松野中新校舎 | 鬼城

松野中新校舎

2013.11.08.Fri.12:00
後先になった写真

10月28日鬼北方面に用事があり、ついでといっては誠に失礼だが、松野中を訪れた。
松野中学校は新校舎建築の真っ最中!
授業で1年生が建築現場に行っているとのこと・・・
便乗して説明を聞いた。
左手が旧校舎、新校舎はすべて木造の平屋である。


学校1

管理棟・教室棟・特別教室棟に分かれている。
12月末に完成とかで工事は足早に進められていた。

学校2

地産地消

最近よく言われる言葉である。松野中は松野町滑床の檜を主に建てられているそうだ。
見事な柱である。
こんな柱が数十本・・・まだ大きなものがあった・・・
ここは多目的広場だそうだ。

学校3

トタン屋根に妙な突起が・・・
雪止めかあ!
鬼北地方は雪の深いところである。
最近は少なくなったと行っても屋根に積もった雪が落ち、子どもに怪我をさせるわけにいかない。
その安全策・・・

学校4

訪問の目的だったパソコンルーム

最新式のプレゼンができる機器なども用意されるとか。
子どもたちにはタブレット端末40台が・・・
タブレットで学習し、編集・記録・加工をしなければならないものはこの部屋で・・・
 この方法が最適だと思う。
使い方の良い例となるだろう。

学校5

先ほどの多目的ホールの全景
天井までが高く、開放感に満ちあふれている。
この学校の良さは教職員の希望を取り入れたところ・・・
行政によっては安く上げるため、実際に教育に関係のない設計者が設計することもある。

学校6

東北大震災の被災現状から避難場所指定となる松野中
そのため、いろんな工夫がなされている。
すべてバリアフリー・・・
お年寄りのことを考え、洋式トイレなどなど・・
ここは管理棟

学校7

各教室をつなぐ廊下
まだ床は張っていなかったが、今日現在で、すでに張っているとの情報が入った。
やはり廊下も天井が高く、開放感あふれる学校である。
12月末完成した後は新校舎での授業・・・
旧校舎は3月末までに解体されるとのことである。

学校8
コメント
 私が見学した時とは大きな変化ですね。子どもたち優先の建築設計に驚きました。たった3年間ですが、多感な3年間だから良い物に接するようにするというのは、精神安定上も素晴らしいことではないでしょうか。
 また、松中校長のリーダーシップにも目を見張るものがあります。

 私の自宅の近くの中学校も建築中だが、松野中との格差にがっくりときます。ある市議が、「あれでは、精神的に落ち着いて学習するという教育環境ではない。」とばっさりと切り捨てられましたが、その通りだと思います。 
 百年の大計は、教育の確立がスタートだと思うが、人づくりができない教育環境では「宇和島の将来しれたもの」ではないだろうか。足りないところは、教師が補えといっても精神的に追い込まれている現状の教師には無理である。

 松野町は、「資源が乏しい、だからこそ人的資源を育てる。」というコンセプトがあるが、宇島島市は、「最小限の予算で子どもが入れる校舎を作ればいい。」というのがまずありきなのではないだろうか。
 勿論、1町1中学校に対して、1市8中学校という違いはあるが、その心意気は天と地ほどの差がある。
 
いつも思うこと・・・
笑隆で~す。様
その通りですね。政治家・行政は子どもは宝といいながら教育に関しては手抜きが多い気がします。次にアップしようと思っている檮原町の「維新の門」の像はすばらしい。あの小さな町が活気づいています。ボランティアの方が行っておられました。良き町長に恵まれた。このような人は二度と出ないだろうと・・・経営の手腕はリーダに寄るという原則は間違いありません。
ただ、入れ物をいくら立派にしても人が育ちません。満たされた場所でなければ人は育たない、という教育は考えられません。むしろ、「満たされない場所で、どう生きるか」が教育の目的のように思われます。一町一中学すら資源の無駄時代になっていますね。明治の初め一郡一高等小学校時代すらありました。この学校を出た少年の一人が兵頭賢一です。各村の顔役がこの郡立高小学校を批判し、短期間でやめましたが、中学の歳になれば他郷へ出るという考え方が必要です。宇和島では島の中学を廃して寮生活させる制度にさらに進めたようで、大いに結構なことです。
松野はせめて中学からでも鬼北と合同できないものかと思います。大きな入れ物を造って、少しの小石を入れかき回しても丸くなるには容易なことではありません。「ゆとり教育」などという滑稽な指針を出した時代がいかに無駄だったか、為政者は気づいてほしいもの。逞しい次代の青年を育てるには小さな入れ物に沢山詰めてかき回すのが手っとりばやいのです。古人は「攻玉」のはやからんことを目指しました。

教育環境は大事です・・・
木下博民 様
一町一校は世の習い・・・行政に特区がない限り、無理ですね。文部科学省の補助金は一市町村のみに配布されます。共同で統合する場合は市町村合併が基本となります。だからいくら小さくても行政区内の学校は統廃合できないのです。
子供を教える側にたてば、松野中の規模が最適ですね。1500人から32人の学校まで行きましたが、人数が多ければ難しいことが多いのです。昔の兵藤賢一先生の頃は向学心に燃えていましたが、今では一握りです。それより生徒指導上のことが難しいのです。ならぬことはならぬと教えてついてきてくれる生徒は、少ないのが現状ですね。
 月に何度か足を運んでいるのに、内部を見たのは鬼城さんのこのブログが初めてです。今の校舎に5年間勤務した私は、思い出が一つ消え去るようで寂しさもありますが、これからの生徒達が木の香の漂うこの恵まれた環境の中で伸びて行って欲しいな~と思います。
 この建設に携わっている松野中の卒業生の業者さんが仕事への思いを学校新聞か何かに書かれていましたが、伝わる思いがありました。これを紹介する学校経営もいいな~と思いました。
経営手腕
吉野の食いしんぼう 様
厚かましく、突然訪問し、案内までしてもらい恐縮でした。何より管理職が前向きなことがいいですね。現代に生きる子どもたちをいかに育てるか、行政と一体になって邁進している様子がうかがえました。早速、訪問後に県の研究大会で報告しました。12月完成だそうですね。1月暇を見つけ、再度訪問したいと思っています。
子供を増やさなくては
素晴らしい学校ですね~
過疎化で児童減少にならないよう、生徒が増えるといいのですがね。
鬼城さん
兵頭賢一さんの時代は今と比べて満足に勉強できる環境でなかったのでしょうに・・・。それでも向学心旺盛だった。
いまの子供には「満たされない環境は全くなく、自分の家よりもいい環境の場所を与えているのでしょう」それで向学心がないというならば、それこそ教師は猛省し、文部官僚は失格ですね。
いまに行政区を越えて学区が成立せざるをえなくなる時代が必ず来ます。むしろ行政区が見直される時代が速いかもしれません。平成の大同合併は単に一里塚だったと思っています。
期待・・・
うわつ 様
残念ながら宇和島同様、人口が増える要素はありません。やはり今からは中央集権化するのでしょう。地方にもいいところはたくさんありますが、まずは働く場所がないのが一番です。我々世代は幸せだったかもしれません。基準を何にするかで決まりますが・・・
1校とはいっても予算をつぎ込みましたね。すばらしい学校、すばらしい生徒が育つことを期待したいと思います。
現場が一番!
木下博民 様
 まずは競争心をなくしたこと・・・子ども達に媚び諂いの教育になったことが一つの要因だと考えています。教師の質も当然あります。計算が出来にくい子がいる、そのためには計算機を・・・円周率の少数以下の計算が難しい、それなら3にしたら・・・東大を出た官僚の考えたことです。ゆとり教育、授業数削減も結果を見ればわかります。子どもをわがままに育てた我々親にも責任がありますね。ニート、不登校、学級崩壊、いじめなどなど・・・もう20年近く続いているのに解決策は見つかっていません。
 これからはある程度自由のきく私学の方向へ向かっていくのでしょう。
 私にはもう一つ疑問があります。有識者会議になぜ現場の若い先生達を入れないのか?学識経験者や管理職をいれても、実際に直面している訳ではない。だから教育に反映されないのだと思います。
 長くこの学校と関わったものとしては、感無量の思いがありますね。先日、校長先生と御一緒し、おもしろいエピソードも御紹介いただき、思わずタイムスリップしましたが、昔も今も変わらないのは、行政の方も住民の方も、人こそが文化を創り、子どもこそが未来を創るというという自然なスタンスが松野には昔からあるという古くて新しい部分のように思います。
鬼城さん
松野中改築がとんだ方向へ向かってごめんなさい。このブログ愛読の方々が先生としてお悩みだった方々が多いようなので、老人の教育感想として聞いてください。
昔から「鉄は熱いうちに鍛えよ」といいますよね。熱い鉄とは人間でいうならば20歳までです。特に10台が鍛え甲斐のある熱さのはずです。この時期に「ちやほや教育」をして、なんで立派な人間が出来るでしょう。鍛えるということは「打って打って、叩いて叩いて、伸ばして縮めてまた伸ばす」ことです。心も身体も。しかも、その子供一人ひとりに最適の方法で。教師が信念をもってそうしたかどうか、反省会(グチ会ではありません)を真剣にやられているかどうか、教師とは他の職業とその点が違います。戦後「デモ先生、シカ先生」(先生でもやるか、就職できなければ先生しかないや)という安易な先生が投入されて新制教育がスタートしましたが、あれから先生が「聖職」でない「労働者」になってしまいました。怒らないでください、そう思っている貧乏でも頭がよければ教師の学校へ行けるとかつて真剣に考えたことがあった老人です。残念ながら、戦争が続く以上25歳まで生きられないだろう、ならば一日も早く働いて、家にカネを送ろうとおもって、教師の夢は潰えましたが。
松野の校舎の、檜か杉か知りませんが、大丸太柱が部屋の真ん中(?)にどんとあるのをみて、昔「森の国ホテル」に関係したとき、同じように国有林から貰った大丸太を自慢して、ホールに置いた(今もあるでしょう)ことを思い出しました。おそらく写真は講堂でしょうが、これをどう教師は教育に生かすでしょう?ホテルではありませんから、教育理念に活かせるかどうかは教師の腕、楽しみです。
ところで、「有識者会議」がどんなものか知りませんが、ボランテアではないのでしょう。税金を使っているわけで、会議の記録が公開されているかどうかです。おそらく住民は、誰がどういう方法で選ばれているか詳しくは知らんでしょう。比較的ラッパが大きな父兄か、教師の古手の順繰りポストでしょうか?「有識者」って不思議な言葉ですね。大津虐め事件で最終的にこの会議が、一番責任のある会議メンバーだと思いましたが、どうもそうでもなさそうで、「民主主義のお飾り」のような気がしてなりません。このような会議は、教育に限らず介護保険該当者選定にもありまして、いささか滑稽です。事務局のそろえた資料を前に時間を潰し、議事録にサインして帰るだけのようです。教育関係がそうならないよう祈ります。
 
学校の歴史
tentijin 様
長らく勤めたところには思い出がぎっしりですね。いつも思うこと、子どもと保護者と地域住民が理解し、協力し、実践すれば子どもは育つと・・・松野は昔からそれが出来ていました。残念ながら勤務経験はありませんが、たびたび伺わせてもらいました。焼きがまも新しく作るそうです。これもO先生の実績で住民の皆さんが続けておられると聞いています。学校の歴史はすばらしい・・・
方向性は
木下博民 様
 ここは講堂ではありません。多目的ホールといって子ども達が授業に利用できる場所なんです。森の国ホテルとは違って柱は真ん中ではありません。壇上に上がる脇にあります。発表会などで使うことも出来ます。災害の折には、この場が避難場所になるとか聞いています。

 現在の教育は指向性が全くないといっても過言ではないと思います。教育現場を忘れ、学者さん達のいうがまま・・・有識者をどのように選ぶか知りません。意見を言う機会もありません。虎ノ門ホールで「ゆとり教育」の推進者のA先生(あえて名前はいいませんが)が講演され、質疑応答の時、挙手をしました。実際に子ども達にとっていい方向となるかを具体的に聞きたかったのです。富山の先生があたり、同じ質問をされました。教育現場はこれではだめだと皆、思っていたのです。回答は「あなた方がやるのです。実績が上がるかどうかはあなた方次第」でした。なんという無責任か、あきれました。時間がないので質疑応答は打ち切られました。

 政府の考える有識者会議とは有名人を並べるのみ・・・有識者という言葉にはアレルギー反応を示します。

管理者にだけ表示を許可する