石の上にも3年 | 鬼城

石の上にも3年

2014.01.09.Thu.18:00
今年で3年過ぎたウォーキング

道々でいろんな人との出会いや花々、自然との出会いが・・・
新年早々に面白い雲が出ていた。

空1

一本杉

散歩の途中、愛宕公園への登り、中腹にそびえている一本杉・・・
雲との対比が面白い。

空2

大超寺奥の氏神様「天満神社」

管理は伊達57騎の荻原源太左衛門の御子孫の方がされている。
注連縄も新調され、お飾りも・・・
暮れには落ち葉などきれいに掃き掃除をされていた。

先日のアップで「松の内」と表題をつけたが、松の内の期間は諸説在るようだ。
7日まで、15日まで、20日まで・・・
鏡開きをいつするかと関連があるときいた。
宇和島地方では15日・・・
さて、あなたのところの「松の内」は?

天満神社
コメント
坂本竜馬が脱藩するときに自分の家の屋敷神「和霊神社」に祈願したことは有名な話ですね。
我が家にも「清高稲荷」を祀っています。毎日、ご先祖の仏壇とこのお稲荷さんには水と茶を供えるのが私の朝の勤めです。このお稲荷さんは戦後代々木の社宅に住んでいたとき、ここにあって前任者が粗末にしていたのを我が家で祀り直し、転居するとき我が家の神様としてお連れしました。なんとも簡単なようですは、菩提寺の和尚(故人)に来てもらって儀式を執り行いました。いうなれば神仏習合かもしれませんが、とにかく、神棚と仏壇は別です。
この天満神社もいうなれば荻原家の屋敷神なのでしょうね。八幡様、天神様、稲荷さんは、多い神様ですね。続けて言えば、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉が十一強神というらしいですね。
天満神社
「神さま仏さまお助けください」とか「神も仏もないのか」とか、その時の都合で使い分ける日本人だからか、神仏習合はよく目にしますね。有名な所では熊野でしょう。
大超寺奥の天満神社に行ったことがあります。こじんまりとした小高い所にありました。地域の人たちを見守っているのですね。
屋敷神
木下博民 様
屋敷神の勧請も現代も続いているんですね。松根家は屋敷神(仏?)に首塚を祀っていました。旧市立病院の松根邸跡にあった屋敷の築山に祀ってあったと聞いています。現在は金剛山大隆寺にありますね。昨年は遷宮の年で話題になり、新年早々にNHKで伊勢遷宮、出雲遷宮のスペシャル番組となっていました。落ち着いたら、ゆっくり見てみたいと思っています。
♪♪♪村の鎮守の神様の~♪♪♪
うわつ 様
昔ながらの鎮守の森・・・地方に行って村落の木が密集しているところには、必ず鎮守の森で神社があります。昔ながらの原風景ですね。昨日の愛媛新聞出版者賞は進藤さん(77)里山、今日は福島さん(71)石鎚の写真集でした。何に狙いをつけるか、写真も面白いですね。腕があれば・・・(泣)
 小さな祠ですが、歴史的に価値の高い祠ですね。書き込みを読むとそれがよく分かります。
 私の家にも内子の家で祀っていた屋敷神を持ってきていますが、祭神は、内子の山本神社ではないかと思っています。今の住所で言えば、三島様が氏神様ですが・・・。些か疑問を感じています。
若い頃、花芝とお榊の区別を知らず、母に呆れられたことがあります。それからは、道の駅にお榊を買いに行くとき、注意しています。
散歩は私も、自然との出会いを楽しめ今年も頑張りたいと思います。先日は早い時刻にコースを変えたら、山に駆け上った子鹿の真っ白なお尻を見ました。
鹿
吉野の食いしんぼう 様
そういやあ、私も間違えたことがありました。代わりに使える木もあるんですね。
散歩の時間を変えると会う人、会う景色饒辺かも有り、面白いですね。最近は寒いので早めの時間帯にしています。鹿に昼間会うのは珍しいですね。私が鹿に会ったときはデジカメを忘れ、持っていくと会えない。いつかはきっと・・・・
笑隆で~す。様
屋敷神を持ってこられたとは・・・鬼北の豪農と競るくらいの名家だったんですね。神の歴史をたどれば、際限がなく、初めて聞くことが多い。宇和津彦神社の宮司さんを親しくなり、いろいろと教えて頂きました。位のこととか、祭り人のこととか。正月NHKスペシャルで「伊勢神宮遷宮」と「出雲大社遷宮」がありました。まだ見ていないので分かりませんが、少し神様に近づけるのではと思います。
正月だから、あれこれとっぴなことを書いてごめんなさい。
宇和島では「鬼城」といえば、ふるさとの象徴のような聖なる山で、もちろんこのブログ主の表札でもあるわけですが、いま中国では「鬼城」が各地に続出していて、うっかりすると世界経済を破綻する危機まで感じられます。
中国の李首相は「中国経済は小道を自転車で疾走しているようなもので、うっかりすれば転落しかねない、用心、用心」といいます。その通り。中国バブルが崩壊すれば、日本経済も大きく影響を受けるでしょう。中国の「鬼城」とは、農地を強制収容して、超高層アパート乱立の街を造ってみたものの、入居者皆無となっている「ゴーストタウン」のことです。
中国に倣って宇和島の商店街がゴーストタウン化すれば、こちらの鬼城は嗤うでしょう。そういう危惧を胸に、いつもこの鬼城欄に投稿している老人のいることをお忘れなく。
過疎の波
木下 博民 様
現在、愛媛新聞に平成の大合併の特集が組まれています。今朝の話題は旧広田村。砥部町と合併し、中学校も統合、役場も砥部町に・・・広田村には支所のみ。夕方5時になると人通りは絶え、闇に中にという過疎の波をもろに受けた合併。住民の方は仕方がなかったと言っておられます。規模は違っても中国も同じようになるでしょう。その前に宇和島が・・・歩くとき「空き屋」が目につき、「売り家」の表示が多くなっています。海岸端はまだ多く、議会でも対策をという話題が出ているようです。
宇和島には、他町村史には珍しい「地域発展の推進と宇和島市」という、市の将来構想が載っています。これは昭和49年(1974)に市制50周年記念に編纂した市誌を大合併する直前の平成17年(2005)に「宇和島市誌上巻」として、そのまま印刷したものです。これを今一度市民が読んで、1974年以降40年間にどれだけ市が充実したか、真賢に考えてほしいものです。大浦埋め立てなど、確たる利用計画もなく、「企業を誘致する」とそれだけで、いまだに具体的な作業がなされてはいません。企業とてどういう企業を狙ったのかわかりません。徹底して宇和島将来像を討議したことがあるでしょうか?数字を並べて、危機感を真剣に感じ、それから対策を立てようとすることをなぜしないのでしょうか。もっとも、そんあことをしなくても、役人任せ、為政者頼り、愚痴ばかりいっておれば、それで街がよくなる、というわけではないでしょうが。
良くするにはお互いがそれなりの犠牲を払わなければなりません。10の犠牲を払って1の安らぎを得る犠牲心がなければなりません。
企業は業績が悪ければたちまち倒産します。町では業績が悪くても逃げ出すことの出来ない人が、不平を並べて死を待つだけです。しかも、その負担は次代が背負うので、現代人は不平不満だけですみます。なんとむなしいことでしょう。

やる気を起こす施策
木下博民 様
 残念ながら私にはできませんし、経緯を見ているとやる気も起こりません。現実を見て情報を発信するのみ・・・今までの構想は知っていますが、できたためしがない。城下町構想もつぶれたし、説明板や看板の一つも新しくならない。行政が動かなければ、個人はついて行きません。行政任せでは前に進まないことは分かりますが、意欲かをはかるには設計図と予算とやる気がいります。やる気だけでは実践できません。これが地方の現実です。
 神社仏閣にまつわる建物や祠など、そして、肝心の信仰心は、まだまだ年配の方々の心に息づいていますが、若い方たちの心にどれほど入っているのか、また、これからそれがどのように変遷するのか、心配な部分も多々あるようにも思えますし、過去も同じように危惧する方向に進んできて今なのかもしれないとも思います。やはり、大海を漂う木の葉のようにあるがままにいくしかありませんね。
あるがまま・・・
tentijin 様
あるがまま、いいですね。村の鎮守様などと言う言葉も死語となってしまうでしょう。神社とか仏閣の前では自然と頭を下げるという風習も・・・私も最近は、あるがままが良いのかもしれないと思い始めています。
鬼城さん。
あなたには、たくさんのお仲間や教え子が居られます。この方々の気力を結合されたら、行政が動かぬはずはありません。
行政を担当される方々は、失礼な言い方をすれば「木偶の坊」です。操るのは市民という集団(一人ではありません)です。ただ、集団もまた、各々の力によって生きつく「偶像」でしょうから、とにかく誰かが第一歩を踏みさすことです。
組織力がいる・・・
木下博民 様
動きましたが、相手は動かず・・・仲間の生活を知っていますから、難しいの一言です。木偶の坊、全くその通りですね。私もその一人かもしれませんが・・・

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