伊吹八幡神社 | 鬼城

伊吹八幡神社

2014.08.19.Tue.08:00
伊吹八幡神社

お盆になると墓参り、目的のお寺はこの神社の上手・・・
するとこの神社を訪れることになる。

八幡様1

石灯籠

参道はきれいに石畳で整備され、石灯籠が立ち並ぶ。
その奥にご本殿が・・・

八幡様2

神馬

参道の横には神馬像が・・・
昔は本物の馬を飼っていただろう。
各神社の見取り図などを見ると馬小屋がある。

八幡様3

本殿

和銅元年、九州の宇佐八幡宮よりから勧請された。
元明天皇の和銅5年8月15日、祭祀を始めた。

秋祭りは大層賑やかだが、お盆には出番はない。
静かな佇まいである。

八幡様4

名前の由来となった伊吹の樹

文治元年、伊豫守に任ぜられた源義経が社殿を寄進した。
この伊吹は、郎党の鈴木三郎が植えたとされている。

八幡様5

二本の伊吹の樹

樹齢は約800年
本殿の両サイドに植えられている。

八幡様6
コメント
 かなり立派なイブキですね。こんなに大きくはありませんでしたが、老人クラブとイブキの伐採をしていてひやりとしたことがあります。木が倒れる方向に、1人の老人の方が歩いていました。大声で注意を喚起しましたが気付きません。後で聞くと、お耳が悪い方だったそうで、ぞっとしました。耳が悪いということが、いかに恐ろしいことに繋がっているのかということを思い知らされた経験です。幸い、枝先がかすめた程度であったので、胸をなで下ろし安堵しました。この神社のイブキは御神木というような立派なものですね。
ご神木
tentijin 様
ご神木ですね。またこの神社には伊達家お抱え鍛冶、邦正の太刀が奉納されています。神社仏閣はたどれば、歴史が垣間見えますね。
倒木の危険性は、よく言われますね。最近では林業は下火・・・伐採技術などの継承者は居るんでしょうか?
映画にもこの題材がありました。 Wood Job!
http://www.woodjob.jp/
このところ、連日、「伊吹八幡」について書いています。おそらく今年一杯かかりそうです。「八幡信仰」って南豫の古代史まで旅する気持ちで頑張っています。まずはなぜ「八幡神」というのか、それから考えなければなりません。いまやっと「八幡神は応神天皇なり」というところにかかりました。ここから八幡神の活躍→八幡神の一時伊予へ逃避→八幡神は武神というよりもこんにちの言葉でいえば「情報神」というところまで書きたいとおもっています。いい資料がありましたらお教えください。
伯母の家が伊吹町にあり、ここの神社を通り、今は亡き伯父伯母の墓参りに行きます。
 義経が寄進した社殿!あの伊吹にはそんな由来があったのですか!
 次からの景色が違って見えることでしょう。昨日も従姉と歩いて墓参りに行こうしたとたんにわか雨で、次回にすることにしたところでした。

 たぶん、ここの神主様は私が高校の時に古文を教わった方だと思います。
とても美しい流れるような字で板書されたのを思い出します。
八幡信仰
木下博民 様
 八幡様とか三島様とか天神さん(様)とかいろんな名前の神社がありますが歴史をたどっていくと面白いことが分かるんですね。先生が「八幡信仰」に関しての執筆されていることはよく知っています。私は地元にあると言うだけで、疑問も調べるということもしていません。
 しかし、不思議ですね。神社庁あたりには資料があるかもしれませんね。それよりどこかの宮司さんにお聞きになると良いかもしれません。
 先日、私は「大歳神社」についてお聞きし、長年の課題が解決しました。
義経が身近に
吉野の食いしんぼう 様
義経や平家の武将など、いろんな神社を建立寄進していますね。また刀剣や甲冑など武具も・・・良い例が「大山祇神社」・・・1000年の歴史が側にある。
村の鎮守の神は何なのか調べると面白いですね。鬼北であれば弓滝神社の祭神は・・・どこから勧請したのかなどなど・・・神代の時代から神を崇めていたのですから不思議です。
伊吹八幡といえば、源義経が伊予守に任ぜられ(実際に伊予には来ていませんが)、家来の鈴木三郎がここの八幡様の社殿を整備した頃から、後世の人々には知られていますが、その以前、おそらくこの地に辿りつき住み着いた人々の守護神として祀られていたのでしょうから。これから探ると、すごい歴史のロマンがみえてきますよ。
たとえば「やわたのおおかみ」とは「弥秦の大神」、「偉大なる秦族の守護神」ということかもしれませんし、古来、名称だけでも、学者たちが様々な検証をしています。単純な説明は「八本の幡を振りがざして降臨された神」というのが庶民判りして通説になっていたりしますが、とにかく面白いですね。
この神様ほど早々と神仏習合された神はすくなく、「八幡大菩薩」ともいいます。伊吹八幡にも、戦後に建てた菩薩像がありますから、行かれたら拝んできてください。菩薩にはさまざまで、伊吹八幡のものは観音菩薩ですが、奈良薬師寺の「僧形の八幡菩薩」は有名です。
八幡神社は全国に約4万社あるといわれ、もっともポピュラーな神様です。歌舞伎の勧進帳、ご存知ですか? ここでも義経が弁慶に安宅の関を通れたのも「八幡大菩薩のご加護」と涙を流す場面があります。江戸の庶民は何かといえば「八幡さまのご加護」と手を合しましたっけ。
はい、今日はここまで。
ご講義、感謝・・・
神仏習合・・・面白いですね。日本人的な発想なんでしょう。西洋では唯一進ですから・・・
伊吹八幡神社の中に入ったことはありません。機会があれば、菩薩像を拝まさせてもらいます。
伊吹八幡神社
伊吹神社は伊吹八幡神社といって八幡伊吹神社とは言わない。つまり伊吹の木を祀っている神社なのでしょう。どっちでも良いんですがね~。
大宰府とか鶴岡とか地名が前に付く神社が多いのに伊吹町は小さすぎると思いました。旧八幡村だから(たぶん?)八幡伊吹八幡宮?でも良いのでは・・・・?
さて?
うわつ 地名の着く八幡様が多いですね。やわた村ですね。我が町は丸穂村、そして来村、高光村と続きます。しかし八幡神社の秋祭りは結構、賑やかですね。一宮様に対抗してでしょうか?
大正10年(1910)に八幡村は宇和島町と合併して市制を敷きましたが、その八幡村は明治22年に柿原・中間・下・藤江・大浦の5ヶ村が合併して、中間にある八幡神社が古いのでこれに肖って八幡村と名付けたのです。ですから南豫の八幡村の寿命は非常に短いのです。
いまの伊吹町だって、通称「伊吹八幡」とようbのでそれから町名にしたのです。
なぜ社前に「伊吹の木」を植えたのか、これこそ渡部宮司に尋ねてみてください。偶然に伊吹になったというわけでもなさそうに思えるのですが。
町名
 宇和島は新しい町名になって、古い町名の記憶が薄れてきています。丸穂村や八幡村などは知らない人が多いでしょう。
 何故伊吹を植えたのか?おそらく常緑樹だからでしょうね。檜や杉は伸びすぎる。義経がそう考えたかどうかは分かりませんが・・・
 伊吹と言う名前は、人名、船名、山の名前、滝の名前など残っているようです。やはり、何時までも変わらないという祈りが込められているんでしょう。
ちょっとくどいようですが、常緑樹だったら他にいくらでもあり、一番多いのは「松」ですが、なぜ檜でもなく、杉でもなく「伊吹」を植えたのか? それを考えたのです。もっとも単純なのは「西日本の海岸に自生するヒノキ科の常緑樹、伊吹」がたまたま、この近くに自生していたので、持ってきて植えた、というのかもしれませんが、「神の依代」のような捧げ方になんとなくその気持ちを尋ねたくなるのです。なぜ「榊」でなかったのか? 八幡神社は全国4万もあるというのに、通称「伊吹八幡」はここだけ。「イブキ」には原始八幡となにか関係がありそうです。
もう一つ、まったく別な話ですが、「伊吹橋」の親柱には「川名がありません。普通、どちらかに川名が書いてあるのが普通ですが、ここではみかけません。川の名前ほど楽しいものはありません。公式名称と通称とあったり、同じ流れで場所によって名前がかわったり、さまざまです。
樹の名前
木下博民 様
木の名前は伊吹山から取っているとありました。さて伊吹八幡に植えられた理由は・・・想像出来れば面白いのですが、ここらで挫折・・・神社由来にはあるのかもしれません。

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