萩 | 鬼城

2013.11.26.Tue.18:00
萩城

毛利輝元によって築城される。
 長州藩毛利家は輝元ではなく、その息子「秀就(ひでなり)」が初代藩主である。
萩藩・周防山口藩を総称して長州藩となった。
江戸初期には萩城のあるこの地に藩庁があった・

城の前には毛利輝元の座像がどっしりと座っている。

指月山の麓に築き、別名「指月城」と呼ばれる。
現在は指月公園となっている。

萩1

城下町萩

萩市は旧武家屋敷や町並みを、文化、歴史、自然、産業など の資産が街中にある。
そこで街全体を一つの博物館として捉え、「資産」を保存・活用した観光地づくり、街づくりに取り組んでいる。

萩2

そこかしこに維新の息吹が・・・
高杉晋作の生家

萩3

吉田松陰

忘れてならないのは、幕末の尊王攘夷派の急先鋒、その人である。
その功績をたたえ、神として祀っている。

萩4

本殿内

彼は獄中内で2つの辞世の句を詠んでいる。

弟子たちに残した辞世の句 「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
家族宛に残した辞世の句 「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」

萩5

松下村塾
この場所から明治維新は始まったと言っても過言でない。
弟子たちが講義を受けた建屋である。
あまりにも多くの門人が来たため、建て増しをしている。

萩6

講義室

建て増しをした部屋

萩7
コメント
萩は城下町の町並みが残っていますね。灯篭祭りだったか夕方行ったので、高杉晋作の生家前は狭かったです。松下村塾も10人ほど座れば満員になるほどの広さでした。門下生は案外少なかったのではなかろうかと思いました。
 夢も希望もあった若い頃に旅した萩。懐かしいです。NHKの大河ドラマで、篠田三郎さんが松陰役を演じ、私はこの配役が未だベストと思っています。
 小さな萩焼の湯飲みを三個買いました。今、時を経ていい色になっています。1個300円だったかと。母が「なんで5個買わんかったの?」と言いますが、まだ学生のみでお金がなかったようで・・・。
残す努力
うわつ 様
この県ほど市町村が散らばっている?ところはないですね。萩は藩庁があったところ、山口は維新前に藩庁が移動・・・そして現在の中心地は下関・・・ここは維新でも中心地だったところですね。
町並みは狭い道ですね。現存する建物を残す努力、大変だろうと思います。松下村塾はあ、あの小さなところが満員になるので、隣を建て増ししたと・・・当時は藩をあるいは国を憂えて若者たちが結集したのでしょう。今は?
知名度
吉野の食いしんぼう 様
 静かな良い街ですね。ゆっくりと過ごしたい、しかし次の予定が・・・吉田松陰役、何十人の人が演じているでしょうか?それだけメジャーなんですね。さて宇和島は?
 萩焼、お茶をやっている方は知っていると思いますが、私は水漏れすることを知りませんでした。楽焼きも同じだそうですね。素焼きに近い焼き物は空気穴があり、そこから水漏れするとか。使い込んでいく内に、色も変わり、水漏れも収まると・・・新知識でした。ということは我が家に萩焼がなかったことになりますね。湯飲みと抹茶茶碗購入してきました。(笑い)
萩城は城郭だけで御殿もないのですね。
このところ宇和島と対比した対話が多いようなので、前便に出ていた「油屋熊八」について書きます。この人のことはこれまでにも事あるごとに伝えてきましたけれど宇和島の人はまったく関心ありませんね。別府では温泉街開発の恩人として毎年顕彰もしているし、光国寺の墓まで墓参されておられるようですが、せめて学校の先生に郷土歴史教育をやろうという気負いが欲しいものです。
象徴
木下博民 様
萩城は焼失してありません。昔の藩庁があったところで毛利藩としては重要な居城だったのでしょう。宗徳の最初の奥方が萩藩(長州藩)から来られています。嫁入り調度の家紋、沢瀉(おもだか)が入っています。
なぜ関心が薄いのか、最近よく考えます。今回の旅行も観光地はどうなっているのか考えました。これが正解だとは思いませんが、どこにもシンボルがあります。建物だったり、銅像だったり・・・それに比べ宇和島は、ほとんどありません。建物、木屋旅館などは改装しすぎで新しすぎる。藩祖秀宗などにいたっては何もない。言葉では子どもや人は通り過ぎるだけ・・・なぜ城に銅像や人目を引くような説明板がないのか?熊八も同じです。学校でというのは簡単ですが、経営は各校長先生がそれぞれやっています。町を挙げてやるには市の方針がいるのです。今の現状では無理ですね。
もう一つ、私の専門分野ですが、説明の言葉や紙媒体、映像は残りにくいのです。強烈なもの(立体)などであれば、印象づけることが出来ます。人それぞれですが、銅像があれば人は説明を読みます。今回の旅行はほとんどがそうでした。大内氏の歴史、毛利氏の歴史等々・・・新しい知識が頭に入りました。視覚と説明と物(シンボル)があれば人々の心に浸透します。
良い例が天空の城・・・城郭のみでもすごい集客力です。
竹田城
天空の城は竹田城ですね。私も撮影に行きましたが、霧という脇役、いや霧が主役かも知れません。霧が出なければだだの城址だと思いました。それを地元のアマチュア写真家が世に出しました。それを見たアマチュア写真家が次々に世に出す。撮影ポイントは2ヶ所暗いうちから場所取りしています。それから地元からツアーが、そして行政が動きます。大方そのような流れです。
では、うわつは撮影できたのかって!!?
出来ませんでした~11月奈良へ向かう途中、岡山辺りでは雨だったので期待して朝来市和田山町へ向かって、まだ明けぬ藤和だったかな~・・・・峠に三脚を立てました。すでに4人のカメラマンが来ていた。でも、霧が出なかった苦い思い出があります。



リベンジ
うわつ 様
竹田城、やはり行っていたんですね。最近は近所の方の迷惑になるとかで登山制限があるとか。人気が出るのも痛し痒しですね。カメラマンの発掘でしたか?いずれにせよ、きっかけが必要ですね。それと印象が残るものがいります。昨年まで勤務していたところでお客さんが興味を持つのはものですね。さっと通り過ぎるのは説明のところ、文書類・・・つまり、これもインパクトがいると言うことですね。
天空の城、また行く機会があれば、リベンジを・・・期待しています。
松陰神社や松下村塾は記憶に残っていますが、萩城の様子は初めて見ました。私はどうしても先駆的に活躍した方々に惹かれてしまいます。どこからそのような発送に至ったのかという部分が最も私の好奇心を刺激する部分のようです。
先駆者
tentijin 様
維新の志士たち、先駆的な人々ですね。惜しくも若くして散っていったひとたち・・・日本人なら誰もが惹かれると思います。その礎を築いた人がいたことも忘れてはなりません。長州藩の礎、毛利輝元ですね。指月城趾にしっかりと城門の横に座っておられます。これが私が言うところのインパクトなんです。もしなければ、よほどの興味のある人しか、調べないし、通り過ぎるだけ・・・毛利氏防長37万石の萩城。指月公園の入り口では毛利輝元像がお出迎えしてくれるだけで、城下街萩がよく理解できます。

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