自転車 | 鬼城

自転車

2014.12.24.Wed.13:00
三角屋敷

1月に3回の講義がある。
現在の写真を探したが、ハードディスクの中には、全体像が無かった。
講義用として自転車でまわることにした。
寒い!
最初は我が家からすぐのところ・・・
三角屋敷と呼ばれている「楠本イネの住居」

三角屋敷

村田蔵六住居跡

一昨年だったか、蔵六が住んでいた住居はなく、別の住宅が建っていた。
この家が火事になり、跡地を宇和島市が購入・・・
何もない!看板と白壁のみである。

大村益次郎屋敷跡

からくり人物往来

谷有二著「宇和島物語」にこの表現があり、使わせていただくことにした。
樺崎の砲台を撮りに行ったついでに歴史資料館の写真を・・・

この建物は1884年に宇和島警察署として建てられた。
1953年に南宇和郡西海町(現・南宇和郡愛南町)役場として使用されていた。
1992年に故郷の宇和島市に戻り「宇和島市立歴史資料館」として使用することになった。

歴史資料館

樺崎砲台(復元)

村田蔵六が設計し作った5門の砲台、あと1門は移動式だった。

樺崎砲台

穂積橋

先祖は伊達家家臣である。法学者で有名・・・
死後、出身地の宇和島市で銅像の建立の話が持ち上がった。
「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」とそれを固く辞退した。
辰野川に掛かる橋の名前としてその名が残っている。

ほずみ橋

高野長英住居跡

現在のものは、明治期に建て替えられている。
当時の面影は裏に流れている辰野川・・・
幕末は潜伏先として川沿いの住居や宿が多い。
逃亡するのに都合が良かったからに違いない。
ここは家老桜田の別邸だったところである。

高野長英隠れ家
コメント
No title
歴史上で名前を知っていても、宇和島との関連を知ったのは最近のことです。中でも、昔何かの番組で浅丘ルリ子がオランダお稲を演じ、興味を持ちましたが、こんなに身近な所に存在していたとは。
 ちなみに、横にいる母にオイネさんが宇和にいた事知ってると?と聞いたら「居ったの?」との事。坊ちゃん劇場で幕末ガールも観ましたが、大勢の人にもっとこの人達と宇和島の関連が浸透してもいいのにな~と思います。
宇和島は?
吉野の食いしんぼう 様
楠本イネに関する市民劇が西予市であります。指導は「坊ちゃん劇場」とか。宇和島に関する歴史は、何かとんちんかんでよそに取られてしまします。ドラマで油屋熊八もあるようですが・・・別府が舞台で宇和島には来ないようですね。引っ張ってくる知恵がいります。
浅丘ルリ子演じるおイネさんを知っていたら立派なものです。このときも宇和島は何の手も打っていません。JR四国が蒸気機関車「花神」号を走らせたくらいでしょう。これもほとんどの人は知りませんでした。
宇和島史跡も変わりましたね。
私の宇和島は昭和初期(1940年まで)の印象ですから、一番替わったのは樺崎砲台跡、あの砲台の前はひたひたと潮の香が一杯で、台座の堤には松が何本か植わっていました。砲台を見上げる左側に浮き桟橋が大小二つ有り、砲台よりが島通いの船の波止場、それに並んで北側が九州や大阪へ行く船の港。
戦後、改修されて一番不愉快だったのは① 砲台の台座にコンクリート丸出しの改修をしたこと。幕末にコンクリートを遣っただろうか? ② 折角、砲台構築記念碑がありのに、この取扱いがなんとも乱暴で、全く読めないこと、苦労して解読した人が居られるのに、それを活用しようという方が現れないこと。
No title
 私の一番好きな時代のブログですね。
 NHK大河ドラマ「花神」で有名になった日本陸軍の創設者「村田蔵六」こと大村益次郎、現在は、東京靖国神社の参道に銅像がありますすよね~。叔父が、靖国神社に祀られているので東京に行くと参拝に行きますが・・・・。
 大河ドラマは、戦国か幕末のドラマが視聴率を取るのだそうですが、そう考えたら宇和島などは、売り出す機会がたくさんあるのにと思ったりします。
 文化行政は「蚊帳の外」の宇和島市ではダメですかね~。
格好
木下博民 様
 格好付けだけですね。予算もあるでしょうが・・・私を含めて目配り気配りのなさでしょう。今行っても歴史的価値は碑以外にはありません。戦後、和霊小学校が調べていましたが、改訂版が自費出版されました。講演でもされると良いのですが・・・大浦湾埋め立ても完成間近とか。次回、雰囲気だけでもアップします。
幕末
笑隆で~す。様
靖国神社の銅像、立派ですね。文化に対する視点は、実績にならないようですね。それより派手なダムとか、橋とか、拡張工事とかに目が行きがちです。やっとプレゼン10回分完成しました。幕末は話題が多いこと、多いこと・・・しかし、歯切れみたいなもので一貫性が無いことに改めて気づきました。宇和島藩の成り立ちあたりが、ドラマには良いと思います。今年も終わりつつありますが、来年はどんな年になるでしょう。賢公だけには留意しましょう。
穂積橋界隈
高野長英住居跡も知られていませんね~
高野長英のことがTVなどで取り上げられることが少ないからでしょう。
また穂積橋よりも「ほずみ亭」のほうが有名で、この前もBSTVに出ていました。
とんちんかん!
うわつ 様
ポイントがずれているとしか言いようがないですね。しかし、全国展開しても長英や益次郎などは生まれ故郷が大事にしています。はて、生まれ故郷と言えば「油屋熊八」、これも粗末にしています。
穂積橋の碑
このブログには教師ご経験の方が多いのに、なぜ「ほずみ亭脇の「宇和嶋尋常高等小学校職員児童一同が造った『ほづみ橋名の碑』」を宣伝周知されないのでしょうか。なぜ、この学校の職員児童が醵金してあれを造ったか、これが出来ていたからこそ、「穂積橋」が周知されたのです。この碑ですばらしいのは、これを書いたのは校長の宮崎誼義(のぶよし)先生(勿論、故人)ですが、ご自分の名前などそこらそんじょの政治家のように碑面に全く彫っていません。
この碑があるのに、これを押しのけるように今の碑を対岸に造られた方々の歴史無視をどうかと思います。昭和の始の碑が時代とともに読み難いのならば、その副碑的に工夫すればいいのに、残念至極。
学習指導要領
木下博民 様
現在の教育は、学習指導要領を完全実施しないといけません。それには時間が足りません。土曜日が休みになったり、事業字数が減ったりで、教科書を教えるのが精一杯なんです。他のことをやっていたら、指導要領を完全実施できなくなります。これは法律ですから、当然処分対象になります。そのため省力しなければならないことが多いのです。私たちの時代と全然違っています。自由が良いと思うのですが・・・それはだめなんです。郷土史など教える時間が無いのが現状です。
No title
 宇和島の知られていない歴史を顕彰するとすれば、司馬遼太郎のような小説家の方が興味を持って時代を描いていただいたら、ひょっとしたら、坂の上の雲のごとく有名になるのかも知れません。そんな方はおられないでしょうかね。
なかなかいませんね・・・
tentijin 様
 知名度の高い方に書いてもらうとなるといませんね。内容が現状と同じく通りすがりの街だからでしょう。ただ焦点を当てるとなると宇和島の歴史上の人物でしょうね。秀宗あたりが面白いと思うのですが・・・むかし、ある方との話の中で、愛南町の浦和盛三郎が面白いと話したら、吉村昭氏に話したが、乗り気で無かったと・・・単発では面白い話は一杯ありますが、長編となると・・・
郷土史は教室で教えるものではない。
鬼城さん
郷土史は教室よりも生活の中で伝えてゆくのです。「なぜ、閻魔さまがここにあるの」、「なぜ、八つ鹿踊りなの」「吉田はなぜ五つ鹿なの」「なぜ、走り込みっていうの」子供には「なぜ、なぜ、なぜ・・・」の連続ばかりです。それを的確に伝える教師が何人いますか?教がは真剣に学んで、身につけておかなければならないのが郷土史です。そんな時間がない? ないのではなく意欲の問題ですがね。
意欲に流されると・・・
木下博民 様
 昔と大きく違う点・・・学校にいる間は全責任を取らねばならない。教えることも安全もです。教えることの最低ラインは、しそう要領・・・これだけは法律ですからおろそかにできません。後残された時間は、ほとんどが中学生は部活動です。小学生もいろんな大会の練習時間・・・タイムテーブルが決まっています。
 押しかけていく出前授業も希望は少ないです。つまり時間は足りないのです。意欲的に動けば、残念ながら指導時間が減ってしまいます。私が勤務していたとき。10年前ですが、そのときよりも時間数は減っているんです。また教える内容が増えている・・・郷土、地域に根ざした教育の推進などと言う、文部科学省の方針は絵空事・・・残念ながら、これが現状です。
 やるとすれば強制執行しかありません。

管理者にだけ表示を許可する