伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ) | 鬼城

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)

2014.09.18.Thu.18:00
神社お参り

実は来るつもりではなかったのだが、県美術館が休館日だったため、歌舞伎の時間待ち。
石手寺をお参りし、伊佐爾波神社をお参りすることにした。
別名、「湯月八幡」、「道後八幡」とも言うらしい。
急勾配の石段135段をしっかり上った。

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)1

本殿

本殿の建築様式の一つに八幡造りがあるそうだ。
八幡造りは切り妻造り・平入りの建物が 前後に二棟並ぶ形で、後ろの建物を内殿、前の建物を外殿と呼ぶ。
内殿は神様の夜の 住まいであり、外殿は昼の住まいとされている。

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)2

本殿

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)3

本殿より

道後の町並みが見下ろせる景観はすばらしい。
ずーっと向こうに松山城の姿が浮かんでいる。

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)4

回廊より内殿、外殿

屋根は昔ながらの桧皮で葺いてある。

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)5

絵馬

回廊を回って外に出ると大きな絵馬が・・・今年は「午」年ということを思い出した。
今年もあと、3ヶ月あまりだ。
光陰矢のごとしとはよく言った!

さて、媛ぎんホールに向かおう・・・

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)6
コメント
 石段の下を通ってにぎたつ会館に通いましたが、伊佐爾波神社には上がりませんでした。そういえば、上がったのは大学4年の卒論の調査のためだったような気がします。
 こんなに鮮やかで立派な建物だったか記憶がないのですが、建築様式が八幡造りなんだすね。
 それにしても鬼城さんは、行動的ですね。
 
この階段の下を何度も歩きましたが、この様な風景が広がっていたのですね。
 急な勾配に、気持ちが引き気味でしたが、さすが鬼城さま。山ガールの名が泣きますね。今度機会があったら登って、道後の町並みを眺めたいです。
時間待ち
笑隆で~す。様
行動的と褒めていただけるのは「笑隆で~す。」さんくらいです。ただ、県美の休館日に思い至らず、石手寺とここに来ただけです。八幡造りは珍しいそうですね。この神社の神輿は有名な唐人神輿です。松山にもおもしろいところが多くありますね。
道後
吉野の食いしんぼう 様
 道後は温泉だけでなく、歴史もありますね。湯築城跡にこの神社はあります。守護神ですね。本殿の中から松山城が見えます。道後の町並みも・・・階段の横に車道があり、駐車場は神社の裏手にあります。上らなくても大丈夫です。しかし、御利益は・・・?
 八幡造り、大変勉強になりました。伊佐爾波神社、いわく因縁も歴史も知らず、道後に宿泊した折、朝の散歩に登ってみました。その位置的な意味で思い浮かぶのは、道後の守り神的な神社なのかも知れないと感じたことです。足の老化を実感するに余りある階段でした。
伊佐爾波神社
よく動きますね~体調が良く元気な証拠です。転勤で松山にしばらくすんでいたけど伊佐爾波神社は行ってません。たしか?けんか神輿のあるところでしたかね? それにしても立派な神社ですね。
いま、八幡信仰にだっぷり
松山には伊佐爾波神社を筆頭に「松山八社八幡めぐり」というのがあるのをご存知ですか?②桑原八幡、③日尾八幡、④雄郡八幡、⑤日招八幡、⑥朝日八幡、⑦還熊八幡、⑧勝山八幡です。歩いても日帰りコース、。なぜこれほど松山に八幡神社があるのか、お調べになると楽しいですよ。八幡は私見ですが「弥秦」(いやはた)の転訛ではないかとおもいます。すなわち、「偉大なる秦族の神」が「やはたのおおかみ」だと思います。「八幡」の八は弥と同じ、幡は秦の転化、
武神になるのは河内源氏が氏神としてからのこと。
知識
tentijin 様
私も全然知りませんでした。いろんなところでいろんな知識を得る、年寄りの特権ですね。一昨日でしたか「試してガッテン!」で筋力をつけることと言う番組は・・・今からは体調管理、動いて、がんばりましょう。
統一祭
うわつ 様
 松山の秋まつりは統一祭、このときに喧嘩神輿は出ます。飾りも何もない六角形だったか。三津神輿が荒々しいので有名です。ここの神輿は喧嘩神輿とは違い、歴史あるもののようです。
 ここから奥にある火事で全焼した宝厳寺は立派なお寺だったんですが・・・残念ながら訪れたことはありませんでした。
 松山に住んでいたのは知りませんでした。
さすが松山
木下博民 様
 多いですね。雄郡八幡はお参りしたことがあります。いわれを訪ねるとおもしろいですね。
八幡さまが注目された最大事件
八幡さまは「神託」で有名な神のですが、その第一は、奈良の大仏と出会いです。大仏に金箔を貼る段階になって、日本にはそれほどの金がなく唐へ買いに行こうと使者が九州宇佐までやってきて、神様にこれから海を渡りますといったら、「いや大丈夫、日本にも金はあります」と神託あり、その直後に陸奥で金が発見され、わざわざ唐まで出かけなくてもすみました。これ本当の話。さすがに聖武天皇も大喜びで、念願の大仏が完成しました。さらに、八幡さまは大仏の守護神になろうといわれ、わざわざ輿に乗り、奈良まで来られます。これがいまの「春日八幡」。大仏を守護するのならば国家も守護しましょうと、都が京都へ移ればここへも八幡さまは出っかけられました。それが「石清水八幡」、朝廷を守護するのだから、源氏の守護神になってほしいと、鎌倉にまで来てもらいます「鶴岡八幡」、武士の棟梁の守護神ならば各国も守護していただこうと、現在4万社の神社を要するのが八幡様。
守護神
木下博民 様
全国40,000社とは・・・宇和島の伊吹八幡も何かの守護神ですかね?都には大きな八幡様がありますね。
伊吹八幡は何処の守護神か
伊吹八幡は「立間郷」の守護神ですが、その立間郷たるやいまの南郡の辺りまでを指していますから、広大な地域だったのでしょうね。
戦国以前はともかく、以後の大名はいずれもまずここに参拝して守護を念じてします。
最初は、ここに住み着いた人々の守護神、祖先神でしょうね。
総鎮守
木下博民 様
昔の八幡村とか丸穂村とかいつ頃分かれたものか?最近、話す機会が多くなって調べてもわからないことばっかり・・・奈良時代、平安時代の宇和島は?新しい仕事で秀宗の入部400年に併せての資料も頼まれています。さてさて、どこから片付けようかと思案中
です。
八幡・丸穂は歴史的に新しい村名
私は、「愛媛県地名大辞典」(角川書店版)を座右にしています。明治時代、丸穂村は小学校まで宇和島町にあうrという滑稽は村だったからすぐ合併できたが、八幡村はいくつもの村が明治になって合併した新しい村であり宇和島町以上に発展要因があったから、なかなか合併しない。もし山村豊次郎は八幡村村長だったら、あるいは、宇和島市ではなく八幡市になっていたかもしれない。事実その時の宇和島町は枯れ尾花、八幡村は向日葵。
歴史って面白いですね。次は、南豫市か、西南四国市か、四国市愛媛区宇和か、島なんて何処かへ吹っ飛んでしまうでしょう。
先行き
木下博民 様
地名の歴史もおもしろい。最近Facebookに宇和島の旧町名の標識をあげる人がいます。年代的には私より上ですね。さて日本の国はどこへ向かうのか?北も西も領土は返ってこない。拉致被害者もどうなるのか?強く出るのか、ソフトに出るのか・・・道州制は?大阪都構想は?

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