元結掛 | 鬼城

元結掛

2014.12.09.Tue.18:00
馬目木大師

予科練のコースから寄り道・・・
元結が木に掛かるところから長命になったと言われている。
元々は海岸端である。

姥目樫(ウバメガシ)があったところから、馬目木大師の名前がついたと言われている。
馬目樫ともいうそうだ。
お参りしやすいように、九島の鯨大師をここに移している。
正式名称は願成寺という。

路地の奥にひっそりと・・・

豆木大師1

12月5日だったか・・・

銀杏が落葉し、絨毯となっていた。

豆木大師2

名前の由来の木

小さな木が植えられていたが、よく見ると枯れていた。
管理は誰がしているのだろう?
歩き遍路の方で訪れる人もあるようだ。

豆木大師3
コメント
馬目木大師
俗に「馬目木大師」と呼ぶ40番観自在寺の奥の院は1687年発行の真念作「四国遍路指南」に「城下町の入口に願成寺、又はもといぎともいう。由緒ある寺なり。本尊大師の御影、札を打つなり。すこしゆき橋あり。番所あり。切手改む。」とでていて、由緒ある寺だったのだが、明治初年廃仏稀釈でこの寺無住となり、奥の院が現在の龍光院に引っ越した。もっともこの寺も九島願成寺鯨大師が本家で、遍路に不便というだけで、海岸の馬目木に札を結んで遥拝した遍路のためにここまで寺が出張したわけ。
九島に架橋完成のあかつきはぜひとも本来の鯨大師が奥の院であることを願ってやまない。
中途半端
木下博民 様
 遍路道は元結掛の通りを佐伯橋に向かって歩き、天赦園入り口より、城に至っている・・・歩き遍路の方は奥の院もお参りする方があり、ここにも寄っている。しかし、さびれた奥の院では・・・竜光院に向かう人が多いでしょうね。九島に渡るかどうか?九島活性化するためのプロジェクトもあるようですが、一般市民は知らない。イベントの後、あったの?という感じでしかありません。広報不足は否めない。
No title
 路地の奥にひっそりと佇むこんな祠を見ると、昔の人々の思いが、少し垣間見えたり、来し方との時のギャップを感じたりします。私の住んでいる地区にも、そんな場所がありますが、10年ほど前までは、歳をとられたお祖母ちゃんが、毎日お参りをしていました。伝説も残っており、ここは、旅行く武士が近くの山城から弓で射殺された場所で、死んだ武士を祀った祠だという昔話も、もう誰にも伝承しない時代になり、誰も参る姿を見なくなりました。
No title
遅いけどやっと解りました。鯨大師が移ったのが此所なのですね。今年は銀杏の鮮やかさが際だっていた気がします。
 吉野の私の家の近くのお地蔵様も歴史があり、近所の方がボランティアでお掃除して貰っていましたが、高齢に成られ、今は班で当番制にしています。町史にいわれは掲載されていますが、人から人への伝承はほとんど無いかもです。
習わし
tentijin 様
 先日、散歩の途中で私よりずーっと年上の方と話しました。その方は神社の下で手を合わせておられました。こんな風に手をあわすのが、昔人と・・・神仏を信じなくても若者たちに礼を尽くすことだけはやってほしいと言われていました。
 寂しいことですが、いずれ消え去る運命なんでしょうね。
寂しい限り
吉野の食いしんぼう 様
よき伝統は残したいですね。しかし、伝える人がいなくなっては、消え去る運命かもしれません。町や村にはこうして消えてしまった伝承や言い伝えは数多くあるでしょう。掘り起こしも今からは大事ですね。
銀杏、色づきには温度差があるようです。黄色が鮮やかだったのは、ここ数年来のこと・・・しかし、」緑のまま落ちる銀杏もありました。やはり育った環境と天候のせいでしょう。紅葉の葉の巻きが気になりました。
No title
 最近歩いていないので、妻から冷たい視線で見られています。右臀部が痛いのと冷たいので屋外に出るのがおっくうになります。それにしても館長さん凄いですね~。頭が下がります。m(_ _)m
 時々ブログに「馬目木大師」の話が出てきますが、場所がよく分かりません。どの辺りにあるのですか?
スーパーマルミ
笑隆で~す。 様
 今はもうありませんが、神田川の泰平寺の下にスーパーがありました。そこを元結掛の方に50mほど行った左側に木の年輪の看板があります。その路地を入ったところです。もう少し向こうに行って同じく路地を入ると、伊藤監督の生家もありますよ。
 元結掛は海岸端だった所為なのか分かりませんが、魚屋さんが多いですね。4,5件あるんじゃあ・・・木下先生の著書では遊郭もあって賑わったとか。
馬目木大師
子供の頃この近くに住んでいた時期もあったけど憶えていません。
そういえば看板は最近見たように思います。
行ってみます。
元結掛界隈をもっとみなさんお調べになりませんか、面白いですよ。
とにかく関所の外にある下級武士の集落でしたから、道路も狭く、複雑。ご存知かどうか、愛媛新聞の前身「南予時事新聞」の出発点が元結掛だったことご存知ですか? おそらく新聞社の若い記者諸氏もご存知ないでしょう。
ここは明倫校区
うわつ 様
宇和津校に来る前ですか?「うわつ」さんも転居しているんですね。馬目木大師などは大事にしなければならないところなんですが・・・宗教施設なので行政は手が出せません。大師講などで整備していただくとありがたいですね。現在は近所の方がお掃除などされているようです。
南予時事
木下博民 様
南予時事は知っています。なぜかというと父が勤めていたからです。すぐに愛媛新聞になって退職まで宇和島支局にいました。関所は佐伯橋の元結掛側ですか?
南の関所はもっと上です。
泰平寺辺りだったかな、そのもう一つ上の勧進橋かな、狭い元結掛の通りがありますよね。あれが元結掛の本通、ということはその西側はまだ浜じゃないですか?御殿につづく天赦園一帯、もちろんいまの東高あたりは全部御殿(宗城公の隠居御殿かな)の一部ではなかったのですか?
私は、この辺りの地図に疎いのですが、橋を渡ってお城下に入ると市立病院の東南角に道路のやけに広くなっているところがありますが、あれが関所と関係のある場所ではないのでしょうか? 間違っていたらご免なさい。
北と南の関所位置くらいなにかに判るようにしてほしいですね。入府400年祭という節目にでも、有志がカネを出し合って。
関所は佐伯橋
木下博民 様
馬目木大師のところが、遍路道ということは、佐伯橋を通ってお城下に入る道なんでしょう。当然、西側は海・・・そして御殿をよけ和霊神社方面、龍光寺、仏木寺方面へと向かうのでしょう。伊達家には関所の地図があると思います。
看板も立てる場所が無く、許可が下りないようですね。実行委員会の皆さんがどんなメンバーか知りませんので、呼びかけは難しいと思います。つまり音頭取りがいないですね。

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