龍(ろん) | 鬼城

龍(ろん)

2014.02.15.Sat.18:00
またも消える

今日はえんま祭り・・・
朝から打揚花火が・・・
昼前に妻と一緒に出かけた。
本町追手にさしかかると角にあった中華料理店「龍(ろん)」が壊されている。
 龍は中学校の先輩が経営されていた店で「焼き飯」が有名だった。
よく食べたなあ!

つい一月前だったか、正面(現在はサンクス)の長屋も取り壊された。
丁度、左手はマンショになっているが、昔は融通会所だったところ・・・
そして芝居小屋「融通座」となり、映画館を経て、マンションになったところである。

正面奥の二階には友人の喫茶店があった。

このように宇和島は昔の建物がなくなり、歴史が忘れ去られようとしている。
何とか記録に残したいものである。

龍1

広小路側から見たところ

昨日、散歩の途中、神田川のほとりに飢えられていた大木も切り倒され、無残な姿に・・・
栴檀だったろうか?
宇和島はどこへ向いていくのか?

龍2

えんま祭りの帰り道、ふっと見上げると鬼ヶ城が・・・
ここだけは変わらない。

左手は中井家、コッフさんの自宅のあったところ・・・
現在は「鐸庵」という和風の建物が奥にある。

ここの場所、江戸時代は稲井家、萩森宏嗣が切り込んだ屋敷場所である。
萩森事件とはウキペディアによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E6%A3%AE%E9%A8%92%E5%8B%95

龍3
コメント
あれっ~「龍」姿を消したのですか。具材を細かく刻んだチャーハン昔何度か食べに行きました。昔からのお店が無くなるって寂しいです。もう少し下がったところの「メール」のドリアは母娘のお気に入りです。
 萩森事件、こんな事が昔起きていたのですね。
 寒いえんま祭りだったのでは。
消える町
融通座前のロンが取り壊されていますか。一時はかなりのお客で繁盛していました。追手通りも店が少なくなって通りに人がいなくなりました。武徳殿・警察署・融通座(スバル座)等々消えて今は交番も無人です。萩森事件は泰平の世に切腹として聞いたことがあります。
何とも成らない!
吉野の食いしんぼう 様
 懐かしい店が次々と姿を消していく。伊吹町にあったスーパーハッピーも店じまいとか。大型店舗に押され個人商店は消え去るのみですね。商店街活性化などと言う議員や首長などは詐欺師に等しい。時の流れには逆らえないですね。されなら公約で言わないこと。
 ドリアに出没(失礼)ですか?ここら界隈も昔は賑やかでした。そうそうえんま様、結構賑わっていましたよ。寒さもそれほどではなかったです。
活性化、具体策は?
うわつ 様
 宇和島人でも「萩森事件」を知っている人は少ないですね。法円寺には宏嗣の御霊屋があります。第二の宇和島騒動とも言われています。
 懐かしい店が消えていきますね。喫茶店で残っているのは「安藤」と「蛮」くらいでしょうか。かまぼこやさんは繁盛しているようです。お菓子屋さんも少なくなりましたね。なにしろお客さんがいない。さて、数年後には人口半減でしょう。
 「龍」の建物がなくなったのですか~。寂しいですね。
 新採で宇和島に赴任して宇和津町に下宿していた時代、夕食はここでよく食べていました。「チャーハン+ラーメン+餃子」がメニューでした。今でもこの味を覚えています。
 「萩森事件」というのは初めて聞きました。こんな事件があったのですね。ウキペディアで確認したら、凄い人だったのですね。今の国会議員に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですね。もっと、顕彰しなければいけない人物ですね。
こんなことをいうと嗤われますが、昭和初期は中等学校生徒のうどんやへ入ることも不良のなぜる行為と厳しく叱られました。卒業にた直後、誘れて本町筋にあった「更科」といううどん屋へ入ったときにすら、先輩か先生に見つからないかとオロオロしたものでした。
「融通座」が南予第一の芝居小屋だった時代、もうほとんど知らないでしょうね。これが、藩の金融機関「融通会所」(記念碑が街の中にありますよね)の解散時の残金転換処置で建てられたことも、もはや夢の夢。
「えんまさん」ですか、宇和島の子供には懐かしいお祭りですね。
小学1年の時、放課後、担任の大内利雄先生に手を引かれて初めて詣り、帰りに評判の「ひょうたん菓子」を買ってもらって喜んで帰ったら、親に先生に散財させたとひどく叱られたこと、忘れません。貧乏だったのですね、なんとかして家を逃げ出すには寺の小僧になることかもしれんと、真剣に考えたのも閻魔さんのあの日でしたっけ。大変可愛がられお世話になりました先生はお若くして亡くなられましたが、お子さんは滋賀県長浜にお住まいでもう定年を過ぎお元気です。
人生、生きすぎるといろいろな思い出があるものですね。

知らないことが多いです・・・
笑隆で~す。 様
 萩森事件は八幡浜の方が詳しく調べられています。詳しいことは、これもマル秘の出来事のようであります。お参りする市民の方が多く、以前の法円寺のご住職があまりにもみすぼらしいお墓とお堂を建てています。その墓を移すとき、瓶の中に遺髪があったとか。山家清兵衛は家老、萩森は位は下の武士・・・行いは庶民のためと共通なんですが・・・
経験に勝る物なし・・・
木下博民 様
 思い出は財産・・・残す財産はないけれど、自分の心の中には、いろんな人との交流があります。これは一財産以上のものだと思いますが・・・特に先生のように戦争を経験された方々は、苦しみや楽しみや苦労や喜び、一杯ではないでしょうか?
 芝居小屋などという言葉も私の年代くらいまででしょうね。融通座では父がよく踊っていました。父は藤間流の名取りでしたから・・・
 懐かしいお店が消えるのは、寂しいことですね。横の映画館には、何度か足を運びました。まだまだ映画全盛時代だったと思います。コンビニの向こう側にある八百屋さんも私にとっては思い出の場所です。後継ぎさん、頑張ってほしいです。宇和島の町のいくつかの場所は、母親の思い出と密接に結びつき、母親が亡くなったとき歩いて写した写真も、もう、どこに入っているのかさえ分からなくなっています。しばらくは、私の頭の中に残っていることでしょうが・・・・。
残すべきもの
tentijin 様
 八百屋さんは「高田商店」ですね。龍の下のたばこ屋(太鼓饅)、お総菜(うなぎ)の鈴木商店、その下のスーパーも廃業しました。
 思い出に残っているものはいつか消え去る。景観とか美観とかは行政指導できちんと条例化されている。この点では宇和島は「ざる」行政・・・だから何も残っていないし、残す努力もしない。
 子ども時代に遊んだ神田川の風景、今はもうない。残念ですね・・・
No title
龍さん、
取り壊しですか、
その数年前に懐かしいチャーハンを食べたくて訪れましたが、店内に人影も明かりも無く臨時休業かなと思ってました。
久しぶりの宇和島帰省で、木屋旅館さんに宿泊予定でしたので、散歩がてらにチャーハンで高校時代にタイムスリップと思ってましたが、とても残念です。
貴重な画像を有り難う御座いました。

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