わらぐろ撮影記 | 鬼城

わらぐろ撮影記

2014.12.20.Sat.12:00
宇和のわらぐろ

「うわつ」さんや「笑隆で~す。」さんが訪れた「わらぐろ」についでに寄りました。
松山に所用があり、大雪の後出かけました。
探し求めていくけれど、例年の場所にはない。
探す時間もないところです。ふと目をやれば、例年とは反対方向に4つ並んでいました。
ライトアップはしていないので、ここではにだろうなと思いつつ・・・
田園風景に溶け込んでいます。

わらぐろ1

凍結

道路、あぜ道は凍っていました。
まだ吹きだまりが田んぼには残っていました。
あぜ道を通って近くへ・・・

わらぐろ2

稲藁ぼっち

この言葉は「うわつ」三のブログで知りました。
整然と並んで、気をつけの姿勢・・・
面白い。

わらぐろ3

この日だけ晴れのようです。

また、日曜日からは寒波のようです。
冬至だから寒いのは当然か?
それにしても東北、北海道の方には積雪被害お見舞い申し上げます。

わらぐろ4

太陽を撮りたかった・・・

工夫する間も、知恵も無く、シャッターを押しただけです。
青空の下ではっしゃしんが映える。

わらぐろ5
コメント
No title
 風の国に行く時に毎週見ている馴染みの風景ですが、雪と青空の背景だと、全く違う風景にも見えますね。「稲藁ぼっち」、初めて聞いた言葉ですが、言い得て妙だとも感じました。まるで八甲田山に彷徨う兵隊のごとく見えておもしろい写真だなと感じました。藁ぐろも、稲藁ぼっちも、子どもの頃には、そこらじゅうに見られた景色でしたが、今では、稲藁は、細かく裁断されて田んぼの肥料になることが多いようです。昔の人は、縄を作ったり、わらじを編んだり、様々利用していました。亥の子なども、宇和島は石ですが、鬼北では、藁すぼを使ってついていました。
ところ変われば・・・
tentijin 様
「わらすぼ」、久しぶりに聞いた言葉です。標準語は「わらしべ」でしょうね。(笑い)こんな風景もわざわざ作らなくては見ることができなくなっています。昔のよき時代の風景は消えていく運命でしょうか?亥の子もだんだん少子化で突かなくなってきていますね。
「うわつ」さんが、青空の下が写真は良いと言っていましたので、ちょうど良いと思って・・・しかし、凍結していました。溝に落ちそうになりました。いい笑いものになるところでした。(ほっ!)
わらぐろ
コンビニ裏のわらぐろですね。いわき駅側には出来ていません。西予市も尻すぼみでしょうか?県外からも撮影に来ていたのに残念ですね。農家の好意で作るわらぐろは限界があるようです。
宇和の田圃
昔、といっても戦後の食糧に困った時代ですが、卯之町の広々とした田圃のなかに汽車が入ると、なんとまあここは豊かな農村であることよ、と羨ましくなったものです。そのころ、私は復員して完全焼失した大阪で一日二食生活のサラリーマンをやっていましたっけ。その宇和の一反区画の田圃が耕地整理で大型区画に整理されたのはその後でしたっけ。私はもう東京に移っていてふるさとがますます遠くなっていました。そのうち高校卒業生を採用するために会社の愛媛担当員になったためしばしば帰省しました。
郷里の友人は、宇和島に就職先がなくて宇和まで通勤していましたっけ。わざわざまた汽車に乗って彼の会社へ訪ねたり、思いで多い宇和です。
No title
 寒さに弱い私にとって、なかなか御神輿が上がりません。しかも天気が今一なので「カメラが濡れたら・・。」と考えると、撮影に行けていません。わらぐろもライトアップが開始されたので、天候と相談しながら足を運びたいと思います。
 昭和の人間にとって、とても懐かしい光景です。
生活
うわつ 様
 気楽に写真を撮りに幾人減と違って農家の人たちは生活があるんですから限界以上のことはされないでしょう。それでも復活させこれだけ続けていくというのには頭が下がります。地域の宝を構成の残すこの姿勢は立派ですね。
 それにしても寒いんですね。雪も凍っていて足が入りませんでした。
宇和
木下博民 様
 宇和旧記などあり、宇和島が中心と言うより、昔は宇和が中心だったのではと思います。吉田分藩騒動も米所は押さえていましたね。宇和町から西予市に市町村合併で変わり、活気づいています。範囲が山(野村・城川)、町(卯之町)、海(明浜。三瓶)と広がり、生活様式も多々あります。一番すばらしいと思うのは、各地区への協力が惜しみないこと・・・これが活気の源でしょうね。
 それにしても夏は暑く、冬は寒い宇和盆地です。
寒いです・・・
笑隆で~す。様
 晴れだったのですが、空気はぴっしとして凍てついていました。Lawsonに車を止めて田んぼの降りましたが、駐車場が凍っていてこけそうになりました。道も凍っていました。
 やはり、米所宇和ですね。旧宇和島市に田んぼが残っているのは祝の森と薬師谷、高光くらいでしょうか?はて
高光にあったかな???と言う具合に食糧難の時代がやってきたらと考える今日この頃です。
卯之町に比べれば宇和島など歴史のうえでは幼児並み
戦国時代の宇和島(こんな名前すらまだない)が板島なる海浜の小島に城砦を設けたのはいつごろからか? それすら宇和島人はあまりにも無関心、とにかく秀宗が嫌々ながらやってきて、宇和島よりも宇和青葉城のほうがいい、となかなか館に戻ってこられないのに困り果て、父親政宗差回しのお目付け役の山家清兵衛までしばしば諫言します、それほどに宇和島と宇和は、この時点では文化落差があったのかもしれません。
それにしてもなぜ宇和島を本城にしたのでしょうね? 領地のより中心地で遠浅とはいえ曲がりなりにも港が出来ると思ったからでしょうかね。
海に関心が薄くなったら宇和島は、卯之町に劣るかもりれません。言いすぎかな。
縄文時代から・・・
木下博民 様
講義の都合で歴史の初め頃から本を読み、高校以来の日本の歴史について調べました。遺跡は宇和、鬼北、愛南あたり・・・宇和島付近には印も無かった。(歴博の地図より)先生の言われるとおり、目指すべき道筋が無いと宇和島は取り残されますね。さてさて・・・
No title
 「稲藁ぼっち」可愛くて的確なネーミングだと思いました。今秋、私の散歩道でも見られました。此方ではもう藁グロの風景は見られませんが、子供の頃、藁グロにもたれかかった時の温かさ、干し草の香りは覚えている気がします。
 山でも感じることですが、雪を被る風景は一段と美しさを増すようですが、寒さに負けそうになることしばしば。今年は雪が多いのでしょうか。宇和と言えばもう一つ、どんぶり館で黒豆買ってくるよう、v-510から仰せつかっておりました。そろそろ行かねば。
黒豆
吉野の食いしんぼう 様
どんぶり館の黒豆は名物なんでしょうか、それとも現物か?
雪景色はきれいでいいですね。しかし、溶けてぐちゃぐちゃになると幻滅します。里の雪はいろんな場面があり、ロマンティックです。しかし、山となると・・・北アの猛吹雪は忘れることができません。
藁黒、昔の家(大超寺奥あたりにもたくさん作っていましたね。ほんと、言われるとおり、もたれるとあったかったなあ・・・

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