難しい話は×でしたが、同級会での話ちょっとだけ盛り上がりました。私の実家も家紋で調べたら、最上からとか・・・私も少し調べてみようかな?先祖へタイムトラベルしてみたいです。蔵の中探してみますね。
謎解き
謎解きは野次馬もワクワクしますね~。
結女さんはルーツ探しですな。
ひょっとして清兵衛の家来だったかも知れませんよ。
町指定
syoryuで~す。様
知られていない、知らさない文化財でしょうね。それと「言い伝え」であること。しかし、ものを見る限り、真実が垣間見えます。そのあたり、学術経験者と違いますから、ロマンを感じます。夏には展示しますので是非おいでください。 
ありがとうございます・・・
結女様
この地方、最上から来ている人は多いようです。つまり政宗の父親の奥方についてきた人たちが、宇和島藩に・・・秀宗の時代は松野も宇和島ですから、そのときに河後森城にいた渡辺氏のところにいたのかもしれません。和尚様は息子さんと一緒にお勤めをされているとか。お寺も檀家頼りですから大変でしょう。是非、ご先祖捜しと倉探しを・・・新しい発見があるかもしれあせん。
ルーツ
うわつ 様
「うわつ」さんのところも珍しい姓ですからひょっとしたら・・・まっ、先祖が誰であれ、現在を生きるものにとっては関係はありません。しかし、ロマンの追及は良いですね。いろんな経験が未だに続いています。(笑い)
No title
結女さん同様、吉野を終の棲家に選んだのに、このお寺のこと殆ど知りませんでした。亡きご住職とは少しですが交流があり、息子さんが後は継がれなかったみたいですが、同級だったと聞いていました。
 松野町史の写真で鏡台は見ましたが、今回
 立派な物だと驚きました。
 これからの発表がとても楽しみです。
町指定文化財
吉野の食いしんぼう 様
どこが悪いのか分かりませんが、秀宗入部400年祭は南予一円が関係しています。また秀宗が入ってから後には東北各地から移住してきた人たちも居ます。tentijinさんの風の国のご先祖とか、私の姪の嫁ぎ先も東北なんです。当然、県境のある松野町にも来ているでしょうね。当時起こった宇和島騒動も吉野生の乳母の里のお寺に逃れた説も嘘では無いと思います。却下の歴史、大事にしたいですね。
蕨生村妙楽寺
此処はいまは松野町ですけれど、戦後に松丸と吉野生が合併して松野となりましたが、吉野生村も吉野と蕨生両村合併の村で、蕨生のあの谷は深くて、一番奥に我が家の本家がありましたので何度も訪ねました。この寺、朱に塗ったのは戦後のことです。20年くらい前になりますか法事をしたことがありましたが、その時は無住で吉野の寺の住職にきてもらいました。朱塗りしたのはその後だったとおもいます。
寺に匿われた山家夫人の伝承は私は子供の頃からしっていましたが、この化粧道具がいつどのようにして伝えられたのかは寺に記録があるはず、それを確かめてから出ないと一概に「伝承」を「真実」に摩り替えることは控えたほうがいいのではないでしょうか?
寺の宝にしているなら、必ず記録がなければなりません。それをご覧になりましたか?
No title
 山家清兵衛の奥方の足跡、なかなか興味深いですね。調査には、鬼城様が、適任ですね。木下先生の言われるように記録の発見なり、大変な作業になるのでしょうね。ご苦労様です。
伝承
木下博民 様
文書は明治のものです。しかし、家紋と豪華な蒔絵の道具を考えるとお寺が購入したはずは無いので真実に近いのではと思います。またこの後の伝承が窪川六反地に伝わっています。単なる伝承なのか、それとも真実なのか、ロマンを感じます。
もう一つ家紋のことがあります。釘抜き、最上笹は使われていますが「抱き波」はありません。この二つの家紋は宇和島入りした後の門のようですから。表裏紋かもしれません。
古文書
tentijin 様
古文書もお借りするようにしています。資料的には近代なので不明な点が多いのですが、言い伝えの研究もおもしろいですね。動いて調査・・・もっともおもしろい!この後、tentijinさんも行ったであろう四万十を下ります。

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