早春の城山 | 鬼城

早春の城山

2014.02.09.Sun.12:00
寒波襲来!

日本列島が大雪に見舞われた日、宇和島では氷雨・・・
毎日の散歩コース、城山越えでの切り取り。
上り立ち門より入ったところの石段である。
ここが正式な登城ルートである。
大手門より、時計回りに城山をぐるっと回り、家臣たちはこの場所から・・・
殿様は御殿がら一直線でこの門から入城、登城していた。

早春2

石段

この石段は下り、天守より井戸丸方面へのものである。
怪我などしないよう安全を考え、崩れないようにしている。

石段

今回のメイン「石垣」

宇和島城は何度も修理されている。
藤堂髙虎によって築城されたとされるが、伊達家入府の後も石垣や天守なども変わっているようだ。
築かれた石垣の年代を調べるのも面白い。

石垣1

結構古い時代の石垣
苔むした石垣・・・

石垣2

この上部が代衛門丸あたりか?

石垣3

城の中にあるつや消しの遊園地から天守に登る石段
左手は非常に高く積まれた石垣・・・


石垣4

本丸に飢えられている「薄紅寒桜」

昨年は3月3日が満開だった。
今年はと思って見たら、蕾は今にも咲きそうなくらい膨らんでいた。
この寒空に・・・
先週の異常な暖かさが影響しているのだろう。

早春1

ないっ!

天守の裏に回ってみると、先月撮ったミュージックサイレンがない。
写真を見た人があまりのみすぼらしさに市に言ったのだろうか?
コンクリートの枠組みが出来ていた。

このように自然に残っている城は日本国中探してもない。
整備は最小限で観光客を呼べないものだろうか?
前から言っているが「日本一整備されていない城!」で売りだそう・・・

ミュージックサイレン
コメント
 水仙の甘い芳香に誘われるような導入から、石段を登ると苔むした石垣と亜熱帯性の植物が茂る道。そして、昔ながらのこじんまりとした天守閣。このように自然が残された城山は本当に数少ないと思います。かつて、三輪田俊助先生が城山に武道館建設の計画が持ち上がった時、市民運動として先頭に立って反対をされたことがあります。城山に残る貴重な自然を守るための止むに止まれぬ活動であったと思われます。今こそ古き良きものを残し伝えていくことの大切さを痛感いたします。
 
自然が一番
kacchan 様
 何にも残さない宇和島市・・・過去の行政は何をしたのか?やむにやまれぬ状況も合ったと思いますが・・・土地が少ないので埋め立てる。歴史建造物は全て土の中・・・運河も堀も海までも・・・それで地域が活性化したのなら良いのですが、少子高齢化の波が押し寄せ、その上、空きや対策までしなければならない。残すところは自然のみです。三輪田先生と言えば8年前、城北の校章に関してお会いしてから会っていません。天赦園もありのままという記事を新聞に掲載されていましたね。
城山
早春の水仙はいいですね。椿はまだ咲いていませんでしたか?自然が残っている城は賛成です。が、もう少し茂るに任せるのではなく手入れすべきだと思います。町外から見えるのが良いでしょう。
城下から見えないと威厳が損なわれますから、城山に登れば城下が一望できるのが本来の宇和島城だったのでは・・・・?武道館が建設されていたら違っていたかも知れません。遊園地と貯水池は城山に相応しくありませんね。
梅がそろそろ・・・
うわつ 様
藪椿は、数輪咲いていましたが、今からですね。自然が一番・・・木々もあまり切りすぎると足下が涼しい感じがして城らしく在りません。愛宕公園からは見えすぎですね。それより夕方の城山に登りたいですね。安全を考えてかもしれませんが、夕景を撮りたいものです。
 最初の写真から石垣の写真、どれもここに武士が出現して会話しながら登城していても不思議でない昔を感じます。
 水仙も色々な種類があるようですが、この種類が清楚で好きです。
 毎日の散歩コースが城山越え、前も思ったのですが、やっぱり山男ならではのコース選だと。
宇和島の城山といえば、「自然林に囲まれたお城」というイメージが私の子供のころ昭和初期にも伝えられ、それを自慢にしていました。なぜ自然林に遺構がぽつんとあるのか? これは明治になってしばらく国が所有した時代がありましたが、このときに手入れせず放置したせいではないでしょうか? それをそのまま伊達家に戻され、伊達家も必要最小限殿手入れしかしなかった。大正11年に摂政の宮が来られ、天守に昇られるとなって、大急ぎで上り立ち門からの道だけ整備した記録がありますが、それも当時としては巨額です。このまま伊達家個人が維持できませんので、戦後そっくり市に寄付されました。この時、伊達当主は名誉市民の称号を受けられました。以後は市の維持管理ですが、国から維持費は出ているかどうか分りませんが、維持は大変でしょう。
昔、この城山に何人の人が勤務していたか、詳細調べたいものですね。藩の事務所が天守にあったとは考えられません。諸般の事務は下の御殿の一部だったのではないでしょうか。
とにかく、昔のお城の絵には白亜の砦矢倉だあってこんなに樹が生い茂ってはいません。これは明治以降の管理不十分の遺産かもしれません。
武道館の計画があったとは、初めて聞きましたが、結構な計画だったのにと残念に思います。いま南豫護国神社(元鶴島神社)には土俵がありますよね。ここらを整備すれば武道館は出来ます。神社の再見直しにも役立ちますよ。
何もせず自然のままに流れる宇和島は、このままでは消えてしまいますよ。
あるがまま・・・
吉野の食いしんぼう 様
 毎日のコースは城山越えと大超寺奥から愛宕公園越え・・・丘の散歩という感じですね。春めいてくれば、泣き坂の上あたりまでコースにしたいですね。城山は出来た当初は、木々は無かったようです。無住になれば荒れるという感じでしょうか?
 水仙に寄らず、花々は原種が一番だと思います。
活性化は?
木下博民 様
 丸の内1丁目1番1号、これが宇和島城の住所です。以前、この住所を本籍地にされている方と会ったことがあります。現伊達様ではありません。本籍地は自由に選べるようですね。
 さて維持管理は大変でしょう。昭和33年だったか昭和の大改修が行われました。印象的だったのは、宮大工の弟子が、奥女中宛に木ぎれに書いた恋文の発見があったこと。こんなエピソードも残っています。
 武道館予定地は、児島惟謙の銅像のところから昔の専売公社敷地までのところだったようです。駐車場などが取れないこと、国の許可が下りないことなどから住吉町の埋め立て地に・・・
 ほんとに今のままでは、宇和島の将来はなくなります。活性化といって高速道路も付き、いやし博も実施しましたが、宇和島から松山に行く人は在っても、松山や他の地域から来る人は少ない現状です。
 来年の秀宗入府400年、どれだけ人が来るか?今の状態では打揚花火で将来が見通せない、期待薄です。
この記念事業、どなたの発案かしりませんが、秀宗の入府にはどうしても山家清兵衛が結びつきます。ここらを巧く考えることです。テーマをはっきりさせなければ前進しません。何処の課がやっているのですか?
責任課は不在・・・
木下博民 様
 たぶん、実行委員会ではないかと思います。市長さんが頭だとは思うのですが、残念ながら私は部外者ですから、どこでどうなっているのか知りません。仙台などは歴史姉妹友好都市締結40周年事業が来年なんですが、2年前より計画されています。進言したのですが、宇和島はまだ一回しか会議はないようです。おそらく、いつもと同じ打揚花火でしょう。
 和霊神社の宮司さんも亡くなり、佐賀より観姫付き添いで来られた山下家の才三郎さんも亡くなられました。今日、葬儀です。だんだん宇和島の歴史を知る人が少なくなってきました。それと同時にイベントもどこで何をやっているか分からない状況です。歌舞伎も南予B級グルメ祭典なども市民は知らない人が多かったようです。
 お城の情報ありがとうございました。私も登城して様子を見てこようと思っていましたが、様子がよく分かりました。
 私は、昨日丸山に上がり梅の開花状況を見てきました。撮影には、もう少し時間がかかるようです。今のところ「0.5分咲き」といった感じです。谷間にあるので寒いのかもしれません。
 梅が撮影ができなかったので、さくらキャンパス下から、宇和島城を撮影しました。石垣が崩れたところにブルーシートがかけてあり興ざめでした。崩落してかなり経つのに、いくら「自然のままの宇和島城」とはいえ、これではいけないでしょう。修理には、文科省の許可がいるといっても、宇和島のシンボルがいつまでもこのような状況ではお話になりません。
 市長や教育長の文化行政に対する見識はどうなっているのでしょうか。情けない限りです。
精査
笑隆で~す。様
ブルーシートはいけませんね。それも数年間も・・・行政不信になる一つです。単独予算をつけることができないのか、不思議です。高知城などは石垣が崩れたときにブルーシートで覆いを掛けていましたが、すぐに直して、いい景観でした。聞くところによると国の予算を宛てにしていたら20年以上かかると聞きました。どこに予算を使うか、精査せねばいけませんね。
 早春の城山もいいですね。昔から、上がるルート以外はあまり整備されていないように思います。よくは分かりませんが、おそらく、人口比でデーターを調べれば、文化・教育行政にかけられている予算は、県内の市町村の中でも、かなり少ないのが、宇和島の実態ではなかろうかという気がします。一方、必要のないところへ億の予算をつぎ込んだりもしていたように思うのですが、世の習いかもしれませんね。
人は石垣 人は城
tentijin 様
 東京都知事選挙のマニュフェスト・・・各候補の施策、実現可能な者でしょうか?ただ訴えるだけなら誰でも出来る。実現できるかどうかが一番です。そして優先順位がそれにはいる。観光行政、教育行政として城山をどの用の捉えていくかの問題だと思います。いつまでもブルーシートが掛かっているようでは寂しいですね。
 城山の木々に関しては、切る切らないの賛否両論・・・難しい問題ですが、石垣を壊す恐れがある気に関しては、切らないと・・・
来年に迫った秀宗宇和島来入400年記念イベントは、やる以上は成功させてください。宇和島市の窓口は企画情報課だそうですが、どういう方が委員なのか知りません。私があまり詮索すると「余所者黙れ!」ってことになりかねませんが、やる以上はなんとしても成功させなければなりません。
秀宗が宇和島へ入ったことは、伊達家にとってはある意味で仙台存続の捨石であったのです。戦前、秀宗は妾腹だから、仙台を継げなかったといいましたが、それは明治以降の価値観で評価したことで、藩政時代は異腹であろうとなかろうと、認知された長子があくまでも長子で、家督継承者です。しかも、秀宗程伊達家存続の犠牲者として子供のときから人質に使いまわされた人です。だから辺地の宇和島などへ行きたくなかった。病気だといって行き渋るのを、政宗は秀忠ともども宥めすかして赴任させました。
それから400年というわけですが、それ以前の南予がどれほど崩壊していたか、綿密に調査されることも伊達藩の400年の貢献度の証明になるでしょう。
いまの治世にあの当時の山家のような身を捨てて尽くす人物がいるか? それも大いに考えなければなりませんね。
記念討論会を色々な形でやるのも次代への餞ではないでしょうか。
イベントの落とし穴
木下博民 様
 今では私も部外者ですから・・・何をやっているのか、どのような方向で行っているのか、まったく分かりません。なんとか形だけは作るでしょうが、未来に残るイベントとなるかどうか?実行委員の方々が考えることですね。どんなメンバーが選ばれているのか知りませんが、顔ぶれが変わらない限り、同じ過程をたどるでしょうね。

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