宇和島藩鉄砲所 | 鬼城

宇和島藩鉄砲所

2014.03.12.Wed.12:00
NHK大河ドラマで有名になった会津藩山本家
当時、各藩にその製作所があった。

宇和島藩伊達家の鉄砲方「安達家」

安達家に伝わる城下町絵図
1830年代で宗紀の頃・・・
地図には天保?とされている。

左手、上部が現在の野川・・・
森は伊達家の菩提寺、金剛山大隆寺および竜華山等覚寺である。
その下手に鉄砲所があった。
幕末にはこのあたりに鋳物工場もあったとされるが、正確な位置は不明である。

幕末の宇和島城下地図

このあたりは空襲で焼けていない。
地図で見ると道はほとんどが昔のままである。
鉄砲所跡には喫茶店が・・・「和(なごみ)」
歴史研究会の方、安達家ご子孫の方と待ち合わせ、中に入った。
和風の落ち着いた空間・・・
静寂な中での会話・・・
今から150年前の歴史を紐解く、素晴らしいひとときだった。

鉄砲所跡

間取り図

店の方にお聞きすると明治中期の建物ということだった。
この間取り図は、安達家に残る鉄砲所の間取り図・・・

安達家にはこのほか「鉄砲の設計図」「試し打ちの記録」「火薬の調合」などの秘伝書が・・・
大河ドラマでは八重が書き写していた。
表紙には秘伝書と明記されている。
門外不出、人に見せてはならないなどとの記述も・・・
伊達家の特別秘密保護法であろう。

鉄砲所図面 

秘伝書(一部)

筆書きで詳細な設計図が残されている。
和綴じ本の中には、打った性能とか火薬の調合方法など秘伝が書かれている。
当時、極秘扱いだったことも想像できる。

鉄砲詳細図
コメント
 古いお家にはまだまだ貴重な資料が残っているのでしょう。私はな~んとなく、昔の事を知るのは好きで、水曜日はBSの9時からか、NHK総合の10時からの歴史番組のどちらかを見ることが多いです。(好きなだけで、直ぐ忘れ学びには繋がりません)岡田准一に惹かれてBS優先が多いですが、今日は奈良の大仏が話題になっているみたいなので、10時からの総合、歴史秘話ヒストリーにしよう!
 「和」の前は何度も通りますが、まだ入ったことはないです。
 この時代の「top-secret」だったのですね。それにしても、しっかり残っているのですね。貧乏小作人の我が家では、このような重要書類はありません。(^^;)
 ピエール瀧さんの「歴史発見 城下町へ行こう!」が好きでよく見ていたのですが、放送時間が、あっち行きこっち行きで分からなくなっています。
お茶も歴史も苦手な分野で、なかなかコメントになりません。お詳しい鬼城様の言葉をふむふむなどと読んでみました。
何を残すか?
吉野の食いしんぼう 様
 宇和島は残っているところは少ないと思います。かえって鬼北郷などには隠された古文書など在るかもしれません。歴史は残すもの・・・新しく生活しやすい場にしてしまえば、切り捨てられる。
 BSの歴史2巻する番組とか、歴史秘話ヒストリアなど面白いですね。先月の江戸城本丸御殿をCGで完全復元は面白かった。4月には聚楽第の完全CGがヒストリアであるようで楽しみです。
 「和」興味が湧くと思いますよ。
どこかで発表
笑隆で~す。様
 先日、歌麿の大作が発見されましたね。「深川の雪」だったか。秘蔵しているところがあるんですね。しかし、庶民の家では仕舞っておくところもない。玄関入れば勝手口と落語にあったような・・・
 朝の時間帯はテレビ番組のチェック・・・どの番組を録画しようかから始まります。決まった時間に始まると良いのですが、特番など在れば狂ってきます。
 話は違いますが録画するものにとってはテロップは邪魔ですね。
軽く考える(笑い)
tentijin 様
なるほど、ふむふむでいいんですよ。どうがんばってみても学者にはなれませんから・・・そうか、宇和島藩伊達家も幕末には会津藩と同じような組織があったんだな・・・くらいで考えると身近になりますね。NHKはこんな資料から、八重の鉄砲のスケッチを考えたんですね。
鉄砲所
ここは我が家の前、家主も変わっています。以前は酒販売店でした。酒販売店主さんとは親しくしてもらっていました。その後、屋主が変わったでわかりませんがよほど不便な所で鉄砲を造っていたのですね。ここらは地区の長老に聞くと戦前は何もない畑だったと聞きました。
木下先生のコメントが入らないのが気になります。
不明な点が多い・・・
うわつ 様
 その通りです。何もないからこのあたりに鉄砲所や鋳物工場を作ったのでしょう。鋳物工場跡はあると聞いていますが(金剛山の上あたり)、ご存じないですか?それと鉄砲の試し打ちをした場所が野川の鹿越えだそうです。この場所も分かりません。奥の方だろうと見当を付けていますが・・・
 木下先生、忙しいのかもしれません。それともFaceBookにはまったのかも・・・
宇和島の歴史といえば大正末期から昭和初期に兵頭賢一翁を中心にした研究が偉大だったので、いまはその追従のような感じがしてなりません。この鉄砲所のことなどドンドン掘り下げてほしいものです。
杉馬場(宇和津彦神社下の金剛山前の一帯)の脇に鋳造所があったといわれ、その場所がほとんどしられていませんし、猪越射撃場も先日鬼城さんの調査でやっと野川の奥だということがわかりました。あの時代の宇和島といっても150年ほど前にすぎませんが、もうほとんど忘れられています。
最近は役所でも「宇和島の自然と文化」というキャッチフレーズをあまり使わなくなりましたね。とくに「文化即歴史」であることをお忘れのようです。
先日、宇和島に予科練のあったことに気づかれたご婦人の投書が新聞に出ていましたが、この予科練から特攻に飛び立った若者が沢山いたこと、忘れないでいただきたい。そんな犠牲の中でいまの私たちは生かされているのです。
遺跡?
木下博民 様
 たった150年前、しかし150年も前・・・現在、鋳造所跡の調査にかかっています。しかし住宅街があるため特定できません。廃寺になった野川奥の寺跡や大超寺手前の廃寺跡は分かりました。予科練、70年ほど前ですね。宇和島の文化や自然はいつものことながら稀釈される運命なのでしょうか?それと仕事が遅いのが気になります。

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