九島架橋その後
2014.01.20.Mon.08:00
橋梁
この二つが橋を支える橋梁となる。
それにしても高い!
これが九島海峡に沈むとなると海は深いんだと改めて思った。

工事費
予算は国および愛媛県と聞いている。80億ほどかかるとか。
宇和島市の持ち分はアクセス道路の敷設費・・・
完成すると九島島民の半世紀以上にわたる悲願達成となる。

半島の先端
眼前が九島・・・海峡には杭を打つための空洞のドラムが二カ所打ち込まれている。
ここに先ほどの橋梁が沈められる。
橋はどこかでもう造られているのだろう。
九島の道路はアクセスのための新設か?
この日、海は穏やかだった。
工事監督船だろうか?
クレーン船と指示をしている船と航路安全のための見張りの船と6隻が眼についた。
写真を撮った場所は、その他の宇和島市の施設工事も進んでいて、大型車が行き交い危険であった。
それにしても、すごい技術を感じます。
九島架橋については個人的には賛成しかねませんでしたが、島民の半世紀以上の悲願で大いに結構なことです。賛成しなかった理由、目と鼻の離島を逆手にとった桃源郷的環境造りも出来そうなものと思った次第。架橋すれば下手をすれば現在の宇和島のアーケード街のように特色のない環境に九島がなりそうだからです。しかし、島民の熱意で80億の投資とこれからの安全管理に市民が責任ある対策をされますことを祈ります。
ところで、この際、まず完成後の九島がどうあるべきか、いまから真賢に論議されますことを期待します。
提案。鯨大師を観自在寺の奥の院として生かすこと。奥の院は九島が不便なために遥拝札所として馬目木大師をつくり、明治の廃仏棄釈で龍光院に移り現在に至っていますが、もともとは九島鯨大師願成寺が奥の院だったのですから、ここに戻すことです。ただ現代人は我儘ですから、龍光院も馬目木大師(現在お堂在り)も鯨大師(立派な堂宇あり)も自由に参ってもらうことです。その宣伝を積極的にやってはいかが。遍路には九島の西に回ってもらって、「宇和海に沈む夕日に西方浄土を感じてもらえば、こんなありがたいことはありません。架橋する以上、車がやたら多くなるでしょう。九島の方々は施錠しない家に住んでおられるほどの現在環境が豹変することを知っていただきたい。
時間のゆっくり流れる桃源郷から気ぜわしい時間のユートビアになっても九島の人情のよさを決してうになわないように。
先のことは分かりませんが、歩道は付くようですね。自動車道でないので、車のない元気な人は自転車でしょうね。身体の弱い方などはタクシー利用になると思います。一番便利なことは病気の時ですね。救急車が入りますから・・・さて生活がどのように変わるか、期待したいと思います。鳥屋が森から宇和島の全景を撮りたいですね。
バブル景気の頃、南レク構想に堂崎から鳥屋が森にロープウェイを掛けて、それからお城山に・・・お城山から愛宕公園にという夢のような、今考えるとばかばかしいような建設計画がありました。それだけ景色が良いのでしょう。中学校の時だったか遠足で山頂まで登りました。宇和島を一望に出来、天下を取ったような気になりました。
半年前に訪れましたが、ボーリング調査とヘドロを掘り起こしているときでした。ヘドロは大浦湾埋め立てのところに・・・養殖のえさの残りの残骸でしょうね。
これからが佳境になると思います。橋桁が建ち、橋を乗せるところを是非撮りたいと思っています。
先生が心配されていること、よく分かります。しかし、まだ架かっていないので分かりませんが、訪問する人はあまり多くないのではと思います。私は歩いて山にも登りたいと思っていますが・・・鯨大師などは大いに売り出さなくてはいけません。九島の再開発も必要でしょう。全て島民の方の意見を聞いてからになると思います。
一昨日でしたか「秀宗入府400年祭」の対談が愛媛新聞に出ていました。「いやし博」の二の舞にならあねばと危惧しています。一市民には意見を言う場がありませんので只、傍観・・・
名目は名目で、従来とほとんど変らないイベント(?)に終始しても景気の後押しにはならないばかりか、歳費の無駄使いになります。とにかく、成功を祈ります。
「九島橋の架橋後の島のあり方」についても、いまから真賢にやらなければ、大浦埋め立てのようにまだ具体化していないというのでは、投資額の金利だって大変でしょうに。
どこで誰がやるのか不明です。市民に対しての説明もなく、実行委員会(誰が入っているのか不明)で決まるようです。辛口評論家は居るのでしょうか?九島架橋その後に関しても同じです。一般市民の意見が入らない・・・イベントも活気のないものになるか、成功するか、全く不明です。仕事を辞めて一市民になったとたん情報が入りません。これが宇和島?