須賀川 | 鬼城

須賀川

2014.10.23.Thu.17:00
深まる秋

今月初めより、風邪をこじらせ無理をしたため微熱が続き、ダウン・・・
快方に向かったので友人宅へ届け物を持参する。
須賀川の川沿いに自転車を走らせた。
写真はスマホにて・・・


須賀川1
右手が城北中学校

春には桜が咲きほころぶ。
土手にはススキが・・・秋の気配・・・

須賀川2

太鼓橋

御幸橋である。川面の映る影と一体になり太鼓・・・
明治以前には、須賀川は左手の道路向こうを流れていた記録がある。

須賀川3

今は引き潮

和霊大祭は潮によって神輿の走り込みが難しくなる。
今年は頃合いだったようで。

須賀川4
コメント
 いやあ、更新が遅いなと思っていました。大丈夫ですか?季節の変わり目は危ないタイミングです。お気を付け下さい。私も体調は今一なので、散歩を再開しました。山は、帰れなくなるといけないので、運動公園ぐるぐるコースにしました。グランドを早足で歩きます。30分間の初心者コースです。秋、今から深まっていきますね。
須賀川は私のふるさと
小学校3年のとき、森安橋から下流が今の流れに付け替えられました。御幸橋はそのときに今の位置に変わったのです。それまでは和霊神苑のところに木の太鼓橋が架っていました。いまの川筋の御幸橋より上は神苑で参道がありました。下は少し低くなっていて北陽花街になっていました。ですから、田舎の青年は和霊さんのお祭にはここを覗くのも祭りの楽しみだったでしょう。もっともこの花街ですら、できたのは大正のはじめ、このあたりの田圃を土地会社が市街地にしてからのこと。
和霊さんの門の左に大きな楠がありますね。3葉目の写真に出ていますが、ここには空襲で焼失するまで松の木が植わっていて、私は小学校3年のとき、選ばれてこの松を全紙の画用紙に写生して、学芸会で披露したことがあり、忘れません。
 ブログが更新されていて安心致しました。
 水面に写った橋、面白い風景ですね。ススキもまだ若いって感じでこれから秋が更に深まり、風景も移っていくのでしょう。山が私をも呼んでいます。
 無理されませんよう。
 
御幸橋バックの芒
宇和島の一大名所和霊神社の御幸橋の脇に自生の芒の穂波とは、さすがに鄙の町。ことさらかもしれませんが遠景の中にも人影なく、ちょっとさびしい感じです。芒穂の光る川辺や御幸橋
歳ですね・・・
tentijin 様
ご心配掛けました。ほんと、長引いています。年はとりたくないもんですね。しかし、時は流れる。気をつけたいと思います。体力と食欲があるので何とか・・
変遷
木下博民 様
和霊神社も歴史から言うと400年近く経っています。どのように替わっていたかは、佐々木先生の記録にあるようです。2020年は山家清兵衛が亡くなって400年・・・金剛山、和霊神社で盛大に催しをするとか聞いています。しかし、東京オリンピックさなかですから・・・
紅葉間近
吉野の食いしんぼう 様
ご心配掛けました。山が呼んでいますよ。復調まであとわずかなところまで来ました。長かった・・・紅葉を訪ねて山の散策をしたいですね。
最近は
木下博民 様
松山から日帰りツアーが何本もあるようです。しかし、寄るところは「段畑」「天赦園」「きさいや広場」・・・愛南まで行くものは「南楽園」「牡蠣食べ放題」などと職に結びついたものが多いようです。歴史は敬遠されるようです。
 宇和島にやって来て35年、昔の様子は知りません。
 南青に勤務していた時代に一番大事な仕事が、年一回土地の境界を確認することと接している地主の確認でした。その確認資料となるのは、法務局の地図でした。
 その地図には明治時代(?)に作成された地図で、「内務省」と書かれていました。現在流れている川の所は土地がありように記述されており、「何で????」と思ったことがあります。昔からお住まいの先輩に聞くと「須賀川は、付け替えられて今の位置になったんだよ。」と教えていただいた。
 川一つ見ても大きな歴史があるのですね。
自然
笑隆で~す。 様
 いつも問題になるのが自然か、開発かですね。宇和島は鬼ヶ城にしがみついているような土地ですから、埋め立ては必要だったのでしょう。しかし、今考えてみると堀の無い城は・・・今となっては国道ですからどうしようもありません。観光資源で活用できたのに・・・
 同じく川の付け替えで和霊神社の敷地は半分くらいになっています。これもなあと言う感じがします。これからどこへ向かうのでしょうか?
良かったデス
完治されたようですね~
良かった~~♪(゚▽^*)ノ~☆
感謝!
うわつ 様
頼まれ仕事でまた・・・なかなか戻りません。ご心配掛けます。

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