山家清兵衛忌 | 鬼城

山家清兵衛忌

2014.07.30.Wed.08:00
御霊屋様

霊廟が一つの家となっているのは珍しい。
それも、殿様では無く、家老職の身分で・・・
もともと、この霊廟を建てた人は山家清兵衛の崇拝者である、日振島の庄屋清家久左衛門である。
彼は島大名と言われていた人物である。
現在、子孫の方は島には居ないとか。

久左衛門は伊方屋仁兵衛と並び秀宗入部のため奔走していた清兵衛に協力した。

御霊屋様1
参拝所

蝋燭と線香を頂き、参拝する。
祀られている霊廟の前には、臨済宗妙心寺派の近隣の和尚さん方が、お経を唱えている。
御霊屋の中には清兵衛の墓、五輪塔がある。

御霊屋様2

臨済宗妙心寺派の和尚さん方

13ヶ寺在るそうだ。
臨済宗妙心寺派の本山は。京都「妙心寺」
政宗の菩提所、瑞巌寺も同じ宗派である。
ちなみに政宗の墓所は、仙台市の経ヶ峰にある瑞鳳殿である。

御霊屋様3

法要の後の解説

新しく入山された千田ご住職が解説をされた。
その中で、宇和島の総鎮守という言葉を使われた。
これは霊を和ますため祀った藩祖から4代までと違い、五代村候の思いに他ならない。
村候はこの地を自分の墓所と定め、正眼院を大隆寺と改めている。
等覚寺と並び大隆寺は殿様の戒名である。
宇和島人は恐れ多いと言うことで、山号で今でもよんでいる。

御霊屋様4

金剛山西の谷の山家廟から大隆寺本堂へ

山門を入ると正面に山家清兵衛の位牌堂が・・・
大名家の寺では正面はご本尊か、大名の位牌堂か、歴代の和尚さんの位牌堂が普通である。
このように家臣が正面に安置されている例は他では見ることがない。
敷物には「釘抜き」の家紋が・・・
肖像画は5代藩主伊達遠江守村候によって書かれたものである。
今年より、法要の日のみ拝観が許されることになった。

御霊屋様5

本堂

御成道(おなりみち)
藩主のみ通ることが出来る門 とか道。
木で作られた灯籠には伊達家の家紋「縦三つ引き両紋」が切り込まれている。

御霊屋様6

ふすま絵

山家事件(宇和島騒動)に関しての説明絵画
和尚、和霊神社の宮田宮司さんご夫妻(来られていた)のお話・・・
史実は史実、寺や神社に伝わっている話は話・・・変えるつもりは無いし、変えることは出来ないと・・・
5年の歳月を掛けて書かれた絵は見事である。

御霊屋様7

寺宝

今年から、残されている寺宝も展示されている。
ご本尊前に展示された仏舎利塔・・・

御霊屋様8

小野小町の一生の巻物

はじめて展示された。
ほか伊達村候、種姫の自画像の掛け軸もはじめて展示された。
今年は夜になっているので見ることは出来ないが、禅宗の庭を昼間開放したいとのこと。
来年は多くの人に来て頂きたいとのお話しも・・・
2020年は山家清兵衛400回忌、和霊様と一緒に考えていきたいとも・・・

御霊屋様9
コメント
珍しく、写真だけで説明がありませんでしたので、なんとも感想を申し上げることができませんでした。
それにしても山家清兵衛なる方は400年後もこうして供養されるのですから、人ほど価値観に落差のある生物はありませんね。
もしこの方が非業の死でなく、桜田玄蕃のように事故死していたらどうなったか? やはりこれまでも強引な藩政改革断行者としてこんにちも讃えられたか? そう思うと、お互い私たちのこの世は「幻」に過ぎませんね。
御霊屋様
木下博民 様
書き込みの途中、アップされたようです。説明は書きましたので、ご覧ください。歴史に「たら話」は禁物と言いますが、あのときというような転換期はあるんですね。関ヶ原などはよく例として出されます。
金剛山の和尚さんのお話しでも、村候によって清兵衛はより宇和島の守護神として昇華していくとありました。今年も得るところが多々ありました。清兵衛公のお導きでしょうか?
6葉目の建物は金剛山の本殿ですか? お霊屋の日々の維持も金剛山でやっておられるのですか? 4葉目の方が千田さんですか? ますますのご活躍を祈りあげます。
私が申し上げた「たら話」は、非業死が注目されるようになった怨霊信仰の原点になったという意味です。それよりも、加害者と目される者の子孫5代村候と家老桜田の政治力が、怨霊神(しかも一家老であった)を宇和島の守護神に祀り上げた手腕はすばらしいということです。
残念ながらその村候については「鶴鳴余韻 中巻」が庶民の目に触れる程度でなかなか研究されていません。千田さんにぜひとも庶民向きの伝記をお書きになって、私たち庶民を教育していただきたいと存じます。村候の時代、彼の支援によって、後世に残る高僧が出ているほどですから。
ご住職、神主さんと・・・
木下博民 様
 ご住職、本殿の写真、その通りです。新事実がふたつ、位牌の後ろに命日6月晦日とあるそうです。新暦に直すと6月30日が7月29日になります。いままで29日という説もありましたが、これで事実が分かりました。また村候の描いた清兵衛の肖像画の後ろに、どの時代の住職か分からないとのことですが、命日のみ掛けるようにと但し書きがあったそうです。今年より、命日でしか見ることが出来ません。
もう一つ、日振の庄屋清家久左衛門、いま実家は島には無いそうです。大阪に出られたとか聞きました。伊方屋仁兵衛の子孫の方はわかりません。
 このお二人が海の豊漁安全を祈って広まったと和尚様から聞きました。山家廟は清家久左衛門が建設したそうです。そして先生の言われるように四国遍路による伝搬が瀬戸内に・・・
 山家清兵衛さんの伝説?やら、まつわる話には、心引かれるものがありますね。今では、伊達家のどのエピソードよりも庶民に知れ渡っているような気がします。全ては、村候時代の変換作業から今日に至っているのでしょうね。
種々様々
tentijin 様
 エピソード、まとめてみると面白いと思います。しかし、我田引水のような気がします。筆力も課題でしょう。誰もが読みやすく、時代背景を考えつつ、描かれたら、一気に伝搬していくと思います。このエピソードは歴史家と呼ばれる人たち、言い伝えを信じる人たち、どうでもいい人達に分かれます。しかし、いくら研究しても謎は謎なんです。事実も途切れます。さて、どのようにまとめるか?
山家事件の謎は、藩政時代に正確な情報が伝えられなかったからでしょう。ある面では、藩主に傷がつくとかん口令が出たのかもしれまでん。とにかく有耶無耶になってしまったまま、明治初期に桜田一党悪人小説が出て、それがそのまま今に伝えられているのが巷間の俗説です。
少し郷土史を学べば、なんとなくこれまでも言い伝えが不思議だくらい判るのですが、さらに追求しなかった庶民の、きびしくいえば郷土史研究者の怠慢ともいえましょうが、問題はそれを望まなかった庶民の「まあ、いいじゃないか」の姿勢にありそうです。史家は、資料がない、の一言で前進させていません。むしろ仙台あたりに資料があるかもしれません。
そればかりか、いまでは、和霊神社の祭神「山家清兵衛」とはいかなる人物か、宇和島の戦後教育を受けた人々に尋ねてご覧なさい、どの程度の回答が得られましょうか? 神社の祭神には、天神と人神があり、天神は宇宙とその現象、祖霊でしょうからさておいて、せめて実在の人の霊魂を祀った人神(宇和島にも大小さまざまあるようですが)の先人から崇めてきた理由くらい郷土史の一環として学びたいですね。
史実は事実では
「史実は史実、寺や神社に伝わっている話は話・・・変えるつもりは無いし、変えることは出来ない」と・・・・宮田宮司さまか老師さま(和尚ではありません)どちらが言われたのかわかりませんが、その通りだろうと思います。
高校の時、後輩に山家くんって子がいたり、吉野のお寺に清兵衛夫人の鏡台が残っていたりと、ここに至って、身近な出来事と感じています。
 2020年の400回忌、興味が沸いてきました。楽しみです。
 先日の伯父の送りも、妙心寺派の和尚様のお経でした。母がとても気持ちのこもった良いお経をあげて頂いたと言っておりました。
研究者?
木下博民 様
神社、寺の考え方はよく分かりました。一方、研究されている人の考えも・・・しかし、現実的には推論に他なりません。神となった敬意、和霊信仰に関しての研究が主流ですね。事件そのものに関しては、霧の中で、みなさんが言っていることは霧の中ですね。いつ頃から善悪を付けたのかもはっきりしていません。さてさて、新しい発見はないものでしょうか?
400回忌には山家様が宇和島入りされると聞いています。仙台山家に何か残っているかも・・・大崎タイムスの伊藤さんの神になった侍が一番だと思います。愛媛では佐々木氏の右に出る人は居ないでしょう。
いろんな手打ち・・・
うわつ 様
子どもの頃より、聞かされて話で良いのでは無いかと思います。我々は決して歴史学者では無いのですから・・・講談的な面も面白いと思います。こればっかりは、話をずーっと聞かされてきた子ども達(我々)の考えを変えることは難しいですね。
近くに・・・
吉野の食いしんぼう 様
その人が、宇和島山家の系統です。おそらく鬼北町在住だったと思います。この家のお墓は法円寺(神田川原)にあります。5年ほど前に永代供養をされ、名古屋の方に転居されたと聞きました。宇和島藩は山家家を興させたのです。
吉野も面白い。まさに「却下の歴史」です。
宮城から
興味深く拝見しました。
私の家系は清兵衛直計ではありませんが
三度宇和島に一族数十人でお邪魔しています。
直系の方とも交流がありますが、仙台は戦災で
焼けているので資料は何もないとのことです。

ちなみに和霊神社の宮司さんは、三輪田さんだと思いますが。

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