菩提寺 | 鬼城

菩提寺

2014.06.22.Sun.12:00
霊亀山大超寺

宇和島の寺町通りの一番東側にあるお寺である大超寺、我が家の菩提寺でもある。
宗派は浄土宗、本山は知恩院である。
山門、鐘撞き堂は新築、修復され新しいが、木造の本堂は古く(1610年)、市指定の文化財である。

大超寺1

境内

この寺の境内は広く、現在は雑草で覆われているが、昔の葬儀はこの場所に参列者が・・・
お盆には必ず、盆踊りが有り、楽しみだった。

大超寺2

境内の地蔵尊

神社、寺には紫陽花がよく似合う。

大超寺3

寺から見る宇和島城

不思議なことに寺町通りの北側の寺からは宇和島城がよく見える。
要害ともなっていた寺・・・そのためだろうか。

大超寺4

我が家の墓・・・ではない 。

恐れ多くも、宇和島藩伊達家の初代秀宗の側室、二代藩主宗利の御母堂のお墓である。

大超寺5

知人から頼まれた墓参り

梅雨の合間、大超寺を訪れた。
寺には盆暮彼岸の年4回は必ず詣でる。
それと12月31日の除夜の鐘・・・
墓は姓があり、すぐに分かるだろうと、高をくくっていたが、あまりにも多い。
結局、お寺に聞くことにした。
しかし、最近は個人情報を公開しないと原則で、断られることが多い。
今回は知人の頼みで墓参りに来たということで教えて頂いた。
ところが、このお墓、お墓の一番上に有り、息切れ登山・・・(愛宕山の中腹あたり)
そこから見た宇和島の市街、宇和島城である。

大超寺6
コメント
なんとこんなに高いところにあったのですか。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。この寺には三、四年前に一度だけ行ったことがあります。その時も後輩の特攻要員で訓練中の飛行機事故でなくなりました。ちょうど本堂の裏でしたのですぐわかりましたが、こんどは申し分けありませんでした。改めて御礼申し上げます。私の級友の戦死者7人のうち、あと3人書けば終えるところまできました。ご迷惑お掛けした方のところは初稿を別途お送りしましたが、この調子で書いています。

記憶力に脱帽
木下博民 様
 散歩コースを少し外れたくらいです。お寺も菩提寺ですから融通を利かせてくれたのだと思います。それにしてもお墓というのは、どこの寺でも々だと思いますが道筋が複雑ですね。なかなか一直線では行きつくことができません。
 それにしても初稿を読ませて頂きましたが、すごい記憶力ですね。私の場合、朝飯を食べたかどうかという感じですから・・・・
1月2日に宇和島の七福神巡りをしたとき、毘沙門さまで訪ねたのがこのお寺だったのでしょうか?
紫陽花の花の彼方に宇和島城いいですね~。
落ち着いた寺
ありがとうございます。毘沙門天は大超寺です。宇和島で本堂が残っているのは金剛山とこの寺くらいですね。檀家も知らない間に紫陽花が多く植えられていました。広い墓地なのでいい運動になりました。
 大超寺奥のあの大超寺ですね。あまり馴染みはありませんが、何となく分かります。この季節本当に紫陽花がいいですね。木造の本堂(1610年)市指定の文化財とは、素晴らしい。宇和島でも屈指の古さでは?山上のお墓参りは、さぞかし大変だったことでしょう。我が家の墓も、眺めは良いのですが、登るのにいつもふうふう言っています。
お墓
tentijin 様
 今朝の新聞に公的な墓所の無縁仏が多くなっていて困っていると出ていました。お盆など、各お寺のお墓にお参りする途中、「何年何月何日までに連絡が無い場合は整理させて頂きます。○○寺」と書いた看板が数多く見られます。先行きが見通うせませんね。また場所も高いところにあると歳を取ったとき、お参りが大変ですね。
 お寺は心のよりどころ、花がきれいなことは良いことだと思います。紫陽花、萩、藤などで有名なお寺がたくさんありますね。
 我が家の菩提寺は、内子町にある「曹洞宗 瑞桂山 禅昌寺」です。旧内子町役場のすぐ後ろで、お参りに行くには大変便利です。車を止めて5mで我が家の墓地です。
 禅昌寺境内に「墓地の地図」が掲示してあり、お墓を探すのには大変便利です。「個人情報など関係ない」といったところです。このお寺には、日商岩井、現双日を創設した、高畠誠一氏のお墓があります。
 
本山は永平寺?
笑隆で~す。 様
 最近の会社はホールディングスなるものが多く、訳が分からなくなっています。「双日」という会社は知っていても「日商岩井」という会社を知らない若者は多いでしょう。高畠誠一氏の出身地なんですね。
 ブログに揚げられていた川沿いの桜、お墓参りの時だったんですね。
 体調、くれぐれもご注意を・・・
大超寺、幼いころ何度か行ったことがあります。墓参りだったと記憶もおぼろで、いつだったか愛宕山から墓地を通って記憶を辿ってみたけどそれらしい墓はなかった。以来、記憶から消えていたけど鬼城さんのブログで記憶を辿った時のことを思い出した。ただそれだけのことなのだが、なぜ大超寺に行った記憶があるのか?それは思い出せない。
ひしめきあう墓石を見ると、寺はさながらあの世の長屋ですね。でも人間は寄り添っていなければならないのですから、無限に膨らむあの世が長屋であることは自然の理でしょう。墓地の一坪は、現世の一坪よりもはるかに狭い、これも自然の理でしょう。
つまらんことを書きましたが、昔、ウイグル地区を独り旅して、モスクとはちょっと違った遺体を清め白布で包む職人を訪ねたことがありました。この地では砂漠にそのまま埋めてしまいますから、やがては誰もがミイラになります。「墓地には困りません。何処へ埋めても沙漠が長屋にはなりません。ただ一度砂嵐が吹けば所在すら確かめられなくなります」といっていました。それこそ自然に戻る姿かも知れませんね。
中国もいろんなところに・・・
木下博民 様
 世界では弔い方も種々様々ですね。今話題のウィグル地区まで歩いていたとは驚きです。先生がお元気なのは、ひたすら歩いたことからかもしれません。人間、身体の機能を使わないと退化すると言われていますから・・・体力等落ちるのは、車社会が最たる原因と特に感じる今日この頃です。
記憶
うわつ 様
小学校区ですから友達との可能性はありますね。遊び場が少なかった頃ですから、お寺や神社、山、川は最適な遊び場でしたね。大超寺では私も一緒だったかも・・・記憶が薄れているので・・・・(^_^;)

管理者にだけ表示を許可する