砥部焼祭り | 鬼城

砥部焼祭り

2014.04.22.Tue.09:00
砥部焼祭り

もう31回になるとは・・・
訪れるのは初めてである。
今までに何度も機会はあったが、駐車場が混むのと要る物が見当たらないので・・・
どうしても外せない所用も有り、松山に・・・
少しの時間が余ったので砥部焼祭に行った。
雨模様でお客さんは少ないだろうと踏んでいたが、見事外れだった。
昨日がおおかったそうで、陳列が少なくなっていた。
会場は2つに分かれていた。

砥部焼祭1

駐車場よりゲートをくぐり

道筋には屋台が一杯、人も一杯・・・

砥部焼祭2

道筋

結構、家族連れが多い。
目的の買い物は何だったか、気になるところである。

砥部焼祭3001

会場前

餅つきをやっていた。
突いたあとはまるめて販売していた。
薄手つく餅は粘りが有り、珍しいのか購入する人が多かった。

砥部焼祭4

体育館会場前ではユルキャラのお迎え・・・

名前は「とべっち」

砥部焼祭5

会場内

窯元ごとにブロック化され、目的のものが手に入りやすくしているようだ。
目的のモノ、夫婦茶碗、子どもの茶碗を購入・・・
日頃より4割程度安い。

砥部焼祭6
コメント
毎年気になりながら、行くのを我慢?しているイベントです。これ以上食器類が増えたら整頓も出来ないし、使い切れないのが原因です。でも、4割引きと聞いて、心が動きます。砥部焼きはいたわしくないので、日常に使うのに相応しいですね。県外の人へのプレゼントを求めに次回行ってみようかな~。
戦後、水戸にお住まいの宇和島商業の恩師を、宇和島へご案内したことがありました。荷見先生といわれましたが、私は東京から広島経由で宇和島までお供役をしました。
広島で一泊しフェリーで三津に上がると松山在住のの同級生が迎えてくれ、先生の希望される大山寺と砥部を見て回りました。
私が砥部へ行ったのはそのときだけ。みなでそれぞれに絵付けをして記念にしました。私は湯飲みに「和顔愛語」と書いて、毎日使う器にし、先生を偲びました。
そのとき松山に居た同級生は、いまでは全員亡くなりました。荷見重恭先生も故人、でもあのときの想いでだけは、はっきり覚えています。
師弟というものはその人の人生を大きく左右するものですね。
この先生には学業だけでなく、しばしば食事に呼ばれ、奥さんの手料理をご馳走になったことがありましたっけ。我が家は月の半分はごま塩の茶漬けだけでしたので、先生宅の白菜の浅漬けの味はいまも忘れません。お住まいは「花生園」でしたが、みなさん、こんな呼称の場所があったこともうご存知ないでしょうね。竜華の門前下、辰野川右岸でした。こんなところまでといいたいくらい空襲で焼けました。先生は身一つで宇和島を去られたのです。しかし、戦後、私は何度水戸へ伺ったことか。亡くなられる前日、意識のしっかりされていた先生のベッドの横で思い出話をしました。手を握って別れようとしましたら、なかなか離されません。「また来ます」といったが、翌日亡くなられ、すぐまた葬儀に行きました。
「砥部」の思い出が、ついつい飛んでしまってご免なさい。
訂正。
私としたことか、前メールの「花生園」は「花笑園」の誤り。相当にボケましたね。謝ります。
得した気分
吉野の食いしんぼう 様
 すごい人でした。日用品ですから購買意欲が沸くのでしょう。割引は5割から3割程度だそうです。以前、空港で販売していた夫婦茶碗3、000円が1、600円ほどで買えました。しかし、私が行ったのが2日目の午後だったので、少なくなっていました。行くのなら一日目の午前中が良いですよ。
 会場は2つあるようです。
連想
木下博民 様
 連想、つながりの思考ですね。人とのつながりも同じだと思います。広義に言えば「ネットワーク」。歳をとるごとにこの重要性をかみしめています。砥部の絵付け、今では観光の目玉となっていますね。
 砥石山といって、陶磁器の陶石が産出されていたところから地名になった山があります。ここから産出されていた良質の陶石はもうなく、韓国からの輸入に頼っているとのことです。窯元も多く、見て回るのも楽しいですよ。水車で石を打ち砕いている窯元もあります。昔ながらの絵になる風景です。
 ちなみに砥部の領地は大洲藩で、藩財源のひとつとなっていたそうです。
 私も一度訪ねてみたいと思いながら、現職の時は難しかったですね。使っていて「壊れてもいいや」と思う砥部焼ですよね。勿論、高価な物もあるのでしょうが、生活の中で使っていてこその砥部焼ですよね。
そうそう、大洲藩は「砥部」という「飛び地」を持っていたのですね。
日用品
笑隆で~す。様
センターの出所祝いに頂いた夫婦茶碗、25年ほど使っています。(笑い)丈夫で長持ち、飽きが来ない陶磁器ですね。金額ですが、日常生活用品などは安く感じます。しかし、昔、砥部の旧家(同職)に招かれた折、床の間に転がしてある花入れを見て、「ください。」といったら、これは古砥部だから上げるわけには行かないという返事。あとで詳しい人に聞くと、捨て値でも500万とか。古がつくと値段が跳ね上がるんですね。安土桃山以前でしょうか?
集客
木下博民 様
「花笑園」は誰も知りませんでした。詳しい方に聞いてみます。愛媛の藩は伊豫八藩といって分裂・・・全国、このような県は他に無い。各地域ごとにイベントをしても盛り上がりに欠ける。来年の「秀宗入府400年」にしても「そうなの?」というかんじでしかないのが現状です。しまなみ博、水軍で今治が現在、大イベントをやっています。ここは集客力はあると思います。さて、南予の果てまで来るかどうか心配です。何も決まっていませんから・・・
白旗~
砥部の焼き物センターには何度か行ったことがあるのですが、砥部焼き祭りは行ったことがありません。さぞや大勢のお客さんだろうと想像しています。
宇和島藩のことにふれていますが私も盛りあがりに欠けるのではないかと思いますね。
今治は自転車と水軍ですね~ 
マイッタ~(笑)
宇和島がこれから大々的におやりになるイベントの企画段階からケチ付けては大変恐縮ですが、「秀宗入封400年記念」といっても、どの程度秀宗を宇和島の現代人が知っているでしょう。
仮に、宇和島の人々にその認知度を性別年齢別に聞いてご覧になったことがありますか。改めて尋ねるとおそらく思いがけない認知程度が分るでしょう。いや、このイベントは「宇和島伊達藩の治世になってからの400年を記念するのだ」と言っても、これも充分には知らないでしょう。
シャボン玉イベントでは困るので、これで何を学び、何を次代へ繋げてゆくか、真剣に考えなければなりません。とにかく、税金を使うのですから。57騎の仮装行列(?)をやるか、牛鬼に八つ鹿コンクールでもやるか、宇和島さんさの一大発表会でもやるか、記念講演に名士を呼ぶか、お城を中心に展覧会でもやるか、いや産品の格安販売でもやるか、将来に残る「宇和島の自然と文化誌」(現在刊行中の人よりモノ中心でないもの)でも出すか、まあおさなりの貧しい智慧でなく、英知を絞ってお願いしたい。
先年の県費を主に投じたイベントは、出費先が県だからまああの程度で仕方ない、という方が居られるかどうかは知りませんが、今度は身銭を切るのでしょう、団塊の世代で現役を退かれ、まだまだ気力体力旺盛な諸兄姉の出番だと思います。
被写体には?
うわつ 様
たまたま行ったという感じです。しかし、中心となる産業ですから地元の人の熱意はすごいものが在ります。継続してやっているモノに「七折梅祭り」があります。打ち上げ花火はわびしいですね。
早くもあきらめムード・・・
木下博民 様
 おそらく、知名度は無いと思います。そこで何を広報するのかが問題となります。さて、どうするのか不明ですが、いやし博の二の舞という感じがします。税金を使うのですから、将来発展するモノ、残る物が大事です。まだ決定されているモノはないようです。二年前ですか、仙台も歴史姉妹友好都市40周年記念行事を来年(奇しくも入府400年と同じ年)しますが、計画は出来ているようです。
 友人たちにも知恵を出せる人は居ますが、その場が無い。行政は頼みになりません。
知恵を出せる友人が居られるのに、「知恵を出す場がない」とはいささかげんなり。ご自分を諸葛孔明とでも思っておられるのならばナンセンス。生を受けた町に尽くそうという気構えがあれば、進んで発言の場に立ち向かい、議論し実現させましょうに。「60,70は洟垂れ小僧」とは平櫛田中がいった言葉でしたか。老人ぶらないで、おおいにその場にシャシャリ出て、行政を慌てさせてください。
 ゆるキャラ「とべっち」、あまり馴染みではありませんが、絶妙のネーミングですね。砥部の土は、石を砕いて粉にしたものを粘土として使っていると聞いたことがあります。1度レリーフを作って焼いたことがあります。素焼きの段階で美しい桜色というか、ピンクの色をしています。上薬を付けてしまうのが、惜しいくらいのいい色をしています。私が窯元なら、絶対に素焼きの器を売り出します。
陶磁器?
tentijin 様
焼き物の大家でしたね。それにしても何でも挑戦する姿勢は見習わなければならないのですが、自分は丁か半かの人間ですから、ほとんどがあきらめてしまいます。素焼きで良い色が出るのは知りませんでした。釉薬によって色が付くことは知っていましたが・・・陶器と磁器との区別は?これが私の知識です。

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