龍光院の春 | 鬼城

龍光院の春

2015.02.28.Sat.12:00
龍光院

高野山真言宗の寺院。
山号は臨海山。
詳しくは、臨海山 福寿密寺 龍光院と号する。
本尊は十一面観世音菩薩。
四国八十八箇所霊場第四十番札所奥の院、四国別格二十霊場六番札所。
南予七福神・毘沙門天。

  石段  
本堂・大師堂

龍光院は伊達家の祈祷所として、城の鬼門である艮(うしとら)、北東に建てられた。

龍光院2

しだれ梅

境内のしだれ梅は満開・・・

ここからは鬼ヶ城漣損を望むことができる。

龍光院3

丸山に登る道の中腹に建てられた大観音像

お墓の上で、ちょうど故人たちを守るかのようにほほえんでいる。

龍光院4

河津さくら

まだ、一二輪が開いた程度・・・
伊津野河津では満開で桜祭りの頃だろう。

龍光院5

お地蔵さん

ミニ四国八十八カ所のお地蔵さんと河津桜
満開の頃に来てみよう。

龍光院6
コメント
龍光院の思い出
昭和10年の夏だったか、私が商業1年生で宇和島運輸へ給仕のアリバイとに1ヶ月半いったことがありました。夏は覗き岩遊園地が盛んで運輸会社は大変忙しく給仕に先生の紹介で雇ってもらった。子供だから緊張して疲れっぱなし、夜はドロのようになって眠った。龍光院が放火魔に焼かれたのはそんなときで、町中知らないもののない夜中の火事だったが、私は知らなかったので、翌朝出社して皆に大笑いされた。それにしても龍光院はよく焼ける。私の記憶でも3度ある。宇和島の鬼門にあるせいかな。
放火
そんなことがあったのは全然知りませんでした。まっ、生まれていませんでしたから・・・三度も焼けるのは、お城の身代わりかもしれませんね。昔は神社や仏閣を建てるのに方角を重視したいたようです。これも中国からの文化なんでしょうね。
No title
 昨日、下を通ったとき一枚目の写真のように撮影したら面白いのではと感じましたが、面白い構図になっていますね。
 6・7年前の火災の時は、地方局にいましたので屋根のところから黒い煙が上がっているのを眺めました。昼火事だったので、野次馬が多いだろうと課員と話していました。
 河津桜の満開は、まだ先のようですね。昨年は、3/6には満開になっていました。楽しみな桜です。
河津桜
笑隆で~す。様
火事は見に行きましたよ。本堂の屋根が抜けました。しかし、ご本尊様は外へ・・・貴当初ですから、火を使うことが多いんですね。それで火事になるのかも・・・
河津桜、薄紅寒桜、楽しみです。
龍光院の焼けた年には明倫校も焼けましたっけ
第一尋常小学校から明倫尋常小学校に変わってまださして経っていないときです。同じ放火魔に学校がやられ、その時の新聞記事はご真影を校長がつつがなく持ち出せたというのがトップに載りました。もし焼きでもしたら校長先生は生きて居れなかったでしょう。写真一枚といえない時代がありました。
明倫校
木下博民 様
明倫校が火事に遭ったことは聞いたことがあります。ご真影の値打ちが命と引き替えとは・・・驚きました。
毎輪校、最近では大河ドラマで長州の明倫館の方が有名になりましたね。テレビの力、恐るべし・・・
行ったはず
 山仲間と1月2日に二度も七福神巡りで行っているはずのお寺。
 季節が移ったのとサム空と青空に違いがあるからでしょうか。いや加齢のせい?記憶が曖昧です。
 皆さんのコメントからこのお寺の興味深い歴史や戦時中の教育を知ることができました。
河津桜
弥生3月さくらの季節になりますね。丸山の梅ももう少しで咲き揃います。ここの河津桜が咲くのももう少しでしょうね。
No title
 階段のアングルが、何とも迫力満点ですね。大観音様も丸山からお寺に下りてくる途中、立ち止まって見上げると、迫力の存在感ですね。ここの河津桜と寒桜とは、同じもの?でしょうか。
神宮寺・龍光院
吉野の食いしんぼう 様
幼い頃、この二つの寺は、祈祷をしていた記憶があります。なにか怖い感じがしました。神宮寺には、山伏が来ていました。龍光院は弘法大師のお砂踏みの行事があります。ミニ四国八十八カ所も巡ってみるとおもしろいですよ。四国遍路を思い出します。季節はいつでもすてきですね。
お疲れ様でした・・・
うわつ 様
言われるとおり、染井吉野はきれいでメジャーですが、改良種というのが気になります。やはり昔ながらの山桜が良いですね。
どこへ行きますか?笑隆で~す。さんが、宇和津産の行動力を見習いたいと行っていました。
ワイド
tentijin 様
階段は10mmの広角です。しかし、いつもの事ながら力がないせいか、画面が曲がっています。河津桜と寒桜は種類が違います。今朝の愛媛新聞に船越の「緋寒桜」が出ていましたが、これも違います。もとは山桜でしょうね。染井吉野は桜の開花、終わり頃でしょう。
神宮寺と竜光院
神宮寺は天台宗、龍光院は真言宗、いずれも密教で護摩供養があるので子供には怖い感じがするのでしょう。大人だって、あの異常な雰囲気の中には別世界を感じるのです。この世界は、なぜ苦労して四国遍路するのかという問いと同じでしょうね。
龍光院の石段の途中左側に昔、大砲の弾の形の「日露戦争の忠魂碑」があって印象的だった。
密教
木下博民 様
この時代の仏教に関しては謎が多く、漫画や小説に書かれています。ある程度の知識があれば、後は創作が可能だからでしょうか?陰陽師あたりもその影響を受けているのでしょうね。夢枕獏氏の講演を聴きましたが、結構おもしろかった。史実より脚色の方がおもしろいという所以でしょうか。
日ロ戦争の忠魂碑は見当たりません。
龍光院の日露戦争碑宇和島市民が進んで撤去したのですから。
戦時中、大砲弾丸型の記念碑は本当の弾丸にするべく早々に供出しコンクリートの台座は戦後も残っていましたが、いつの間にかこれも壊されてしまいました。石段の途中の左側にちょっと広い段畑のようなところがあるでしょう、そこにありました。
ありますね・・・
木下 博民 様
あの場所に・・・時代が変われば、人も変わりますが。朝令暮改だけはやめてほしいですね。
明倫館
龍光院の放火から明倫小学校の放火の話をしましたら、「明倫館」はテレビのせいで山口(毛利)のほうが有名だといわれましたが、「広辞苑」を開いてみてください、宇和島(伊達)もちゃんと載っています。とくに明倫という言葉は、藩校に多く、明倫館10、明倫堂8ありました。明倫とは人倫を明らかにする、教育の根本目標です。昨今、少年の短絡的犯罪多く、まず日本の教育者は猛省、自戒してほしい。、
全国へ
藩校としての明倫と名前がつくものが多くあることを知っています。一般社会の知名度のことなんです。大河に出たから毛利家の藩校が有名になったと言うこと、只それだけです。

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