寺町通り南 その二 | 鬼城

寺町通り南 その二

2014.09.27.Sat.12:00

妙長山法圓寺

日蓮宗の寺で宇和島藩第四代藩主御生母、並びに奥方の菩提寺として創立。
第七代藩主御生母の墓もここにある。

左横は「立正保育園」戦後より保育事業を展開している。
評判よく、入園者も多い。

法圓寺1

本殿前

保育園の運動場ともなっている。
この寺には伊達家の中心の一人「萩森(はぎのもり)宏綱」の御霊屋がある。
歴史については別の機会に・・・
五代村候の時代に山家家が再興された。
宇和島藩山家家の墓もここにある。
御子孫の方は転居され、宇和島にはいないようだ。

法圓寺2

神田山泰平寺

このお寺が有名なのは「平和の鐘」があること・・・
世界の多くの人の願いをこめるため、世界各国のコインとメダルを鋳込んで作っている。
作成者は故もと中川千代治市長。
当時自分が回って集めていた26カ国のコインを入れて鐘を鋳造。
これに「世界絶対平和万歳の鐘」と銘を入れ、寄贈したものです。
その後、この動きはさらに大きくなりました。
国際的な協力の中で、ニューヨーク国連本部にも「平和の鐘」が置かれています。

泰平寺1

朝の座禅会

友人も参加していたが、今はどうだろう?

泰平寺2

遍路道

宇和島の人にもあまり知られていない。
番外札所ではないようだが、正式な遍路道にある。
元々は九島の願成寺・・・
別名鯨大師ともいう。
お参りが不便と言うことで元結掛に移された。
歩き遍路の方がお参りする姿を見かけることがある。

馬目木大師1

元結掛

元々、この場所は海岸端であった。
道を通る人が髷の元結いを馬目木の木に引っかけることから町名になった。
右奥に馬目木の木が植えられていたが、今では枯れている。

馬目木大師2
コメント
通いました
馬目木大師の看板は見ていますが行ったことがありません。そして馬目木をどのように読むのか知らないのです。読みかなをつけてもらうとありがたいです。
法圓寺は保育園なのか幼稚園なのかわかりませんが幼い頃通いました。
悪さをすると本堂の下の檻に入れられました。今では良き思い出になっています。運動会は明倫小学校の運動会と一緒にやっていました。
まめぎ
うわつ 様
うばめ樫のことです。堂崎に市指定の天然記念物になっていますね。たぶん、市木だったかと・・・立正保育園は昭和21年、先代の和尚さんが設立され、現在に至っています。我が家の子どもたちもお世話になりました。
 九島に行ったら、鯨大師によく寄ります。橋ができたら、本来のお寺参りが増えるのかも知れませんね。
 立正保育園は私の山仲間のKYUさんが長く勤めていました。この保育園の評判は松野の私も聞いていました。
 法圓寺というのは、泰平寺 の裏手の方ですか?私も妙典寺前に住んでいた頃、あの辺りの保育園に通っていた記憶があります。小さな池があり、夏にはそこで泳いでいたように思います。私も、悪さをしては、度々本堂の下の薪を入れたりする床下倉庫に入れられました。ただ運動会は、宇和津小の次期新入生として出演していたようだったと思うので、私の記憶の中の保育園は、うわつさんの言われる法圓寺ではないのかもしれませんね。
馬目木大師周辺には何度いったことか
元結掛を舞台にした文章を書くたびに、帰省すればここを訪ねました。
馬目木大師(観自在寺奥の院)が九島の鯨大師参拝の不便を改めるためにできた奥の院札所でした。
馬目木の浜から鯨大師を遥拝し、納経札を「まめ木」に結んで遍路はお城下に入った。そのうち寺(願成寺という)まで九島からこちらへ移した。明治の廃仏希釈で元結掛の願城寺は廃寺、大師堂だけがかろうじて残っていた。そこで観自在寺の奥の院は便宜的に竜光院に移しいまにあります。
ところで九島も、やっと橋がかかるから、もう離島ではなくなる。ならば、今も立派な願成寺なるてらを九島蛤の集落の方々が護っておられる鯨大師があるのだから、今度は奥の院も本来の場所へ戻っていただいてはいかがでしょう。お遍路さんに宇和島の景観を西側から見てもらえるし、宇和海の夕日が拝めるいいチャンスになりましょう。
馬目木は、地名「元結掛」の由来でもあること、若い方々はご存知でしょうか。「もっとい」ということばすら死語、「もっといがけ」ではなく「もっといぎ」これも馬目木以上に厄介なことばですね。地元の人でなければ読めない。
幼児教育
吉野の食いしんぼう 様
現在の園長先生は息子さんですが、お母さんは何度も表彰されていますね。たしか、叙勲もしていただいたような・・・
鯨大師も訪れる人が多くなるかもしれませんね。しかし、九島架橋に大きな課題が・・・道路の買収が進んでいないとか。
保育園
tentijin 様
池があったという話は聞いたことがありません。しかし、お寺で保育園というと法圓寺しかありません。池があったのかもしれませんね。今は土地を購入され、運動場、遊び場、そして学童保育まで始められ、曲がり角から一角を占めています。圓寺も多くなったのではないでしょうか。
元結掛
木下博民 様
ここまで海だった名残か、魚屋さんが多く残っています。この狭いところに5軒ほど建ち並び、繁盛しています。九島架橋は進んでいるようですが、架けた後どうなるのか、全然見えません。これが行政・・・目の前のことしかしない。
九島架橋後の妙薬
まあまあぼちぼちやんなせや、あすのつぎにはあさってがありますらい。がいにあわてんとこどもにまごにやしゃまごに、たのしみはとっておきなせや。こなごうに、きなごうに・・・・
めちゃくちゃです・・・
木下博民 様
知らないところで予算請求をしているとか?城山にリフトをかけると・・・さすが、言い出しっぺの市長さん、採択しなかったとか。馬鹿な人間ばっかりです。博物館は耐震もできていないのに、改修して後20年は大丈夫とか。地震が来て、中身全滅の状態でどうするんでしょうかねえ。まっ、心配してもしょうがないのでほっておきましょう。

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