岡本家の矜恃 | 鬼城

岡本家の矜恃

2014.06.07.Sat.15:00
大作

この「岡本家の矜恃」は4年前より執筆されていた。
現、岡本家のご当主とは木下先生のご友人・・・
三間のお庄屋としての歴史に興味を持たれ、調査研究されて文字になった貴重な記録である。

地域文化を大切にするためにも一読する必要がある。

と前置きが長くなったが、先日、郵パックが届けられた。
差出人は木下博民先生である。
開封してみると完成された「岡本家の矜恃」が・・・
600ページ近くに及ぶ大作である。

岡本家の矜恃1

三間という地区

仕事で2年間、お世話になった三間町・・・
それ以前も趣味の卓球の仲間が多く居て、三間通いを絶えずしていた。
この地区には各部落ごとにお庄屋さんと言われる旧家が多い。
岡本家はその一つである。
しかし、記録が残っていないことも多く、残念なことである。
今回、調査研究され、出版された岡本家には数多くの書類、文書が残っていた。
この記録を後世に残すため、出版を快諾された、岡本健氏およびその記録を文字にされた木下先生に拍手を送りたい。
これから時間を掛け、500年前より三間町の歴史に浸っていきたい。

裏表紙の写真は現在の岡本家

岡本家の矜恃2

創風社

数多くの出版をされている木下先生、松山市の創風社出版を使われている。
ここのご夫妻は宇和島市の出身である。
私の友人の友人でも有り、私もFaceBookに登録している。

岡本家の矜恃3
コメント
恐縮しました。鬼城さんのブログまで使わせて紹介していただき誠に有難うございました。これは岡本家を骨の南豫史と視て頂ければありがたいのです。
こちらこそ恐縮です¥・・・
木下博民 様
 これだけの資料をよく調べられ、一つの家として南予に残るお庄屋さんの記録を詳細に書かれていることに頭が下がります。もともとは伊達家の領地ですが、北宇和郡は独特の村の制度で成り立っていますね。三間(成妙、二名、三間)、広見、松野、日吉しかり・・・現在、歴史的には河後森城跡(松野)、等妙寺(広見)の調査などで活気づいています。これから次世代に向け引き継ぎがなされなければ成りませんね。
 縁あって、M小に二度勤務しました。30才前半の1度目、この庄屋岡本家の娘さんが児童で在籍し、私にいい思い出を残してくれました。

 今日も戸雁の友人に用が出来、車を走らせながら、迫目通過時、木下先生のご本の事を思いだし庄屋の佇まいを安全運転で眺めました。
 いつも通る道から見えるお家が岡本家なのですね。家の構えやつくりから、そのようなおうちのような気がしていました。写真のように養蚕をしていたのでしょうね。養蚕は、日本の一大産業であったので、当時の繁栄は、並外れたものだったのだろうなと思います。
この本は、一岡本家の歴史というよりも、南豫の農家の生きざまを描いたつもりです。明治以降100年余南豫の山も畑も桑、桑、桑・・・の時代があり、農家ではカネが欲しければ、米を作るより蚕を飼えといった時代のあったこと、いまでは殆ど忘れられてしまいましたね。
これを書くのに苦労したのは、養蚕資料が宇和島では容易に入手できなかったことです。もちろん野村の養蚕資料館へも行きました。
農、すなわち日本国の基本は「米と蚕」だということは、いまでも天皇家の重要な行事になっているほどですのに。
歴史の重み
吉野の食いしんぼう 様
景色を眺め、見事な佇まいと思うだけでしたが、歴史をたどると500年の重みがあるんですね。そうか、「食いしんぼう」さんも三間に居たことがあったんですね。m(_ _)m
話が合いますね
tentijin 様
 三間のお庄屋さんは、見事な佇まいです。A家、D家なども・・・ただ、私も含め、大きな家だなという感じしか持ちませんね。食いしんぼうさんが言われているとおり、当時は並外れた家だったと思います。tentijinさんも三間に地番が・・・
資料
木下博民 様
 養蚕の思い出・・・大超寺奥も鬼ヶ城山系の谷間ですが、ここにも養蚕農家が多かったんです。以前、残っている桑の大木をアップしましたが、名残ですね。いまでは語る人も居ない。我が家の母親の里は百姓だったので、蚕を飼っていたそうです。話を聞いたこともありますが、ほとんど忘れています。ただ、蚕が桑の葉を食べるときの音についてきいたことがあります。明治維新を迎え、どこでも蚕を飼っていたんですね。世界遺産になった富岡しかり・・・資料は見たことがありませんね。
 昨年、京都祇園祭に行った折、実行委員会の理事長さん(祇園祭の先頭を歩く方)にお会いしました。(普通では会えません)シルク博物館の建設、設計に関わりが有り、宇和島にも来られたとか。
祇園祭りの山車の緞帳は絹で、あの刺繍は凄い。いつか中国南京へ行きましたら、「南京市雲錦研究所」で、西陣から注文された豪華な古代錦復元作業をやっていて眼を見張ったことがありました。これがどうも祇園山車のそれだったような気がしました。拙著「中国大陸戦痕紀行」の397ページ参照。
絹製品
木下博民 様
 まさにシルクロードですね。祭りにつきものの山車の飾り、ほとんどが西陣とか。金糸手のひらに乗るくらいが30年ほど前に6万円と聞いたことがありました。古代絹の織物の復元、戦争当時より中国で行われていたんですね。
 今では人件費削減で中国に発注しているメーカーが多いようですが・・・それも高騰しているのと政情不安定なので他の国になりつつあるようですね。
大きい家
大きな家の前にはいつも花が咲いています。当主がK先輩の知り合いということで良くおじゃましたそうです。庭に蛇が棲んでいるとききました。
三間は旧家が多い
うわつ 様
お庄屋様は、われわれ庶民とは違っていますね。大きな家、庭、人全てを見ても現在でさえ違います。江戸時代の縦社会なのでしょう。Kさんの家も古くからある家では無かったですか。
仕事があって身動きとれず・・・天赦園と散歩くらいです。

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