大浦湾埋め立て | 鬼城

大浦湾埋め立て

2014.12.25.Thu.20:00
ここも埋め立て地

樺崎砲台の写真がほしかったので撮りに行ったついでに埋め立て現場へ・・・
徳州会病院のの向こうが、海のはずだ。
しばらく行っていないので分からない。

須賀川河口0

大浦側

ぐるっと回れば赤松方面である。
昭和33年だったか、日活映画「南海の狼煙」の最初のシーンが正面の家・・・
飼ってもない牛が出てきた・・・

須賀川河口1

住吉小学校

右には南予青年の家だったところ・・・
懐かしい。
しかし、県には青少年を育てる気があるのか?
良い施設がもったいない。

須賀川河口2

徳州会駐車場から・・・・

目の前に大浦湾埋め立ての岸壁がある。
目の前は宇和島湾では無く、須賀川の河口
すなわち、須賀川はほぼ直角に曲がっている。
当初の計画では、ここに橋が架かるはずだったが、立ち消えになったそうだ。
住民の通行には便利だし、埋め立て地の活用もできると思うのだが・・・

須賀川河口3

住吉小学校側

造船所はどうなるのか?
このままだろうなあ。
正面の山が黒の瀬峠で宇和島藩の処刑場があったところである。
大浦に行くための河口の橋には「見返り橋」と名が付いている。
囚人が送られるとき、宇和島の町並みを振り返って見たところからだそうだ。

 須賀川河口4 
コメント
須賀川河口となると私の昭和初期の印象が強烈。
この河口の位置は「玉ヶ月」浦といって、相当高い位置に大浦へ超える「見返り坂」といういう台地で、振り返ると新田(今の朝日町から寿町辺り)の向うに城山が望まれた。刑場へ引かれる人はこの坂から城下を眺めたので、「見返橋」など昭和3,4年に新須賀川が出来てからの話。
住吉校前の河口は九島の西側から戻ってくる宇和島商業の遠泳の着地点だったから印象にあります(最も昭和17年の夏、兵隊検査に帰ったとき後輩達と全コース泳ぎきったから印象に強い遠泳)。在学中の遠泳はいまの徳州会病院の辺りが伊豫木材の貯木場になっていて、ここを脱衣場に使って遠泳の練習をしたり、ここから出発点の小高島まで船で運ばれ、10キロ泳いでここに戻ってきた。
昭和3年頃は、まだ須賀川付け替え工事が始まらず、住吉山の海辺に水産試験場があり、そこをさらに北へ進むと住吉山野岩場があって、ボートレースの見物には恰好の場所だった。
青年の家、利用者が減って県は閉鎖し、家や土地は市に移管したのだが、さて何に遣っているのかな? 住吉校の建て替え時の臨時校舎にするとか聞いたことがあったが。
とにかく、須賀川河口は「エンコ」のいるところと評判の玉ヶ月の印象は強い。明治期にはここで心中事件がありひょうばんになった、津村寿夫氏の「宇和島の明治大正史」に載っています。
No title
 かつての南予青年の家に行くこともなくなりましたが、まだ、白く輝いているのですね。本当にもったいないですね。上手く使えばまだまだ活用できる施設なのですがね~。
 また、大浦の開発はどういうコンセプトで進んでいるのでしょうか。「ただ埋め立てたらいい。」という開発なのでしょうか。理事者がNO政なのでしょう。
須賀川
木下博民 様
度々付け替え工事をやっていますね。土地を広げることに宇和島は終始しているように思います。青年の家の跡地は何に使われているか、知りません。ほとんどの市民がそうではないでしょうか。宇和島湾、保手川、須賀川の河口の様子も一変していますね。そのなかでも内港が一番ですね。懐かしい景色も見ることができなくなっています。
山から海へ
笑隆で~す。様
大浦湾埋め立ては、改訂切削の土と処理場建設の土の利用でしょう。構想はすばらしいものでした。大浦住民は賛成多数・・・現在は?というのは埋め立ての先端から徳州会病院前に橋を架け、市内への交通が便利になるからと言う理由です。しかし、橋は架からない、企業誘致もままならないでは、説明ができませんね。議会でも質問が出ますが、有耶無耶で終わりです。考えた人が、何かやらなければ・・・
No title
 大浦の湾が以前から埋め立てられているのは、知っていましたが、いったいどのように活用されるのでしょうね。石応堂崎などの砂浜は、億のお金をつぎ込んで、たいして海水浴客も来ているふうもない海岸になって完成しています。大枚の予算を使って、政治家にリベートが動いたのが大きな目的だったのではなかろうかとさえ思ってしまいます。それに比べて、九島に架かる橋は、長年の冬眠の願いが叶う意義ある事業だと思いますが・・・。
価値観
tentijin 様
表題のごとく、考えた人の価値観でしょう。政治家に対するお金では困りますね・・・これだけ人口が減って、企業も逃げ出している現状なのに、広げる必要があるのか?不思議です。当然、宅地には成りませんから・・・美しい宇和島湾が次々と消えて行っています。堂崎も冬場に行ってみろとゴミも無く、きれいです。海水浴場にすれば良いのにと思います。施設がいるのがネックかも・・・サメよけ、シャワーなどなど・・・
大浦湾
埋め立てで繁栄してきたといっても過言ではない宇和島市です。
しかし大浦湾の埋め立てはあまり進展していないようですね~。
住民は振り回されただけで終わるのでしょうか?
No title
 南予青年の家、名前を聞くだけでも、懐かしいです。大浦は年に一度くらい、1月2日に七福神巡りで歩き、湾の様子を知りました。
 このブログで処刑場の歴史などを知り、「見返り橋」の名に切なさを感じたりです。
三枚目の写真の後ろの山は?
写真3枚目の後ろの山は槙の山ですか? いまちょうど、八幡神が大浦から馬城山を超えて中間に出るというところを書いていましたので興味がありました。これでは須賀川河口が大浦のところまでのびるのですか? すると、大浦の川の流れとぶつかりますね。二つを一つにでもして宇和島湾に落としのですね。100年もすれば宇和島湾は半分になるでしょう。さて、その埋め立て地で、なにをやろうというのでしょう? 長期ビジョンをお聞きしたいものです。付け焼刃では物笑いの種。
不明
木下博民 様
 黒の瀬峠は槇の山(高串)とこの写真の山の間を抜けていく峠です。この山の名は分かりません。地元の人なら何か知っているかもしれません。地図に載っていない山の名前は各地にありますね。宇和島であれば、潮音寺山(ちょんじやまと呼んでいました)などが一例です。

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