会員
今年度より、愛媛県歴史文化博物館友の会に入会している。
行事など重なり、数回しか参加していないが、企画はおもしろい。
今回の遍路道を訪ねる企画は何度かあった。
ちょうどお彼岸の中日、参加することにした。
9時、博物館出発、三坂峠着10時30分・・・

浄瑠璃寺までの8.5km
昔の三坂越の旧道
すべて下り、延々と下がるのみ・・・これが堪える。
まだ皆さん元気
杉林の中を延々と下る。
山野草に癒やされる。
花粉症の人はと、要らぬ心配も・・・

難所
昔この道は久万にいく主街道だった。
どこからか「三坂馬子唄」が聞こえてきそうな・・・

常夜灯
ちょうど中間あたりにほこらが有る。
その付近には無縁仏のお墓もある。
遍路途中亡くなった人だろう。
南無大師遍昭金剛・・・

休憩所
給水し、元気を取り戻す。
さあ、遍路宿「坂本屋」さんまであと少し・・・
この遍路道も良く整備されていて歩きやすそうですね。
来年度は、友の会での活動はできないでしょうね。伊達博友の会を作って、旧宇和島藩の名所旧跡を訪ねるようなものやりたいですね。
天気に恵まれ、土の道を歩くのは気持ちが晴れる事でしょう。
以前、赤で書かれた道標を設置されている方のNHK放送を見たことを思い出しました。
私の今、一番の希望は奈良の山辺の道歩きです。
もっとも、戦時中は歩兵で中国大陸を北から南へ西から東へ、よくもまあ歩いたものだと、吾ながら褒めてやりたくなります。長江は武漢から南京まで堤に沿ったり離れたり、あのときの戦友、いまはほとんどあちらへ逝ってしまいました。
森林浴、よかったです。坂本屋が何とも言えない・・・
私の憧れは熊野古道を歩くこと・・・延長線上に高野山があります。
先生ほど経験豊富で世界中を歩いている人はいないのではないですか?たとえ戦争であれ、中国大陸を歩いているんですから・・・年とともに脚力の衰えはあります。少しでも歩いて長持ちさせねば・・・暇があれば宇和島市内の散策を・・・
通行量が少なくなれば道は狭くなり、通らなければ道はなくなります。人も歩かなければ膝が劣化します。私は歩かないので劣化してしまいました~(笑)鬼城さんに脱帽です。
運転技術は天下一品です。膝がよくなれば少しづつ・・・しかし、撮影となると痛みも忘れているようですね。(笑い)立っているだけでも疲れると思います。
歩き遍路道、一番整備されていないところは野井坂かな?
宇和島の町ならば、80年前のあちこちを今も楽しく散歩できます。
実際には何処にもない町なのに、私には昨日のように散歩できます。特に朝日町は隅から隅まで。
我が家は長屋で、家賃を溜めて追い出され、廃屋製糸工場の寄宿舎に何年かいたことがありましたが、その前の空き地は、乗馬倶楽部の馬場になったり、ベビーゴルフのゲーム場所になったり、昭和初期って時代は、とことん貧乏なクラスと優雅な人々が隣り合わせになっていても、誰も不平を言わない、じっと耐えた時代でしたっけ。
昔は夢がありました。今はあるでしょうか?それを持たすのに、伊達スピリットプロジェクトが立ち上がるようです。どこまでやることができるか?明日、総会だそうですが、私は所用があり、参加できません。若い人が立ち上がって学校教育を巻き込んで、将来、宇和島に住みたいなあと思わせるような仕掛けをどんどんやっていくようです。つまり、単独でなく、結びついた案となりますね。具体的になれば、協力していきます。若い人たちが動き始めました。
歩こう会に入っていたときは、月2回、10km歩いていました。この日は下りのみ・・・つま先が痛くなりました。山靴だったんですが、靴下が薄かった。それにしても退化しつつあります。年だから仕方がないか。