北鎌倉_建長寺 | 鬼城

北鎌倉_建長寺

2014.03.21.Fri.12:00
鎌倉五山の一つである建長寺

このお寺は掃除が行き届いていることで有名だそうだ。
きれいな庭のことを「建長寺の庭を竹箒で掃いたようだ」というとか。
もう一つの逸話は「けんちん汁」
修行僧が考え出したとされる精進料理発祥の地・・・

建長寺1

三門

重量感のある見事な門である。
扁額の大きさは半端ではない。
さすが鎌倉五山第一位、ちなみに二位は円覚寺である。
今回の見物は二ヶ寺のみ・・・

この寺を訪れる道筋で学生たちと会った。
記名には鎌倉学園とある。
この学園は中高一貫校で桑田佳祐氏の出身校で名高い。
そういやあ、この三門でサザンオールスターズが2003年にスペシャル・ライブをやったことがあった。
大混雑だったとか。
また、周囲が重文ばっかりなので音響に特に注意を払ったとも・・・ 
 
建長寺3

仏殿

参拝の道筋には「牡丹」の花がずーっと続いている。
仏殿内は撮影禁止だった。

建長寺2

唐門

仏殿と同じく、芝増上寺より移築されたものである。
修復され見事な輝きが戻ってきた。

建長寺4

梵鐘は国宝である。

茅葺き屋根の鐘撞き堂も珍しい。

建長寺5

庭園

見事なたたずまい・・・
夢想国師作と言われる方丈庭園。
その他、柏槇の大木など鎌倉時代を彷彿させるような木々も多々ある。

建長寺6
コメント
 建長寺発祥のけんちん汁初耳でしたが、さもありなんという命名ですね。山門は、円覚寺のものより更に重量感があって迫力満点に感じます。今となっては、茅葺きの方が、瓦葺きより手間暇がかかり維持が大変でしょうね。
茅葺き
tentijin 様
かやぶき屋根の塔頭が多かったです。何々院と名付けられている場所が円覚寺。建長寺共に20くらい在りました。一つ一つがお寺さんなんですね。本山にはこのようなシステムが根付いているようです。建物自体はほとんどが重要文化財・・・寺の持っている絵画や古文書類は国宝が多いようです。さすが歴史ある街です。花の季節に行きたいですね。
同じかと何度も(笑)
建長寺と円覚寺の山門を何度も見比べましたよ(笑)
同じようで少し違っていました~(笑)
DVDありがとうございました。
写真展当番のため奈良写真美術館に行ってきます。
 お掃除の例え、けんちん汁と又、お陰で物知りになりました。ただ何時まで記憶に止まっているかが問題です。
 本当に重みのある建物ですね。唐門の戻った輝き、思わず「おおっ」と声を出して見ました。行ってみたい所が増え、時間とお金が欲しい!グリーンジャンボははずれでした~。v-62
宇和島にも禅寺が沢山ありますが、隙のないほど掃除が行き届いているのが特徴ですね。鎌倉五山第一の建長寺はさすがに立派ですね。北條時頼の建長寺、北條時宗の円覚寺とこれも武家政治の象徴のようなもの。宇和島に禅宗寺が多いのも城下街のせいですね。
茅葺の鐘楼で三間仏木寺のそれを思い出しました。これも風雅のあるものですね。
写真展
うわつ 様
 様式が同じなんでしょうね。しかし、大きさには圧倒されます。京都の南禅寺の三門の大きさにも驚きますが・・・写真の使い回しは、最近にニュースで見たような(苦笑)
 写真展、盛会を祈念致します。気をつけて行ってらっしゃい!
鎌倉時代
吉野の食いしんぼう 様
 鎌倉は1日掛けてゆっくり歩くのが良いと気がつきました。羽田から横浜で乗り換え、北鎌倉駅で降り、散策・・・泊まりは横浜あたり・・・そして帰ってくるコース・・・一泊二日の小旅行。欲張ったら予算オーバーになる。花の季節の頃の普通日が良いですね。是非・・・鎌倉市から何ももらっていません。奈良、京都に次ぐ歴史の街です。
散策
木下博民 様
 tentijin山が書いておられるようにかやぶき屋根の修復をする技術者が居なく成りつつあるそうです。仏木寺の屋根は西予市から来られるとか。宇和島の禅寺は臨済宗妙心寺派(京都が本山)ですね。やはり武家のお寺なんでしょう。鎌倉五山は全てが臨済宗の本山で各寺寺に塔頭があるようですね。ゆっくり散策したいですが、次は何時になるやら・・・4月は金比羅歌舞伎に行ってきます。
今年の外題は、役者は楽しみですね。
昔、この小屋の奈落や楽屋まで見てまわったことがありましたっけ。人力の舞台回しは大変だ、きっかけが狂うと役者は困ったことでしょう。今日に東京歌舞伎座のように舞台監督が一箇所で指示できないのですから。楽屋の極端に狭かった、大芝居をするには苦労があったことでしょう。
いつか亡くなった勘三郎がここで「俊寛」をやって、遠見の船を下手客席外を使って演じましたが、このようなことができるのもこの小屋だからです。また、この小屋には、花道の「鼈(すっぽん)」の他に、花道と本舞台の右角に「井戸」があって、ここからも役者が出入りできるようになっていましたっけ。珍しい仕掛けです。
とにかく金比羅歌舞伎は琴平の商店主の協力がなければできません。宇和島で、猿之助丈は4回目ができるかな? 
それにしても、あの高い石段を昇らせる魅力が金比羅さんにはありますのに、宇和島は城山脇の「南豫護国神社」の石段すら厭われるお方が多いのですから、寂しいかぎりです。
金比羅さん
木下博民 様
 中途半端・・・石段を逆手に取るという発想自体がない。役所は今まで通りのことしかやらない。これでは発展はありません。またあるものを利用することもできない。いま活性化を叫んでいる地域は、昔ながらの伝統や構造物の利用を考えています。決して新しいことではない。予算を伴うモノは地方の貧乏財政では不可能ですから・・・
 俊寛、勘三郎の金比羅歌舞伎はBSでやっていましたね。井戸なる出場所も初めて知りました。さて来年は子に野補助はなくなり、宇和島歌舞伎はあるのでしょうか?
南豫護国神社は市の関わり知らぬこと、この神社を崇めるのは市民の気心の問題でしょうね。
市民も・・・
木下博民 様
 石段の利用という意味です。市民の中にはこの石段を登り、すもう場のところから城山へ登る人も居ます。というのは時間が来れば城門が閉まるからです。宇和島の人は城による登れないのは定着していますが、旅の人には違和感があるようです。友人たちが進言したそうですが、無視・・・観光名所としてもっと活用できるのではと思っていますが、発想はありませんね。
鬼城さん。
私が言いたかったのは、南豫護国神社を市民はどう崇めておられるのか、と訊ねたかったのです。ちょうど、いま私は戦死した同級生の7人を再度調べているのですが、この中の一人に徴用貨物船の事務をするために乗り込んでいて南洋諸島で亡くなった男がいて、その経緯を辿りましたが、なんとも悲壮そのものでした。かれもここに祀られているとおもえば断腸の思いです。この人の名は、鎌田勝視、城辺の人、遺族はヤスエさん次男、乗船は三井物産所有の「秋葉丸」撃沈場所はクエゼリン島、昭和19年2月6日。
どなたかご遺族ご存知ですか?



南予護国神社
木下博民 様
 意図が分からず、ご迷惑を・・・南予護国神社参拝者は皆無と言って良いでしょう。宮司さんは丸の内の和霊神社が兼務です。私たちが若い頃はここで結婚式などもありましたが・・・今は寂しい状態です。私はよくここから相撲場を通って鉄条網の張り巡らされた隙間(門?)から城に登っています。
 私も愛南町勤務はありましたが、鎌田姓は聞きませんでした。知り合いに訪ねてみます。

管理者にだけ表示を許可する