吉田町秋祭り | 鬼城

吉田町秋祭り

2014.11.05.Wed.18:00
吉田藩総鎮守
八幡神社

吉田藩初代宗純が建てたと言われる守護神である。
祭りに関しても宗純の吉田藩安堵の気持ちが表れている。
吉田町秋祭りは午前5時、卯の刻相撲で幕を開ける。

吉田町秋祭り1

石段

お練りの時間まで間があったので、八幡神社をお参りした。
お練りや山車、神輿などに人出がいるためか、神社には人一人いなかった。
祭りに神社が空き家というのも珍しい。

吉田町秋祭り2

本殿

いわれのある神社、そして歴史がある神社で風格がありすばらしい。

吉田町秋祭り3

参拝所

大社造りだろうか?
奥にはご神体を祀る建物がある。
変額は「八幡神社」

吉田町秋祭り4

和霊神社

お参りを済ませ、裏へ回ると和霊神社が・・・
勅使河原父子を宗純が上意討ちした。
その後の変異に対して和霊神社を建立し、鎮めた。
Y氏よりご指摘があり、訂正します。
ありがとうございました・・・

吉田町秋祭り5

神馬

残念ながら本物で無く、塑像である。
昔は御神馬と言って、馬を飼っていたと聞いている。
今でも大きな神社には御神馬を見ることができる。

吉田町秋祭り6
コメント
立間八幡の創建由来
「南豫史」久保盛丸著 によると立間八幡は、治承年間(12世紀、平安末期)に田原又太郎忠綱が勧請、伊達家代々尊信とあります。
すなわち立間郷の社としてあったものを後年、吉田伊達藩が民意集約の一つをして崇敬したのでしょう。
田原又太郎忠綱なる人物につて、ご存じの方、ご教授ください。
立派な神社ですね。吉田に山の会の事務所を借りているので、月1は月例会で行くのですが、訪ねてみたい所が増えました。
 多くの人が繰り出すお祭りに「八幡神社」散策独り占めでしたね。
 子供の頃、宇和島の和霊神社に行くと、白い馬の像があったのをよく覚えています。意味が解りました。
やはり地域
木下 博民 様
地域の守り神だったのですね。
♪♪♪村の鎮守の神様の今日は・・・♪♪♪この歌も宗教と教育と分離で歌わなくなりましたね。
吉田の方で研究されている人がいるかもしれませんね。このブログをご覧の方で知っている方はご連絡ください。
初めての経験
吉野の食いしんぼう 様
お祭りに神社が留守になるのを初めて知りました。縁日が立って子どもたちが、一杯出て賑やかな神社を想像していました。夫婦借り切り(失礼)でしたから・・・
金比羅さんには、生きている馬がいたような・・・
紅葉も
なかなか立派な神社でした。紅葉も楽しみです。
紅葉
うわつ 様
 やはり、神社仏閣は昔のままの建築物が良いですね。コンクリートや銅板ふきの本殿では重さがない気がします。
 紅葉、吉田も大乗寺ほかいろいろと在るようですね。そろそろ里に下りてくる頃でしょうか?
 吉田が、分家した伊達藩であることは知っていましたが、祭も神社も伊達家との関わりが深く、歴史の裏打ちがあるのですね。初めて知りました。確かに神社に馬を飼っていた証が残っていたりするのに遭遇することがあります。なぜ馬が神馬として扱われることがあったのでしょうか。素人考えでは、人間のレベルを遙かに超えて走る力を持つところが神に近いと認識されたのでしょうかね。また、その肉体も、贅肉を付けず、美しい肉体であるので、尊崇の念に通じたのでしょうか?
tentijin 様
馬はお供えだそうです。その馬を神社は各行事で使うようになったとか。しかし、馬は効果なので奉納することが難しく、絵馬になったそうですよ。
吉田藩もほかの大名家と同じく神や仏を大事にしたのでしょうね。

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