寒波 | 鬼城

寒波

2015.02.10.Tue.11:00
宇和島の地形

鬼ヶ城から流れ出る川・・・
海からそそり立っている山容なので、扇状地の形成にはほど遠い。
へばりつくような、街並みである。
私の散歩はこの一方の川筋(神田川)の上流である。
そこには先人たちの残したものがいくつかある。
この桑の木もその一つである。
子どもの頃、ここら一帯は桑畑、つまり養蚕農家が多かった。
現在では残された桑の木が大きく育っている。
樹齢60年ほどとか。
幹周り1mの大木が、冬のさなか毅然と立っている。

桑の木

南天

難を転することから庭によく植えられている。
最近は洋風の家が多く、町中ではほとんど見ることがない。
なぜか、えさがなくなっても鳥たちは食べない。
幹は大きく育つことはないそうだ。
そんな中、床柱にしているところがある。

京都鹿苑寺(金閣寺)の夕桂亭(せっかてい。茶室)はナンテンの床柱で有名である。
ここでは中柱(茶室内にはりだして炉隅に立てた柱)に用いられている。
ナンテンの柱としては日本で最大であろうといわれている。
これは足利義満が海路はるばる琉球王国から取り寄せたものと伝えられている。


南天

白梅

この季節、梅祭りや椿祭りが近辺で開催されている。
しかし開花は中旬頃からである。
しかし、散歩道のこの木だけは、1月末より満開!
理由はわからない。
種類?日当たり?土地(土)?
さてどれなんだろう。
しかし、寒空の下で咲く梅、きれいだ。

白梅1

畑の片隅

道より少し上の畑に咲いている。
遠慮しながら、少し上って撮影した。
バックにあるように、このあたりの畑は使われていないようだ。
猪、鹿よけのネットや竹垣も見える。

白梅1

猪、鹿

このあたりには、夜な夜な猪や鹿が出没するらしい。
畑を荒らして困っておられる。
対策は「ネット」「竹垣」・・・
日本国中、問題となっている荒れた里山。
里と山との堺が無くなっていることにあるようだ。

白梅2
コメント
No title
 以前勤務していた場所にも白梅があり一月下旬から咲き始め、周辺では一番最初に咲く梅として知られています。寒風が吹く中でも咲いてくれるので、春を感じることができました。咲いた後、「枝を切れば」と言ったのですが、切ることができなかったので残念です。
 南楽園の梅も咲き始めで被写体にならないというので、二月下旬頃行こうかと考えています。
季節
笑隆で~す。 様
先週の日曜日、嫁さんたちが南楽園に行きました。土曜日が梅祭りの開始日だったそうで、言ってみると開花している梅は2本だけ・・・とにかく寒かったようです。いつが見頃かわかりませんね。丸山は紅梅が咲いているようです。さあ、梅の次は桜・・・瞬く間に被写体は変わりますね。
東京の今日は寒い
上海の友達の特に寒いと零してきた。ネットって怖いですね、上海も南予も東京も一飲みにして寒さを伝えてくれます。もう、もうあと18日しかありません。いよいよ来月からは宇和島は400年祭、賑やかでしょう。大いに皆さんで宇和島の美点を宣伝、謳歌してください。他人任せは困りますよ、宇和島の皆さん!!
仮想現実
木下博民 様
ネットの世界は、バーチャルリアリティ・・・距離を縮め、時間を短縮する。おもしろい!しかし、信じる前に疑うことも必要である。
伊達400年祭、みんなが言っていること・・・協力しようにも何をするのか決まっていない。もう後一月というのに広報活動も低調。
No title
良い散歩道ですね。桑もこの様に大きくなるのですね。私がひがしやまを干す丸籠は、養蚕用のを農家かから貰った物で、友人のお父さんは養蚕の指導員の仕事をされていた記憶があります。その昔養蚕が盛んだったことを感じます。
 昨日は一時ですが、雪が積もりました。でも、この白梅を見ると、確実に春が来ていますね。
 仙台フィルが宇和島に来ることを何かで見ました。400年のイベントなんですね。
今年の梅は咲く時期がまばらです。でも毎年大超寺奥は早いですね。天赦園も咲いていました。松軒山はあと一週間ほど先でしょう。
散歩道
吉野の食いしんぼう 様
 我が家から宇和津彦神社-愛宕公園-大超寺奥の天満神社-小俣(こまた)-我が家への約2kmコース・・・公園で体操、腹筋。腕立て、懸垂など運動をやっていましたが、現在は腹筋と体操のみです。景色も四季折々変わって楽しめます。
仙台フィル4月12日だったか?伊達400年祭の行事かどうか、パンフなど無いので不明・・・何がどこであるのか、広報宣伝がない。いつものことながら「やっつけ仕事」の感じがします。
うわつ 様
「撮り歩きなんよ」のブログの写真は季節の移り変わりの暦が刻印されていますね。梅の開花にしてもきちんと頭の中にカレンダーがある。情報収集能力の問題でしょうか?
昨日はありがとうございました。感動でした!とにかく老化現象なのでしょう、覚えることが難しい。体で覚えなければ・・・(苦笑)
No title
 これほどの桑の大木は見たことがありません。貧しい日本の農業の中で、明治期以降、唯一まずまずの現金収入となった養蚕業を行っていた農家は、ほぼ例外なく大きなお家に住んでいたようです。南天といえば、確かに床の間に使っているのを見たことがあります。春を先取りする日本人ですから、梅は、桜同様、日本人には愛される花ですね。散歩中に出合ったりすると、ほっとします。
日本の四季
tentijin 様
 梅、桜、青葉、紅葉などなど自然界に残る日本の原風景はいいものですね。またその風景も土地土地で変わる。鬼北町と風の国では景色も違いますね。それもまたいい・・・
久しぶりにお会いして、元気そうで安心しました。また、次々と意欲的に行動され、惚ける間はないですね。(笑い)
 明日、部外者二人(三好先生)またよろしくお願いします。
桑は大木である
子供の頃、南予は平畑といわず段畑といわず桑畑で埋まっていました。ただ葉を刈りやすくするため低く仕上げてそれに小さな枝一杯に葉がついていましたっけ。理科の本で「桑は大木なり」とあって、びっくりした思い出があります。養蚕が不況になり桑畑を転換するとき、根っこを掘り起こすのに大変だったのです。本来大木である桑の根っこが畑中にいっぱいあったのですから。段畑は、蜜柑畑になったり麦畑になったり芋畑になったり、岸(ぎし)だけのこして、あまり目立たなくなりましたね。「桑の実で口染めにけり昭和っ子」
我が家も
木下 博民 様
 我が家の父方は石工、母方は農業でした。桑畑もあり、養蚕をしていたようです。物心ついた頃は、柿の栽培・・・大超寺奥では有名でした。兄が跡を継いで母方の姓「藤(とう)」を名乗りました。この祖父が藤弥助といい、江藤新平を滑床から逃がした案内人だったと聞いています。
 ほんと、お菓子など無い時代は「桑の実」「木イチゴ」「あけび」など食べましたね。今の子どもたちは食べないでしょうね。この大きな桑の木にも実がなります。撮りの食べ残しを口に入れると昔食べたあじが口に広がります。

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