松の内 | 鬼城

松の内

2014.01.07.Tue.12:00
年明けの挨拶

昨日は休園だったので、天赦園を訪れた。
天気も良く、お客さんはちらほら・・・

暮れから正月間に掛け、撮りためていた録画の整理で外出機会が少なかった。
それも終わったので活動開始・・・

新春1

天赦園の池の畔より眺める「鬼ヶ城」

七代宗紀公は、東にそびえる鬼ヶ城を借景として、「天赦園」を築いた。

新春2

最近鳩が多いようだ。
狙いは、鯉のえさ・・・

新春3

旧遍路道

天赦園の入り口前の道は昔の遍路道になっている。
歩き遍路の方は「豆木大師」(九島の鯨大師)をお参りし、竜光院へ・・・
その足で龍光寺、仏木寺へと・・・

歩き遍路の方だろうか?

新春4

庭園内の万両
正月の縁起物の植物である。
冬にしっかりと実をつけるところからだろうか?

新春5

150年前より佇む「春雨亭」
今年、修理をするとか、お聞きしている。

新春6
コメント
お天気に恵まれ、いい陽気のお正月でした。宮城道雄の「春の海」が隣から聞こえてきそうな天赦園の風景ですね。九島の鯨大師には友人に何度か連れて行って貰い、美しい椿がいっぱいありお気に入りの場所ですが、旧歩き遍路のルートに含まれるのですね。
 2日に山の仲間で歩く市内の七福神巡りもここ2年お休みしてしまいましたが、二日もいいお天気で楽しかっただろうなと、参加できず残念に思っています。
四十番観自在寺の奥の院に、九島願成寺(鯨谷にあるので「鯨大師」)が、遍路が庶民の習俗になっていった元禄時代に、九島では不便だと、馬目木(ウバメガシ)の密生している来村の浜辺から遥拝で済ませていたのを、浦に寺ごと移して馬目木大師(まめきだいし)と人は読んだ。遍路の道筋で、しかも城下に入る手前の休憩に便利だったから栄えた。ところで、維新の廃仏稀釈の煽りをくらって無住になり、願成寺は廃寺となったので、それでは四十番観自在寺奥の院はこちらへ頂戴すると現在の龍光院に遷った。四十一番龍光寺、こちらが龍光院と紛らわしいが、道順に便利だから一応栄えた。
しかし、40番奥の院といえばやはり願成寺。いまは九島鯨大師もも40番奥の院といい、元結掛の馬目木大師の堂宇があってやはり40番奥の院、そしてあらたに龍光院が加わって、3ヶ所も巡拝できるようになった。とにかく本家の鯨大師は橋でも架かれば今のように無住ではすまなくなっていくだろう。本家奥の院として栄えると思う。
巡礼
吉野の食いしんぼう 様
 宇和島藩伊達家7代宗紀公のお子さん正姫は嫁ぎ先の島原松平家のご当主が婚姻後、6ヶ月でお亡くなりになり、伊達家江戸上屋敷に帰られました。このとき亡き殿を忍んで引いたという「松風」、古都の名も同名ですが、現存していません曲は山田検校作と言われ、難曲のようです。春の海からの連想です・・・
 七福神も番外札所巡りも結構距離がありますから一日仕事ですね。しかしお寺さん、七福神のお祭りはしているのかな?
巡拝
木下博民 様
元禄時代ですね。元結掛に出来たのは・・・先生の著書「青年・松浦武四郎の四国遍路-宇和島伊達藩領内の見聞-」には詳しく出ていますね。四国遍路も勿論、当時は歩きですが、各地のお参りをする場所を巡っていますね。宇和島では和霊さん、鬼北郷では等妙寺、吉田町では穴御前・・・この穴御前の場所がやっとわかりました。現在も続いている「自然科学教室」という子どもたちを指導する理科の先生たちが、何回か訪れているようです。会員数も激減し、細々と活動を続けているようです。
 札所は、愛媛が一番多いのだそうですね。私は、生来罰当たりな部類になるので、あまり札所について詳しくはありませんが、奇跡的な出来事に遭遇して改心し、札所に目覚めるかもしれません。様々な植物がお庭を飾る天赦園は、心も安らぎ、植物の好きな人なら、飽きず、過ごせる場所ですね。穏やかなお正月でした。
流れ
tentijin 様
 穏やかから一転、寒波襲来の週となっています。明日あたりは積雪も予想されますね。四国遍路は亡くなった兄が巡拝していました。100回以上参拝者が納める金札でした。私は退職してからはじめ、2回半回りました。出だしは金剛福寺だったので・・・
 天赦園、江戸時代から植物は増えていますね。鳥が運んできたものでしょう。それと歩きやすいように改修されています。変わらないのは池周りでしょう。しかし、木々などだいぶ、弱っています。手を入れないといけません。さてさて・・・

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