四国遍路開創1200年 | 鬼城

四国遍路開創1200年

2014.06.17.Tue.08:00
散歩コース

気分によって散歩コースを変える。
また、最近は距離が少ないようなので、市の北側を歩くことにした。
竜光院の前まで行くと大型バスが2台停まっている。
表示は「四国遍路別格20ヶ寺参拝」とあった。
看板が立っているように、今年は記念すべき年で、各地でイベントが模様されている。
寄り道をし、お参りすることにした。

開創1200年1

竜光院本堂

近寄って見ると、この方達は御詠歌を唱えている。
どうも正式なお参りの方達らしい。

数年前、お砂踏み行事の時、引火して本堂が火事になった。
今はきれいに修復されている。

開創1200年2

お参りの七つ道具「杖」

四国遍路で一番の忘れ物が「杖」とか・・・

開創1200年3


大師堂

こちらの団体の方達は「般若心経」を唱えていた。
貸し切りバスは「両備」(岡山)、「琴電」(香川)でともに県外ナンバー

開創1200年4

日曜日

親子で来ているのだろうか、小学生の女の子が蝋燭をあげていた。

開創1200年5

歩き遍路

自分もお参りを済ませ、散歩の続きを・・・
北宇和島あたりにさしかかったとき、目の前に歩き遍路の方が歩いていた。
お一人のようで、黙々と足を運んでいた。
昼前だった。
これから三間の龍光寺、仏木寺を経て明石寺に行き、宿泊だろうか。
ご無事で結願されることを祈ろう。

開創1200年6
コメント
 松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭に「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。」とあります。
 四国遍路から20日ほど離れると、「取もの手につかず」状態になり、無性に遍路に出たくなります。不思議ですね。結願しても同じような気持ちになるのではないかと心配しています。
 私も「別格20ヶ寺」の参拝も考えてはいるのですが、八十八カ所を結願した後検討したいと思っています。
 それにしても、歩き遍路の方には頭が下がります。元気で結願されるように祈ってしまいます。
やりたいことが・・・
笑隆で~す。 様
 四国遍路、結願すればまた行きたくなる心境、よく分かります。今年中に行けたらなあと思っていますが、飛び飛びで何かしら行事が入ってくるので予定が立ちません。暑いときは杖が「卒塔婆」になる可能性がありますから・・・松尾芭蕉、母は伊豫宇和島の人と竜光院には掲示板があります。宇和島市、掲示板くらいは何とかならないものか。
 歩き遍路は到底無理だと思います。一日10キロならともかく、30数キロとか。本当に頭が下がりますね。
龍光院が観自在寺の奥の院になったのは明治以降なのですが、四国遍路開創1200年とははじめて承りました。四国遍路が現在のような形になったのは元禄時代で、それまでは僧たちの修業の場として徐々に形成されていったときいていますが、1200年前といえば空海の40歳の頃、空海が唐から戻って8年ばかり後ということになります。もっとも、若い頃の空海に肖りたいと修業したひとがいたかもわかりません。
不勉強で1200年がひっかかりなす。
それよりも、九島願成寺が元禄の頃までの奥の院で、やがて遍路の便を考えて元結掛に遷し、元結掛が廃仏稀釈で廃寺となった明治初期、龍光院に遷したのですから、今度九島の架橋がなると、本来の奥の院へ戻すか、いま一つ奥の院を造って、宇和島発展の役にお立てになる運動をされてはいかがでしょう。
大いにご利益がありますよ。
鬼城さん
芭蕉の母が伊予宇和島の人というのはいささか眉唾、子規がそういったと何かの本でよみ、さんざ深川の芭蕉資料館へいって調べたことがありましたが、一笑に付されました。どうも年代が合わないのです。
まあ、お話としては楽しいことですが、龍光院の掲示板、「断定」はなさっておられないでしょう。でも夢はありますね。宇和島には多くの俳人がおられますから。
 龍光院は下から眺めるだけで上がったことがありませんが、お参りの方が多いのですね。私の友人達は親孝行に自家用車の運転手で88ヶ所参りに貢献していますが、私はそれもしないままです。
 いざ、自分がしたいと思ったとき、足や腰に支障が出るのではと、四国遍路には弱気の私です。
務田の上り坂を歩いておられる歩き遍路の方を見かけると、「お道ように。」と思います。
山の行き帰り久万街道を自転車で走っているとお遍路さんに出会います。

今回出会ったお遍路さんは、徳島からの歩き遍路12回目の人でした。
四国観音霊場も一緒に廻られているとか。
しばらく峠の東屋でお話させてもらいました。

別れ際に、ささやかなお接待を。
私自身の経験から、これから夏の暑い時期は、自販機のペットボトルの代金150円が、一番頂いて有り難かったです。
飲み物そのものを頂いても、すぐに生温くなります。

これからの時期、炎天下の街道を歩いているお遍路さんを見かけたら、
ぜひ一声かけて、ささやかなお接待を(笑)

遍路には、道で声を掛け合い励ましあうことが自然にできます。これは登山でも同じこと。7月号『岳人』に皇太子の富士登山の随筆が載っていますが、彼とて登山者を追い越すときには「おさきに」と声をかけるとありました。事々左様に同じ目的に流れている人は心が自然と一つになります。
そこから、和やかさ、助け合い、平等心が生れます。そころがどうでしょう、いまでは朝、途行く通勤者に一言「おはようございます、ごくろうさま」と声をかけても相手にしてくれません。世の中、ギスギスしてますね。
宇和島のみなさん、遍路には「一言声かけ、励まし運動」なさいませんか? 会釈だけでもいい。
むかし、光満の坂で歩き遍路を車で追い越したとき、ちょっと車を止めてもらって、その遍路に100円お布施させてください、といったことがありました。かれは納経札を名刺がわりにくれました。「まだ、竜光寺まではすこしあります。気をつけて」といって車に乗りました。彼の修業の邪魔をしないよう、乗ってゆきませんかなどとはいいません。納経札を見ると秋田の方でした。
何を利用するか・・・
木下博民 様
 別格などというお寺の称号は誰が決めるのでしょう。おそらく勝手には決められないと思います。橋が架かかっても市内から九島へ行く人が多くなることはないでしょう。なにしろこの橋は九島住民ための橋ですから・・・元結掛のうばめ大師も参詣者はあまりありません。歩き遍路、それも遍路道を通る人がお参りする程度ですね。
 芭蕉の母、伊豫宇和島の人というのは確証は無いとのこと。古文書の裏付けが無いということでしょう。言い伝えの一つかもしれません。私は古文書解読し、それが事実というのも分かりますが、それも真実かどうかといつも思います。記紀しかりですね。
大観音も・・・
吉野の食いしんぼう 様
 「お道ように・・・」久しぶりに聞きました。なにか「ほんわか」とした語感ですね。四国遍路は無理をすることは無いと思いますが、一度行けば、何度も行きたくなる不思議な感覚が芽生えます。車で行けば、区切っていけますから、大丈夫ですよ。
 竜光院は宇和島城の鬼門(北東)に建てられたお寺で宇和島藩伊達家の祈祷所でもあります。檀家も多く、丸山の下までお墓がありますね。それと山に沿って「ミニ88カ所のお地蔵さんさんもあります。一度上がってみてください。
面白いお話しを・・・
ランスケ 様
 体調が戻ったようで安心しました。相変わらず写真の視点は素晴らしいですね。最近は自転車に目覚めたようです。バイクと違い、スピードが調整出来ること、周りの景色も見やすいことなど利点がありますね。私はもっぱら市内は歩きですが、郊外へは折りたたみ自転車を使うことが多いです。車は月に数度しか乗らなくなりました。
 12回の歩き遍路の方、頭が下がります。何を願い、何を求めているのか・・・御接待、暑い季節には水分補給のためペットボトルが良いですね。生温くなるから現物では無く、ペットボトルの金額を差し上げる、歩き遍路を経験された方でないとわかりません。これからそのようにして行きましょう。
おせったいとおせっかい
世界遺産になるのは、四国88ヵ所遍路道が?あるいは四国88ヵ所かな~?などと考えてました。
四国遍路は熊野古道と違って、さまざまな思いを抱いて遍路をしている人や供養で遍路しているのだから、中にはお遊び遍路もいますがね。お祭りモードにスイッチが入ると、どうなるのかと要らぬ心配をしたりしています。供養や修行からお祭り遍路へこれも時代の流れなのかな~お接待がお節介にならなければいいのですが・・・・・
 駅から手近な所にあるのが龍光院ですか?最近、観音像が立っているのもそうでしょうか?何度か登ったことがあります。母を連れて行った記憶があります。札所巡りは、まだ未経験です。不信心なので、なかなか思い立ちません。回るなら、元気なうちですよね。
無心
うわつ 様
 88ヶ寺在れば意識統一が中々難しいようです。仏様も世俗にもまれています。遍路の心そのものは世界遺産にして良いと思います。しかし、心ない人たちによる人種差別など在ってはならないと思います。お祭りモードは考えものですね。しかし、1200年続いていることはすごいことですね。
経験
tentijin 様
 そうです。駅からすぐ見えますね。観音像も大きいですね。あの前に河津桜が6本ほど有り、3月はじめに満開になります。札所巡り、元気な内に行かれてはいかがですか?何事も経験・・・知らず知らずのうち、仏教にも触れることが出来ました。

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