桜 | 鬼城

2015.04.03.Fri.12:00
金剛山大隆寺

博物館勤務復帰でご挨拶に・・・
ご住職に抹茶をごちそうになり、しばらく歓談しました。
五年後には山家清兵衛400回忌・・・
計画がいろいろとおありのようです。

桜1
竜華山等覚寺

次に伊達家の菩提寺である等覚寺を訪れた。
東の墓所、宗城公ご夫妻の墓・・・
夫婦桜か、見事に咲いていた。

桜2
村壽公ご夫妻の墓

見事な牡丹桜

桜3
秀宗公の墓

奥方「亀姫」の墓は金剛山大隆寺にある。

桜4

竜華山等覚寺本堂

この寺も戦争で焼失している。
もし焼けていなかったら、伊達家のルーツなど謎が解明できているだろう。
戦争は何も残さない。

桜5
山門

ちょうど、山門を入ったところにある「利休梅」
この花も満開!

利休梅
コメント
No title
 さすが、宇和島伊達家菩提寺の桜ですね~っ見事です。\(^_^)/ソメイヨシノだと思いますが、豪華ですね。しっかり管理をしてほしいですね。
 それにしても、写真の構図が変化していますね。1&2枚目の写真などは、私好みの構図です。やはり、「うわつ」さんの考え方を意識・無意識に思っているのですかね。
No title
昨日の1時半ころ野川の友人宅を訪れお喋りをしていました。竜華にも寄れば良かったです。
 本堂前の桜、最高の時期ですね。この桜を見るたび、京都からの講師の前でお手前の講習を受けた緊張感が甦ってきます。
 利休梅も綺麗に咲いていますね。懐かしい。
No title
 歴史を知らない私などが見ても、うかがい知れないものが、鬼城様には見えているのでしょうね。桜は正に今が満開の様子で、素晴らしいですね。
いつもの通り
笑隆で~す。様
意識していなくても、何か感じるような(笑い)お寺・神社の桜、城の桜、公園の桜等々ありますが、一番好きな構図は川とか堀に垂れ下がっている桜です。残念ながら辰野川、須賀川の桜は古木化して・・・やはり管理でしょうね。好みの写真を撮ることができ、うれしいです。
印象
吉野の食いしんぼう 様
さすが感性豊かな食いしん坊さん、花とともに思い出が浮かぶ、良いですね。昨年亡くなられた竜華の和尚さんは松野のご出身です。ご存じでしたか?
花見の季節、お寺での花見はさすがに見かけませんね。
櫻の美しさ
春になれば植物は一斉に華やぎはじめますが、櫻ほどこれ見よがしに葉もつけず花を枝だという枝につけるのはなぜだろう。
戦場で九段の櫻になってまた会おう、てな歌の詞のような一言で別れた戦友がいたけれど、奴は今年も咲いたかな。
しかも大きな花ではなく、小さな花の集合だから。目立ちますね。ここにも櫻の樹がこれほどあったのか、と。年にほんの半月ばかり衆目の的になって、あとはすっかり忘れ去られる、なんとも奇妙な樹木ですね。
しかも、葉が繁るとこんどは毛虫の天下。狭い庭には敬遠されるのはそのせいかな。
ただ挨拶に・・・
tentijin 様
深い意味はありません。ただご挨拶に行ったついでに切り取りをしただけです。仕事の関係で動くことができなくて、近場で花見・・・それと長雨で青空の下の桜は望めそうにもありませんね。
やはり管理
木下博民 様
桜の代名詞は「潔い」だろうと思います。戦争を思い出す年齢は団塊の世代以上でしょうね。私が一番さくらについて印象に残っているのは「七つ牡丹は桜に錨」の歌詞です。中央研修で霞ヶ浦に行ったとき、頭をよぎったのがこの歌でした。
伊達家入部400年、なぜか大本神社にある伊達桜が注目を浴びています。
竜華山の桜
竜華山等覚寺の桜は良く管理されています。なので樹勢があって花が綺麗ですね~住職さんが手入れされているのでしょう。
予科練について
残念ながら私は予科練世代よりほんのちょっと上で、友人の中には此処の新米教官になっていたのもいましたが、こんにち、予科練についてどれほど若い世代が認識しているか伺いたいですね。
帽子の徽章が櫻と碇であったこと、訓練生の本拠が霞ヶ関であったこと、あとは映画に残るくらいでしょうか。
是非、今年は、宇和島海軍航空隊について、若い人と話し合う場を造りたいものですね。
手入れ
うわつ 様
昨年、和尚様はお亡くなりになりました。今は次男の方がつとめられています。ご長男は本山の方で修行中とか。
手入れはよくされていましたね。最初はとりつきにくい方かと思っていましたが、気さくでいい人でした。利休梅の枝をもらい挿し木したものが花をつけました。
話せる人が・・・
木下博民 様
宇和島の予科練について知っている人がどれくらい居るか?あるいは話ができる人は・・・となると限られますね。
自分は映画や漫画で知っているくらいです。イ号潜水艦に乗っていた方に映画の話をしたら、しかられました。命がけで乗っていた人の話は説得力がありました。
宇和島の予科練生残り
鈴村季久さん(御殿町)が予科練生で私の『板島橋』に出てくるたった一人の生き残りです。お聞きになられてはいかが?
そうそう、市長だった柴田勲さん、生きていれば彼も予科練生(甲飛13期の生残り)です。
いまを外せば生き証人は宇和島から消えますよ。
時代
生き残り、というのはなんと寂しい言葉でしょうか。第二次世界大戦も経験者は、少なくなってきているんですね。時代の流れと言ってはそれまでなんですが・・・機会があればお伺いしたいと思います。何しろ雑用が多く残っていますので、片付けが大変です。

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