等妙寺ウォーキング | 鬼城

等妙寺ウォーキング

2013.12.02.Mon.18:00
奈良山等妙寺

中世等妙寺の石積みと近世の石丁場探索のサブタイトルで等妙寺ウォーキングが開催された。
前日までの悪天候も回復し、最高の山歩きとなった。
友人たちと4名で参加・・・総勢80名ばかりの驚くべき人数・・・

遺跡の本坊跡、本堂跡および調理場跡
右手が本堂、そのまた右には庭園や東屋もありそうとか・・・
この遺跡、現在の等妙寺から2kmほど山に入ったところにある。

途中に宇和島藩伊達家の「御用木植樹碑」がある。天明元年(1781年)
その管理事務所跡もあるようだ。

等妙寺遺跡1

友人からもらったパンフレット

講師は石垣技術研究機構代表、元佐賀県立名護屋城博物館学芸課長高瀬哲郎先生
お話ししてみると非常に気さくな方で、話が弾んだ。
遺跡もさることながら、ご専門の石積みの話など興味深く聞き、勉強になった。

参加者の中に知り合いの石材店の社長さんもおられ、話が弾んだ。

等妙寺遺跡0

集合場所近永駅

友人宅に車を駐め、友人の車で近永駅へ・・・
駅から一石五輪塔などの説明を受けながら、約1km、等妙寺まで歩く。

等妙寺遺跡4

奈良山等妙寺

天台宗のお寺で比叡山系とお聞きした。
本山は西教寺とのこと。
この自然石を積んだ石積みも見事・・・
先生の説明では石材、積み方で年代が分かるとか。

等妙寺本堂

先代のご住職が一昨年なくなられ、晋山式を済まされた息子さんがご住職だった。
先代の奥様とは20年ほど前に知り合い、覚えていていただいた。
恐縮・・・
この本堂で昼食を採った。

等妙寺2

昨年からの行事のようだが、このお弁当がうまい!
十分すぎるほどのお接待だった。
等妙寺に関する古文書の存在についてお聞きした。
縁起が国立国会図書館にあるとのこと・・・
これは写しらしい。本物は焼失したか、紛失したか不明とか。

この文書を見てみたいものである。

等妙寺3

ご本尊が祀られているお堂

ご本尊は如意輪観音で年代は南北朝あたりか?
500年以上経っているとのこと。
山上の本堂他が焼失したときに下ろしていて助かったと聞いた。

等妙寺4

鐘撞き堂と紅葉

参加者の中に順番のお話を和尚としている方がいた。
何だろうと思って聞いてみた。
除夜の鐘の順番とか。
200人から300にんほど来られるとか!

等妙寺5

さあ遺跡まで2kmの道のり

途中、ダムが有り、その石積みの説明もあった。
灌漑池と思っていたら、寺独自の水の確保のためと聞いた。
修行僧は200人近くいたらしい。

等妙寺遺跡3 

すごい石積み

高瀬先生の独壇場、説明にも熱が入る。
ここ数年で発掘が大きく進んだ。
来年はなにか、また大きな発見があるのではないか?
来るのが楽しみだと・・・

この上が本坊・本堂跡 (最初の写真)
左手に石段らしき跡があった。

朝9時自宅出発、帰宅したのは4時半・・・
すばらしいウォーキングだった。
来年も是非参加したい。

等妙寺遺跡2
コメント
石積み
等妙寺は知っていました。遺蹟のことも聞いたことがあるのですが石積みは見ていません。石積みを見ると当時の信仰の深さが伝わります。いつでも見えるのでしょうか?一度行ってみたくなりました。
奈良の等妙寺はとても立派なお寺だったとは知っていましたが、石積みとか初めて見て驚き、
そして納得しました。私も、このお寺の先代のご住職さんや娘さんとはお付き合いがありました。
 とても魅力的なウォーキングですね。私も来年は参加してみたいです。山登りの折、通ったことはあったのですが、気が付きませんでした。
車で行くことが出来ます・・・
うわつ 様
等妙寺の右横の林道を行けば見ることが出来ます。材木を出しているので注意して運転せねばなりません。この林道も遺跡にかかっているとのこと。文化庁より付け替えの指示があったそうです。すばらしい遺跡です。先生の話では石積みなど日本でも最大級の遺跡と言っていました。鬼北町の宝となるよう祈念しています。
感動!でした。
吉野の食いしんぼう 様
昨年から始まったようです。昨年「Kyo-chanブログ」を見て、機会があればお誘いをとお願いしていました。25日締め切り日に連絡が・・・夫婦で急遽参加をお願いしました。参加してみると予想違わずすばらしいイベントでした。お忙しい中教育長さんも参加され、これからの取り組みも話されていました。
今から24年前でしたね。現ご住職を教えたのは・・・
来年は是非、ご一緒しましょう。Y石材店さんに実施日など情報は入ると思います。
ありがとうございました。お疲れ様でした。
百姓モドキ何ぞは、その時々思い付いたときに質問し、それに応じた説明が入ると見学会の楽しみも倍増です。ぴったーと講師に引っ付いていくのがコツですね。

だんだんと発掘も進んでいますので来年も楽しみです。それよりも、ビューポイントでの霧の海も楽しみです。
講師がすばらしい!
山野貴公子 様
感謝、感謝です!それより何より、等妙寺縁起が見てみたいですね。ご住職、教育長さんにはお願いして、ご挨拶に行ったら、もともとの持ち主だし、行政からの依頼で見せてくれるだろうし、写させてくれると思います。
霧の海の中の遺跡、あの仮説展望台、展望台からの景色は最高でしょうね。天空の寺遺跡になるかもしれません。
ここを故友と訪ねたことが昨日のように思い出されます。拙著「青年・松浦武四郎の四国遍路」を取材するためにのですから2007年以前です。一人で発掘現場を歩きました。
おそらくこの寺は、山越えすれば南宇和へは容易ですから、その辺りの南朝勢力への恰好の情報網に適した場所だったのでしょう。南北朝時代の宇和郷を知る恰好の素材と言えましょう。
おもしろい素材
木下博民 様
なぜこの地にこのような山岳寺院があったのか?講師の先生は、まだまだ発掘の可能性に関して言及されていました。九州と奈良京都とのつなぎのためとも考えられるとも・・・むかし等妙寺は木下先生の武四郎に書かれているように四国遍路の番外だったようです。今は外れていますが、ご住職の話です。龍光院から等妙寺、そして出石寺、永徳寺(十夜ヶ橋)と続きます。謎に包まれている等妙寺、来年までにどれだけ発掘が進んでいるか期待が持てます。
 お疲れ様でした。とても楽しいウォーキングになりました。
 旧等妙寺には何度か訪れていましたが、今の等妙寺には入ったことがなかったので大変良かったです。

 宇和島市も鬼北町も松野町も学芸員は、情熱や能力が高くやる気十分です。しかし、トップに立つ理事者がどう考えるかで、発掘や活用が違ってきますね。まともな文化行政を望みたいですね。
起爆剤
笑隆で~す。様
子どもも先生も政治家も同じですが、聞く耳を持ち、理解することが必要だと思います。聞かない人には何を言っても前進しません。そうすれば人たちは離れていく。衰退の一途ですね。これが地域活性化マイナスの悪循環となります。等妙寺遺跡、前向きで良いですね。

ほんと楽しい一日でした。ありがとうございました。食費も浮いたし・・・(爆)
 お話や写真を拝見して、私も行きたかったなあと思いました。知らなかったし、貴公子様のお誘いもなかったので残念です。やはり写真にも個性が表れますね。先生のは学術的とでも言っておきましょうか。構図がピシッと決まっていて、現場の様子がよくわかります。石積が異様に迫力がありますね。
 以前、発掘途中の見学をしたことがありますが、その時既に石積みなどは発掘されていたと思います。記憶に残っているのは、たくさんの修行僧がこの場所で修行していたという話です。四国の山の中ですが、修行僧にとってはメジャーな場所だったのかと感心しました。これからの発掘も楽しみですね。等妙寺先代御住職の奥様は、高校の同窓生で顔見知りです。御住職は、亡くなられるのが少し早かったですね。
来年は・・・
kacchan 様
無視していたわけではなかったのですが、情報がぎりぎりでした。大急ぎで登録してもらいました。行ってみるとこれはすごい。説明もおもしろく、来年もとお願いしました。食いしん坊さんも行きたかったとのこと。来年は是非ご一緒に行きましょう。学術的などとおだてないように・・・ただシャッターを切るのみ。写真のうまさは笑隆さんのものですね。どうも昔からやっているようです。広角の使い方が堂に入っています。
見事な遺跡
tentijin 様
等妙寺は四国四県を統率していたお寺だと聞きました。なぜこの地にの疑問が残るそうですが、九州と中央との中間点だと高瀬先生は推論されています。これから発掘が進めばもっと多くのことが分かるのではと思います。石の文化もおもしろいですね。良き先生、Y石材店社長がいますから・・・
等妙寺遺蹟立地の妙
南北朝時代、ここが「南朝方の情報基地」であったことは確かでしょう。北朝方もなかなか踏み込めなかったのではないですか?
なぜ山の中にこれほどの寺があったのか? これも現在の交通網で判断するから不思議なのであって、昔は騎馬道であてば尾根つたいのほうが便利だったのです。土佐との交流にも蕨生奥の「延引」の尾根に興野野に出る尾根伝いの近道はあったほどです。いまも「馬頭観世音碑」があるほどですから。
支援
木下博民 様
寺は城郭。この言葉のように戦国時代も城の代わりに使う目的で建てられていますね。また、比叡山のように僧兵までもが・・・このような歴史が鬼北の地に残っている。やはりこの発掘は心躍るものがあります。鬼北町は文化庁の協力を得てやっていく方針とか。今後の発掘調査が楽しみです。また教育委員会も力を入れているようです。このように集中的に行政が関わることが必要ですね。

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