寺町通り北 その2 | 鬼城

寺町通り北 その2

2014.10.07.Tue.08:00
竜華山等覚寺

見事な山門である。
多行松が両サイドに植えられていたが、左側の松が枯れてしまったようだ。
子どもの頃には庭に「龍吟の松」と名付けられた松の大木があった。
伊達家初代秀宗が埋葬されていて、伊達家歴代の御当主の墓もある。

竜華1

等覚寺本堂

庭には牡丹の花が数多く植えられ、開花の頃には大勢の人が訪れる。
伊達家の墓は西と東の二カ所に分かれている。
この寺には仙台から入部のおり、同行した農民や商人、工人たちも眠っている。

竜華山2

潮音寺

この寺の後ろの山を潮音寺山という。
子どもの頃には道があってよく登ったが、今はあるかどうか?
寺もご住職が亡くなられ、無住になって久しい。

潮音寺1

潮音寺本堂

この寺の法要などは、同じ宗派の光國寺さんが見ているとか。
百日紅も寂しそうである。

潮音寺2

法空山選佛寺

寺を訪れると、ご住職の奥様がいて、しばらくお父さんについて話をする。
以前にも書いたが、お父さんとは、小中高と同級生だった。

選佛寺1

萩寺

秋になると白萩、山萩が咲き乱れる。
昔は現在の本堂の前に離れがあり、先々代の和尚様より、抹茶をごちそうになった。
最近はお参りをする人のことを考えてか、車が入るようになった寺が多い。
昔は盆暮れ彼岸には、お参りのため辰野川沿いを歩く人が多かった。

選佛寺2
コメント
竜華の山門
竜華といえば、橋を渡ると厳めしい山門と松が正面にあり、右へ曲がれば野川の宇和島商業の寄宿舎があり、橋のたもとには水車小屋があっていつも水車が動いていた。橋の左が花生園という一角でその一軒に国漢の教師荷見先生の家があって、よく遊びにいった。先生の家の裏口は潮音寺や選仏寺へ行く小道があって、ときどき喪服を着た一団が通っていた。戦災で花生園や竜華の本堂が焼けて、残っているのは山門だけ。これも手入れしないといつかは朽ちる。寺の維持は住職ではなく檀家の努力だから、檀家の財力と維持力のない寺はやがては神宮寺のように廃寺になってしまうでしょう。寂しいことです。
ここは見慣れた風景です。お茶を習っていたとき、時々、講習会が龍華で有りました。皆さんに見て貰い、京都からの講師に指摘され、毎回ドキドキのじかんでした。ボタンや桜の美しい季節も良いですが、私にはあの緊張感と繋がるお寺です。
 今、ノンビリ過ごしていると、少しは緊張する場面も必要なんて思ったりもします。
 大学2年の時、宇和島YHに手伝いに来ることになった。その時には、竜華山には大きな松の木があった。しかし、松枯れの被害にあって切ることになったようで、大型クレーンでつり上げては切っていたたのを間近に見ていた。我が身を切られているような思いになったのは、同じ「松」だからではないだろうか。
 その後、松が植わっていた場所に「牡丹」を植えて、今では「牡丹の寺」として有名になってきている。
 宇和島伊達家の菩提寺としての本堂としては、「いささかいただけないな。」と思うのは私だけでしょうか。山門と本堂のギャップが何ともいえない。
寂しさ
木下博民 様
昔ながらの寺が無くなるのは寂しいですね。支える檀家の数が、将来減ってくることは事実ですから・・・今日も講義で行ったことは、宇和島の昔の情景はほとんど残っていないのが残念だという話をしました。枯れるものは仕方がないにしても、歴史あるものは大事にしたいですね。
造り
笑隆で~す。様
機能か歴史かの課題ですね。四国遍路のうちにも、ここがお寺?というところがあったと思います。寺の檀家さん方の考えにも寄ると思います。その場合、ご住職の考えはもちろん入りますが・・・
今から「牡丹寺」として有名になると良いですね。
今も・・・
吉野の食いしんぼう 様
竜華はお茶会の場が多いですね。禅宗のお寺では、お茶も座禅と同じくらい必修の場のようですね。もちろんご住職もお茶の心得がおありのようです。
緊張感、無くなったときは冥土への旅立ちでしょう。今も緊張感のまっただ中にいます。明日の生活は?などと・・・(爆)
 竜華前に母の友人が住んでいて、よく連れられて遊びに行きました。小学校入学前に、竜華前に移り住み、今思えば、その頃が私の人生の極貧生活を送った日々でした。1週間、毎日、3食のおかずがニンジンの煮物でした。私はめっぽう明るく近所のガキ大将でしたが・・・。竜華という言葉の響きは、そんな日々から、私の心の中では切り離すことができない気がします。
宇和島に近付いてくるノーベル賞
今朝発表されたノーベル賞の中村修二さんは伊方の産。大洲高校から徳島大を出で、日亜化学に入り、青色LEDを開発し、会社を儲けさせたが貰い分過少と喧嘩して会社から若干金を貰ってアメリカに渡った一刻な、なんとも言い出したら引っ込まない南豫人らしい人物。でも大いに結構なことです。ノーベル賞が大江から中村と徐々に宇和島に近付いているようです。私の眼の黒いうちに宇和島からもその知らせがほしいが、それは無理かな? 来年は彼を宇和島へ呼んでぜひ講演させてほしい。もちろん中・高生対象に。もっとも彼の事ですから講演料は安くない。いちはやく契約されては。
時代
tentijin 様
 何もない戦後の時代、遊び場所はお寺か神社・・・山の中、川でしたね。食べ物は芋が多かったように思います。それでも学校、放課後は毎日おもしろく過ごせました。時代とともに幸せ感は替わっていくのでしょうね。
 竜華前から妙典寺前へ転居されたんですね。
伊方・大洲
木下博民 様
大江さんの時も話はなかったですね。伊予八藩がこんな時に邪魔をするんです。愛媛県人とひとくくりにできない要因の一つです。昨日の講義でも取り上げました。
中村市は小一まで伊方小学校にいたそうです。それから大洲へ・・・LEDの著作権問題で評判になりましたね。このときからノーベル賞の話は聞いていましたが、長かったですね。コメントで日本の学者への評価は社員という感覚だと・・・だから自由な研究ができないとも・・・宇和島では継続した研究をしている人がいないので、ノーベル賞は無理でしょう。
いい奴だった
学校のPTAや校区や自治会活動。外国まで行って仏教会の活動など精力的にやっていた。彼が亡くなって3年位かな~いい奴は早く亡くなる。
その通り
うわつ 様
頭の中に笑顔が浮かんできますね。そんな人間とのつきあいができ、良い人生ですね。生きているもの同士、これからもよそしくお願いします。

管理者にだけ表示を許可する