走り込み2014 | 鬼城

走り込み2014

2014.07.26.Sat.09:00
出陣!

神輿の出発式も終わり、露払い役として「四ツ太鼓」が山門からでる。
今年は地元、ケーブルテレビよりゲストとして招かれ、特設舞台?での解説をした。
一番前で見えるとばっかり思って居たが、残念ながらザジ奇跡の後方だった。

四つ太鼓出御

神輿出御

続いて3体の神輿が山門からでる。
山家清兵衛公の御霊は?
3つに分かれて乗っておられるとか。
分身の術!(失礼)

出御

巡行

約束事が有り、氏子の街(和霊町・伊吹町)の所から、旧山家邸(和霊様で御旅所)、そして盛運汽船前に・・・
そこで三隻の船に乗られ、海上渡御となる。
大漁旗に迎えられ、乗り込む神輿・・・
残念ながら写真はモニター画面より・・・

海上渡御

仕掛け花火

このように流れを追って和霊祭を見る機会は無い。
仕掛け花火を見たのは半世紀も前・・・
須賀川の中央のブイより上がる噴水!

仕掛け花火1

同じく仕掛け花火

ナイヤガラの滝、文字の仕掛けなど在ったが、見ることが出来なかった。

仕掛け花火2

夜も更けていき、須賀川には神輿を迎えるための山車が入水・・・
11団体在るとか。
最初はJC(青年会議所による黒づくめの牛鬼)
各団体、思い思いのデザインである。
中でも今年、初参加の郵便局の黄色い風船のひよこが可愛い!

橋の上では露払いが終わった四つ太鼓が・・・
子どもが4人乗って叩いている。
子どもの重量だけでも100kを越える。

四つ太鼓2

4人の子ども達

小学校2年生とか。
この日のために、リズム感を養い、体力を付ける。
これも努力のたまもの・・・
彼らは八幡神社の秋祭りにも出るそうだ。

四つ太鼓1

たいまつ隊

これも放送席からは見えない。
モニター画面で我慢して頂きたい。
川の両サイドを埋め尽くす市役所職員を中心としたたいまつ隊!

かがり火

神輿川入

川の中央には「御神竹」(舞笹)が立てられている。
10m~13mのたかさとか。
これに上り、笹に付けられている御幣を奪う。
御幣を奪ったり、神仏の置物を奪ったりする祭は全国に多々ある。
竹の周りを神輿が回り、そして登っていくのは和霊様だけだろう。
写真はモニター画面より

走り込み

御幣争奪

祭はクライマックスを迎える。
この若者、御幣が固く縛られていたので取ることが出来ず、後者にその栄誉を譲った。
しかし、見事な登り振りだった。

語弊争奪

宮入

神輿は山門をくぐり、本殿前の舞笹の周りを回って、安置され、祭は終わる。
山家清兵衛公より・・・
五穀豊穣、今年も宇和島地方の皆様に幸せなご加護がありますように・・・

宮入
コメント
 走り込みといわれる御輿の水入りのみ知っていましたが、当たり前のことですが、全体に祭りのストーリーがあるんですね。御輿が船に乗り大漁を祈願する祭りは、南宇和の深浦の祭りでも目にしました。深浦の祭りでは、赤黒2体の御輿と2体の牛鬼、2体の四つ太鼓が勇壮に喧嘩をする所が見ものでした。闘いはいつも神の宿る御輿が勝ち、長い急な階段を登って神殿に帰っていきます。和霊の祭りにも、豊漁や五穀豊穣につながる願いが込められているんでしょうね。
海の祭り
tentijin 様
和霊様が他の神社と違うのは、古代の神々によって守られているのでは無く、武士の家老職であった「山家清兵衛公」によって守られていることなんです。このように殿様で無く、家老職が祭られているのは吉田の安藤様ですね。(いわずとしれた武左衛門一揆)
愛南の祭りも勇壮ですよね。海の祭りも全国で種々様々在るんでしょうね。
3体の神輿、いずれも山家清兵衛の御霊だとははじめて聞きました。八幡神社など三柱の神様が祀ってあるので3体の神輿なのですが、ご神体一柱なのに三体とはなにか理由があるのですか? 
なぜ神輿が川に入られるのか? 私はこれまでこう思っていました。神輿を新しい網船に乗せて豊漁を祈願する神事のあとで、網船が須賀川を遡上するのですが、ちょうど神社下辺りでは浅くて船艪が使えなくなりますからやむなく神輿に降りていただき、御幸橋まで川面を渡っていただくというのが元の姿だったはずです。
今では網舟もなく、浦方ばかりか島の方も船で和霊大祭に来られることがほとんどなくなったようで、昔のように港を船で埋めて祭りの風景はなくなったようですね。これも時代の変化でしょう。
八幡さまのヨイサまで参加したのですか、ご苦労様でした。 
全て謎
木下博民 様い ご神体は中神輿とばっかり思って居たので聞いたところ、御霊は3つに分け(分祀)ているとのことでした。ここ最近の話ではないかと思います。(担き手のプライド)川の遡行は聞いたことはありますが、現在では水量がなく(須賀川ダム)不可能ですね。
 海との関係で理解出来たことは日振の島大名と言われていた清家久左衛門の力が大きかったのでは無いかとご住職が話されていました。山家は宇和島入り(1月10日前後)すると精力的に動きます。疲弊している村々、海岸や島を訪れたことでしょう。庄屋や各地を納めている武士達にも・・・それを助けたのが清家久左衛門、伊方屋仁兵衛だったようです。清兵衛亡き後、御霊屋建設も清家久左衛門の一党が執り行ったと聞きました。海岸に和霊信仰が盛んなのは成果久左衛門の力も影響しているのだろうと推測されます。
 命日は元和6年6月晦日(30日)と位牌に書かれています。つまり新暦に換算すると7月29日が命日となります。6年後は山家清兵衛400回忌で子孫の方々をお呼びして、盛大に法要をしたいとご住職が言っておられました。
 来年の特別展は3回行うそうです。和霊大祭に併せた展示は、和霊様、金剛山に残っている清兵衛関係のもの(真筆、肖像画に宗紀の画賛が入った物、焼け残った兜、奥方の落ち延びられた蕨生の寺に残されているお道具類)が展示されるでしょう。和霊様、金剛山に残っている物が出るのははじめてではないかと思います。新しい発見はおそらくありません。
解説をされたのですね。おかげで、走り込みの日の祭りの流れがよくわかりました。宇崎竜童さん作曲のガイヤ踊りも一役かっていますが、このような伝統をバトンタッチして守っていって欲しいです。お祭りに血がさわぐ人は必要です。さてFFさんはどの場所に立っていたのでしょう?
場所は?
吉野の食いしんぼう 様
牛鬼祭の欠点は、何時どこで、どんなイベントをやっているか分からない点です。流れも、毎年行っているのですが・・・あれを見て、これを見て、そして走り込みに・・・解説ははじめてでしたが、何とかこなせました。お盆にUCATで特集があるそうですから、機会があれば・・・
F.Fさんどこで見たんでしょうか?私は山門の向かって左手で解説をしていました。頭上に「うわつ」さんが居たようですが。全く気がつきませんでした。
祭はいいですね。しかし、暑かった!
祭り
Uキャットの解説お疲れさまでした~一番いいかぶりつきかと思いきや違う場所で残念だったですね。
走り込みの行事を正しく伝えなければなりませんね。昔は山車は無かったと記憶しています。そして仕掛け花火もなかったと思います。篝火はもっと燃えていたように思います。御神輿は御神竹にロープを巻いて3回まわっていた。御神竹には争うように登っていたように記憶しています。簡略され宣伝が多くなっていました。門外漢の人が川に入っていた。など写欲がそがれました。
伝統を頑なに守る祭りのほうが、魅力に感じるのは私だけなのかもしれませんが。
走り込み今昔、大きな相違は、昔は参加する走り込み、今は見る走り込み、昔は神が第一、今はショーが第一、昔は神輿が川を走って昇ってくると人々はパチパチ手を打って拝んだもの、いまはフィナーレの拍手、神様不在か?
見る祭りから参加型へ
うわつ 様
全然、昔と変わっています。伝統をどのように残していくかが課題でしょうね。当然、山車は無かったです。間延びするので考え出された物でしょうが、それも賛否両論!
お互い歳を取ったと言うことでしょう。(笑い)
見物の人は激減
木下博民 様
今は拝む人はほとんど居ませんね。ショーという感じです。山家清兵衛が神になった日などと言うことはほとんどの人が知らないでしょう。それだけ見る祭りになったということでしょうか?笑い様はどこを目指すのか?

管理者にだけ表示を許可する