台風の跡 | 鬼城

台風の跡

2014.08.12.Tue.09:00
光國寺下の芙蓉と神田川

10日の散歩の途中、足を止め撮影・・・

12日の朝刊で宇和島城の本丸崖崩れを知った。
まだ行っていないが、花火見物をしたところのようだ。
大規模のようで、修復には何年かかるか?
来年は秀宗入部400年・・・
直らないだろうな。

台風の後0

大超寺奥、神田川の上流

子どもの頃、泳いだことがある場所・・・
奥には大きな滝が見える。
川幅が狭いと流れは急に(速く)なる。(ベルヌーイの法則だったか?)

台風の後1

水位

台風の大雨の中は外に出なかったので分からないが、水位は1m位上だったようだ。
一日経つと川の水の色が違う。

台風の後2

流れ

日頃の流れはほとんど無いが、川全体が流れの中にある。

台風の後3

愛宕公園

いつもならボランティアの方が清掃されているのだが、今日はそのまま・・・
少し運動をして降りることにした。

台風の後4

崩落

宇和津彦神社の上の登山道・・・
赤土の崖が少し崩落している。
休みの日なので、散歩を楽しむ家族・・・

台風の後5



コメント
 私が少年時代を過ごした内子町も大きな災害に見舞われてことの記憶はない。宇和島に来て37年、この土地も大きな災害はなかった。
 今回は、「豊後水道か」と心配したが、アメリカ軍の予報が「足摺岬沖を通る」を早くから予想していたので「大丈夫かな」と思っていたが、その通りになり一安心した。
 それにしても、高知県では2000mm以上の降雨とか、考えられない数値である。被災された方にお見舞いを申し上げたい。
 宇和島城の崩落は、「400年祭の計画が遅々として進まないことへの秀宗公の怒りかもしれないな~っ」と感じた。鬼城様言われるように、復旧には相当の年月がかかるのではないでしょうか。
 宇和島城は大規模地震発生時の避難場所になっている。あの雨で崩落するということは、地震ではもっと大きな崩落が予想される。現に文化課の方は、「石垣は壊れますね」と言っている。それでも、この地を避難場所に指定している宇和島市の感覚が理解できない。
増水した川や溝には行かないようにと言われますが、ついつい気になって久しぶりの散歩時には覗いてしまいました。恐いな~と感じる濁流や、日頃見られない、白い波の流れが綺麗と思ったり、何はともあれ災害がなかったので思えることですが。
 新聞やTVのニュースで宇和島城の崖崩れを知り、気にかけていました。(以前なら、そうなんだ~で飛ばしていましたが)

 ベルヌーイの法則は全く頭に残っていません。食いしんぼうとしてはパブロフの法則はしっかりと覚えとりますが~。
避難場所
笑隆で~す。様
 やっつけ仕事ですね。我が家の避難場所などは、何も無い駐車場ですよ。(笑)大雨の場合に自信があれば、どうするのでしょう?
なにか、指示待ちをしているような気もします。その指示は出ない。さてさて・・・宇和島城は大好きなんですが・・・いっそのこと崩れるままにしておいたらなどと思います。
 松山城は人気No2だそうです。ちなみに1位は熊本城・・・どちらも整備のしすぎの感がします。
ベルヌーイの法則
吉野の食いしんぼう 様
 大学時代、興味のあった法則です。(笑)狭くなったところでは、気圧は下がるし、流れは速くなる。流体力学です。鉄の塊の飛行機が浮くのもこの法則ですね。パブロフは・・・思わず、笑いました。座布団10枚ですね。
 宇和島の川は細い上、護岸工事をしているのですぐの増水・・・雨がやむと流れが無くなります。何時の時代からか・・・それだから汚れが目立つんですね。
  台風のさなか、友人で川を見に行ったのが3人・・・新聞に出ないように・・・
城の石垣は必ず崩れるものです。建物には簿記でも償却費(これは儲けではありません)と称して補修費の蓄積が可能ですが、石垣もそのような補修費の蓄積をやらなければならないはずですが、どうなのでしょうか。それこそ宇和島伊達400年記念城址大補修もいいじゃないですか。ぱっと使ってしまうショーの費用よりの次代に貢献するのではないですか。
おそらく全国の城の中で、宇和島ほど維持費の少ないところはないのではありませんか。そしてその維持費も城自体から生み出す工夫をやっているのではないでしょうか? 
よく分からない
木下博民 様
 市民が集めたお金で出来るかどうか?国が必ず修復に関しては、一言在るようです。
 個人的には改修しなくても良いと思っています。一番、気になるし、気分が悪いのはブルーシートと鉄の階段・・・いつまで設置しているのか・・・いっそのことない方が気持ちが良い。
 入部400年、何も聞こえてきません。後方も何も無い。おそらく、打ち上げ花火で終わるでしょう。
宇和島城は宇和島観光の目玉でしょう。
その見せ場にブルーシートを長期間被せたり、環境に合わない鉄の階段(? 怪談ではありませんね)をしたりするのは、いかにも滑稽。この街の品性を疑いたくなる行為です。
昔、天赦園の池のほとりを補強するためコンクリートで固めてあってそれがそのまま人の目に触れる状態になっていて、なんとなく嫌な気がしました。せめてその上に土を被せて他と同じようにしたらと思ったほどです。いまでは目立たなくなっていましょうが、そんな気配りがほしいのです。こういっては失礼ですが、島の大理石のテーブルもあの庭には不似合いでしたが、時が薄めてくれたでしょう。一時が万事、観光地は充分な気配りがあってこそ、旅行者の琴線を和ませることになるのです。
一つの提案。もてなすこころの専門家お茶のお師匠さんに、宇和島の観光地を旅行者(客)の気持ちになって、徹底点検されることも、時には観光宇和島の住民関心度につながりませんかね。
 雨が降り続いている間は、地表の土を流しながら濁流を作る川ですが、雨が止んで1日経つと、地表を流れず、地下にしみ込んだ水が流れの中心になるのでしょうね。子どもの頃、神田川の佛海寺横あたりで泳いだ記憶があります。川は大きくても小さくても、心が癒やされる何かがある気がします。
耳を澄ませ!
木下博民 様
 詫び寂の心を取り入れた城山、いいですね。しかし、聞く耳を持たぬ行政ですから、話にならないでしょう。ずーっとブルーシートのことは言い続けていました。結局話になりませんでした。現在も式部丸あたりには掛けてあります。今回の崖崩れの所も大きく掛かって下からも気になるくらい見えます。情けない話です。
今昔
tentijin 様
昔の川はこのくらい流れていたような気がします。今はほんの小川程度ですね。上流にダムが出来たわけでも無く、山の木を切ったわけでも無い。何故なんだろうといつも考えます。結局、保水力なんでしょうね。このまま行くと日本全国、水不足になりかねない。山を大事に、木々を大事にしないと・・・
この写真のとこでは良く泳いでいました。子どもながら縄張りもあって・・・
6尺ふんどし
光国寺下で泳いでいました。深さもあって飛込みが出来ました。皆フリチンからサポーターに変わった頃で、上級生は6尺ふんどしでした。あの頃はきれいな川でした。
何故でしょう?
うわつ 様
黒いサポーターが主流でしたね。6尺ふんどしは、真っ白であこがれでした。光國寺の所では一回くらいしか泳いでいません。大超寺奥がホームグランドでした。あのきれいな川はどこに行ったのでしょうね?
川で泳ぎを覚えた時代はもう宇和島には戻って来そうもありませんね。
私は「ご城下」の皆さんとはちがって、旧「八幡村」育ちですから、泳ぎは須賀川、道連橋の下、通称「ワク」といいました。「湧く」か「枠」か知りませんが、根無川と須賀川の合流点で水流あり、夏は沢山の子供が泳いでいましたっけ。ここで溺れ、気を失ったのが泳ぎ覚えですのでわすれません。小学校にまだ入っていなかったかな。
おそらく先日の台風ではあの辺りも水量が多かったことでしょう。
商業に入ってからは遠泳が楽しみでした。九島を回る遠泳は全員六尺、外れない絞め方は理科の馬場先生から教えられましたっけ。古き良き時代と言えましょう。
古き良き時代
須賀川には遠征をし、子どもにとっては広い川幅を泳ぎ切ったことが自慢でした。道連橋の下には鮎が帰ってきたとか。
九島一週の遠泳は良く聞きましたが、今なら鮫のえさになりかねません。良き風習も段々廃れますね。
九島の西側は、昔も今も鮫はいるでしょう。鮫に食われないようにこちらも海に入ると六尺を長く伸ばせるような絞めかたをしましたっけ。赤褌がより安全だといいましたが、学校では禁止、当時、そんな褌はなかった。
ただ、集団で先頭に太鼓を打ち鳴らす船が付いていて、鮫ならずクラゲの大群に遭遇したら、コースを避けるなどしましたっけ。怖かったのは鮫よりも毒クラゲに触られることで、そんなときはすぐ友達の小便を痛むところにかけさせましたっけ。海でそれくらいの応急処置が出来なければ「海の子」とはいえませんでした。
蛮カラ精神
木下博民 様
 今昔物語ですね。今の子供達は何よりも安心安全の方向です。問題が無いように、内容に「真綿で来るんで育てる。」さてさて・・・
 現代は、価値観が変わっています。変えてならないものまでも・・・変えるところは教育でしょうね。
真綿っ子は平和競争にも落伍します。昔、アメリカへ行ったとき、講習を受けた大學周辺のコンビニエンスへ寄ったら、子供たちが裸足で遊んでいるのですよ。貧しい地区かなと思ったらそうじゃない、そういう躾をする街だったのです。日本だったら、怪我するからやめなさいと親は叱るでしょう、過保護が過ぎると平和競争にだって負けてしまいます。人間社会はいかなる時代の競争があり戦争があるのです。戦争とは弾が飛ぶだけではありません。腕白でもいい逞しい子、他人を尊敬できる子であってほしいものです。
はき違え
木下博民 様
 生きる力の育成と中教審が目標を設定したことがあります。生きる力の定義が出来ていない野にもかかわらずです。先生の言われるとおり、育て方が一番だと私も思います。
 いつも思います。教育現場の声が繁栄されない、学識経験者のみの委員さん方による審議会は無意味です。若い、今の子供達の教育に悩む先生たちを入れなければ、前進しません。

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