森の魚と秋桜 | 鬼城

森の魚と秋桜

2014.10.27.Mon.18:00
コスモス祭り

三間勤務の頃だった。
コスモス祭りが始まった。
もう10年以上前になるか?
場所、コスモスの種類は変わり、祭りも縮小の一途をたどっている。

コスモス1

矮性のコスモス

育ちが早いので空き田に植えるには良いと・・・
昔はドラム缶(200l)何本か種を買っていたが・・・

コスモス2

中山池自然公園へ

コスモスの花がまだ咲ききっていないので中山池へ向かった。
キバナコスモスが満開・・・
豹紋蝶が飛んでいた。

コスモス3

巨大な森の魚

数年前に亡くなられたとお聞きしている。
藤部先生の「森の魚」である。

森の魚1

目玉

ユーモラスな中に毅然としている石刻
森は木々を育てる。木々は植物性プランクトンを育て海に流れる。
海ではそれをえさに魚たちが育つ・・・
森と魚は切っても切れない関係である。

森の魚2

ヘラブナ

この魚は押すと回るようになっている。
親子連れの子どもたちが一生懸命回していた。
ほほえましい、一コマ・・・

森の魚3

コメント
 三間の黒川に藤部姓があります。版画家の中尾さんも、黒川の人だと思う。彫刻家の藤部さんも黒川かも知れませんね。黒川は、鬼北との境目にある奥まった地域です。私が知っている黒川の方も、個性的な方でした。狭い地域ですが、何か芸術家を育てる風土があるのかも知れませんね。
 第一回目のコスモス祭りに小さかった息子たちを連れて行った記憶があります。何時から中山池周辺になったのかは知りませんが、言われるようにだんだん縮小していっている感じがありますね。
 藤部さんの小さな作品を購入したいと思っていましたが残念です。
 昔、大野ヶ原の藤部さんの仕事場を訪ね、だるまストーブの上で栗を焼いて頂いた事があります。私もちっさな作品欲しいな~と思っていた一人です。故人となられ残念です。コスモスも三間勤務中頃が最高だったように思います。
中山池は、秋・イルミネーションの冬と訪ねたい場所ですね。
 魚を廻す子供達、藤部さんも空から見ておられるのかも。
藤部さん
tentijin 様
間違いなく黒川の方だと・・・藤部姓はこの一族の方だけでしょう。イタリアで修行され、大野ヶ原で石刻を・・・大作はクレーン車で運んだとか。亡くなられて3年ほど経ちますか?小学校などに出前授業で出かけられていましたね。
お魚館
笑隆で~す。様
藤部さんの作品は松野の虹の森で売っていたような気がします。高くて手が出なかった記憶があります。中学校に初期のものがありましたが、良いものでは無かったような気がしました。黒御影石でつるつるに磨いたものでした。
何かの拍子に花開くのが芸術家・・・笑隆で~す。さんも写真家として名前が挙がるかも・・・がんばろう!
中山池
吉野の食いしんぼう 様
できた当初から知っています。久しぶりに(イルミネーション時期は別にして)言ったのですが、クヌギの気も大きくなり、良い場所になっていました。家族連れが散歩していました。
コスモス祭り、縮小傾向ですね。残念です・・・
いつか消えるでしょう
見るからに貧弱なコスモスになりました。なので行かないことにしています。青空を背景にコスモスを入れるには寝転んでもダメでしたから(笑)
以前はヘリコプターも来ていたように記憶しています。宇和島市はイベント縮小方針ですね。残念です(*ノω゜)
何もかも縮小・・・
うわつ 様
見栄っ張りでは市政になりませんね。あるものを大切にする気概が無いと・・・矮性では青空は望めませんね。モグラなら別ですが・・・(爆)
三間は懐かしい里
私の最後の故郷紀行は三間がほとんどでした。その三間にも古い思い出のほうが一杯。私の2年後輩に藤井岩夫という親友がいました。彼は宇和島商業学校を卒業すると一時三間の小学校の先生をやっていました。昭和17年夏だったか秋だったか出征する最後の時間、三間まで彼に会いにいきましたら、彼は大池の堤に寝転んで、こどもたちに絵をかかせていました。仕方なく臨時の先生になっていたようで、私をみるなり「僕も志願します」と唐突にいい、その後本当に戦車兵になってしまいました。私は中国の戦場、彼は戦車兵から諜報員になって最後は四国防衛軍の諜報将校で終戦を迎えたことを戦後に知りました。その彼も故人です。大池の側を通ると、思い出しのはいつも彼でした。
灌漑池
木下博民 様
宇和島地方にも香川と似た灌漑池があることをほとんどの子どもたちが知りません。先生が友達との交流を通して語られるような風景が、将来頭の中から(目には見えても)消えていくのでは無いかと心配です。水争いの話なども聞きましたが、もう過去の出来事・・・二本の国はどこへ向かっていくのでしょう?

管理者にだけ表示を許可する