天赦公園発掘調査現地説明会 | 鬼城

天赦公園発掘調査現地説明会

2014.07.21.Mon.13:00
案内状

7月20日9:00より現地説明会をおこないますの案内状が来た。
 この場所は御浜御殿と南御殿(天赦園)の間に位置する。
何か出るだろうと思って居たが塀の跡だったとは・・・
受付を済ませ、全体を撮影する。

発掘調査1

場所

天赦公園の東高側(北側)で見つかったようだ。
この工事は国土交通省が国道56号線の道幅拡張のための工事である。
市の配水管が国道の下になることから、付け替え工事をしなければならない。
そのための工事場所で一部が見つかったようだ。

発掘調査2

排水

天赦公園は国道より一段低い。
また、埋め立てられているため、満潮になると水が浮き上がる。
大雨の時など膝下まで水が出る。
いつも地下には水たまりが出来ているようだ。

発掘調査5

説明

文化課の学芸員の方によって説明を受けた。
伊達家の古文書をよく調べ、事実に基づいた説明であった。
説明は丁寧で、非常にわかりやすかった。
休みにもかかわらず、出勤された職員に感謝!
見学者は50人を越え、資料が足りなくなったとか。

発掘調査3

出土品

瓦、食器類・・・時代は新しいものだと説明を受ける。

発掘調査4 

資料1

図面1

資料2

実測図もあるが、県の埋蔵文化財センターが調査中ということもあり、掲載出来ない。
いずれ、きちんとした報告書が出るだろう。

図面2
コメント
浜御殿は宗城公、南御殿は宗紀公と両ご隠居のお住まいでも土塀で仕切られていたのですね。
時の流れ
木下博民 様
 宗禮様が藤棚の下で、城南中有方面を見られ、ここの偕楽園から見ていたら、鶴が飛んでいたと感慨深げにハナされていたのが、つい昨日のことのようです。宇和島は埋蔵文化財を残すだけの余裕が無い。すぐ埋めて新しい者に変わっていく。残念ながら歴史ある街なんですが、ほとんど歴史的なものは在りません。
竹葉節三さんの「雨のち晴れ」に、子供の頃来村に住んでいた節三少年は春先になると鰌をとって、伊達家に持ってゆくと鶴の餌に買って貰ったという思い出を書いておられます。
まだ平和な時代だったのですね。
木下博民 様
よき時代だったんですね。来村の川に鰌が・・・今居るかどうか分かりませんが、子ども達も川で魚を捕るような遊びはしていないでしょう。
沢山の見学人ですね。歴史ある宇和島を残すことができれば良いですのに。私は最初は河後森城趾にあまり興味がありませんでしたが、最近になって、歴史的なロマンを感じ季節季節に訪ねています。
 先ほど母の里に行き、従兄弟達と遊んだ川によってみたら、ガキん子が二人釣りを夢中になってしていました。ハヤを数匹釣っており、何だか嬉しく懐かしい思いがしました。
 明治時代には、「世界に冠たる宇和島」だったのに、どうしたのでしょうか。「全てを保存しなさい」と言うことはできませんが、核になるものまで手入れをしない、破壊してしまうではいけないのではないでしょうか。
 明日香の地は、「1m掘り下げると遺構や遺跡が出てくる。だから、計画を立てて発掘をするのです。」と、今から40年前明日香職員が話していた。
 文化の香りがなくなる町は、いずれなくなってしまうでしょう。
地元
吉野の食いしんぼう 様
 歴史は面白いですよ。吉野の歴史なども探ると、いろんな事が分かります。蕨生の妙楽寺の山家清兵衛公の奥方の遺品、来年、特別展で借りたいと言っていました。落ち延び先は伝説かと思って居たのですが、事実なんですね。
恩師の三好昌文先生が言われたこと「却下の歴史」です。
変化と不変
笑隆で~す。 様
何を残して、何を新しくするかですね。ほんと、何も残らない街になっています。木下先生も心配されています。しかし、考え方は、ずーっと同じなんですね。これが保守的と言われる所以でしょうか?
一番は堀が無くなったことにつきます。内港の渡し船なども・・・観光資源を破壊し続けてきたのが宇和島市なんですね。再現のしようはありませんね。
 歴史的遺物もその価値を認めなければ保存されず、保存のための予算も組まれない。税金はどこに使われているのだろうかと思うが、大久の税金は、政治家の懐を潤す方面にのみ使われているのが現状なのかも知れませんね。寂しいことですね。
価値観を見いだす・・・
tentijin 様
 価値観の問題なんですね。歴史が好きで亡い方にとっては、残すと言うことは大いに問題がある。歴史の価値があると考える人は、情けないと感じる。人それぞれでしょう。・・・と達観しています。人の考え方を帰るという努力は並大抵のものではありません。

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