放ち討ち | 鬼城

放ち討ち

2013.08.23.Fri.08:00
宇和島のフリーペーパー「きずな」夏号での宇和j島騒動は話題を再燃させていると聞いた。
私の知人に書家の渡部良彦氏がいる。
突然この方が、暑い夏、我が家を尋ねててこられた。
話題は「和霊騒動」

秀宗が山家清兵衛を上意討ちしたと言うことは、現在では定説になっている。
根強く、桜田奸計説もあるが、上意討ちで間違いないだろう。
私は闇討ち(定かでない)ならおかしいと常々思っていた。
渡部先生の話では「放ち討ち」だったろうと・・・

「放ち討ち」などという言葉は聞いたことがない。 
調べてみると、侍を処罰するに放ち討ちと云う法があって君命で突然討ち果たすものなのだそうだ。
これを上意討ちとも云うそうだ。
約束事として、必ず声をかけて斬りつける事になっている。
声をかけずにやると喧嘩になって討った者も腹を切らねばならない。
主人が自らやれば手打ちと言い、家来に命ずれば放ち討ちという。

史実では土佐藩の君主、山内一豊公が秀吉の命で、何度も放ち討ちをしたとか。

写真は金剛山大隆寺山家廟(和霊廟)

放ち討ち0 

金剛山大隆寺の本堂横にある山家位牌堂

渡部氏は言う。
放ち討ちは宇和島藩の負の遺産、それを庶民の信仰にし、宇和島藩の人身を一つにまとめたのが村候・・・
五代藩主村候は宇和島藩中興の祖と言われる。
この負の遺産から正の遺産に変えたこと。
そのため代々の竜華山等覚寺の墓所から名前を変えて(村候の戒名)大隆寺とし、自らの墓所としたこと。
つまり怨霊を鎮めるためと言いながら、新しい宇和島藩の出発とした功績・・・

いろんな説があるが、私は渡部先生の説には大賛成である。
論文は、いずれ発表されるとのことで、この場では予告のみとなる。

放ち討ち1 

山頼和霊神社

松山大学短期大学教授の佐々木正興先生によると和霊騒動のあと、霊を和ませる神社を建立した。
その場所は5回変わっているとの研究成果・・・
この方が現在では、和霊騒動の第一の研究者である。
小さな祠からこのように江戸中期に大神社を建立したのが村候である。
敷地も現在のところで須賀川の付け替え工事があるまでは2倍ほどであった。
これも村候の宇和島藩の運営手段だったのではないか。
この時期を境にして一気に和霊信仰は広がる。

手元には渡部先生の論文があるが、発表して頂くのが待ち遠しい。

放ち討ち2
コメント
拙著「青年・松浦武四郎の四国遍路」(創風社出版刊)の54~69ページに書きました。実は、この以前にも何度か書いたことがありますが、名目は「上意討ち」とか「放し討ち」とかいわれても字句の解釈のことで、事件のおこるのをある程度秀宗が知っていた。にもかかわらず黙認(?)していた。だから、加害者を一人も咎めなかった。それでは民衆は納得しない。後に起きる加害者側と目される人々の不慮の事故を「怨念」だと民衆はささやく。これを「判官贔屓」といって日本人の特性です。天満宮信仰と同じこと。神田明神然り。とにかく人神にはこの種の神さまが多い。その一人になったのが山家清兵衛で、その悲劇は極端に大きく、その人格は極端に立派に増幅するものです。山家信仰は民衆が作り出したもので、これを宇和島の守護神のように格上げしたのは五代村候の時代。家来を神様にして、藩主が祖先してこれを崇めることの度量は治したもの。ここらを藩経営力(いまなら自治体か会社の経営力)の最たるものと捉えればどうですか?
山家の欠点といえば、改革を急ぎすぎた嫌いがあり、これが自滅を招いたとも考えられましょう。私は「政宗からの借金をあれほど過酷に返済することは一考しなければならなかった。その点、山家の施策に十分意見を述べる部下がいなかった。彼の視点が政宗側にしかなかったことが欠点といえば欠点でしょう」こういうことは現在でも能吏によくあることです。
なにはともあれ、五代村候について、もっともっと研究する若者は居ないものでしょうか?それを宇和島の方々に訴えたいのが私の気持ちです。
村候
木下博民 様
村候、先生と全く同じ意見です。宇和島藩はこの五代で確立されたと言っても過言で無いと思います。これより後の宗紀、宗城などは聡明であったけれど彼の事績の上での藩の経営だったと思います。この時代の文書は残っていると思われますので、学芸員さんたちの活躍の場ですね。
しかし、皆派手である幕末に鹿目が行かない傾向はあるようで残念です。
ウィキペディアの和霊騒動の襲撃の項目に山家一族は皆殺しにされたとありますが、17年前に以前勤めていた会社に新規入社で愛媛大学卒業の山家さん(女性)が入社しました。
お父様、井関農機にお勤めでした。記憶では、山家一族の子孫と聞いたような気がします。
皆殺しとありますが、真相はどうなのでしょう。
山家家
ホッホ 様
 実は宇和島の人たちも皆殺しされ、家は絶えてしまったと思っている人は多いのです。山家清兵衛は家が絶えるのを恐れ、仙台に長男を残して宇和島入りします。現在残っている山家家一族はこの流れです。愛媛県や宇和島市に残っている(現在はおられない)山家家は村候の時代に家を立ててもらっています。これも知らなかったことですが、奥様方の慰霊の墓が法円寺にあります。この墓のお参りをしたとき、ふと目を上げると「山家家歴代の墓」の文字が・・・和尚様にお聞きすると、家を立ててもらい、ずーっと宇和島に住んでいたが、鬼北町に移住され、現在はそこも引き払われて転居されているとのことでした。
 今でこそ、家の価値は無くなりつつありますが、お家安泰の精神はあったのですね。こんな風に発見が、楽しい毎日でしたよ。
そうですか、さすが、元館長さんベストアンサーですね。
発見という点と点が繋がって線になり色々な背景とともに真実が炙り出されるんですね。
楽しい発見の日々宝物ですね。
Web(蜘蛛の巣)
ホッホ 様
 ネットワークの強さというか、早さというか、山行から帰られたランスケさんからお見舞いのメールが・・・怪我はほぼ完治しましたのでご安心ください。ご迷惑をおかけしました。明日より活動再開です。
 点と点から面へ、そして立体へ進んでいくのが数学・・・人とのつながりは複雑ですが、多岐多様に思います。木下先生は実名でと絶えず言っておられますが、ネット社会では悪用もあるのでハンドルネームとなっています。このネット社会でどれだけ多くの人との交流ができたでしょうか?今後も増え続けると思っています。縁と言うだけで無く、末永くお付き合いしたいですね。
ネット社会は匿名で、などといううちは無責任社会を育成するだけです。ただ、匿名というやや無責任な発言形態で言動を処理される機構がネットというのならば、それはそれなりのお遊びにすぎません。私は若いときから筆名を使うことはまったくしませんでした。多くの不特定多数の方に自分の生きざまを知っていただくのに、偽名(この言葉はちょっと語弊があるかもしれませんが、受け取る側からはお遊びともひやかしとも、偽名とも受け取られるのです)では、失礼至極だと思うのです。
世の中には、自分以外に別の自分を創造して二重の生きざまをされる方もあります。例えば、軍医であり実像である森林太郎は、森鴎外という文学者を創りあげました。しかし、墓は「森林太郎」です。鴎外という雅号は、あくまでも虚像だったのでしょう。
まあ、人生一度きりですから、いろいろな人物に化けるのも楽しいことです。たとえばお芝居の役者のように。匿名とて、発言は無責任では絶対にありませんよね。
ネット社会の匿名こそ、まだ充分に社会環境に切磋されていない未熟な若者の犯罪を助長しはしないかと心配です。もっともネット社会はグローバルですから、日本的発想だけでは考えられませんが・・・・。
謎が深まる
鬼城さん怪我は治りましたか~?無理をしないでくださいよ。
私は全くの素人、読んでも「ああ、そうだったんや~」くらいの読者。宇和島騒動に限らず歴史の真実は謎だらけですね。研究する人によって異なってきますから、ますます謎が深まるばかり。だから歴史は面白いとも言えますが・・・・
ハンドルネーム
木下博民 様
記事とは関係ありませんが・・・
ネット社会は便利である以上に危険極まりありません。なりすまし、誹謗中傷、あげくには犯罪などが起こります。ブログなどでも被害があるようです。実名であればなおさら、全世界にさらされる・・・何にしても心の問題だと思います。日本だけで無く、先生が言われているようにグローバル社会への教育が必要ですね。
私は歴史やお祭りなどでは無く、この教育の分野が専門なんです。論議はいろいろとされていますが、この問題に関しては結論はでません。
 皆さんが研究されていて奥が深い話に、そうなのの連発です。私も高校の後輩に山家くんって子がいて、末裔かな~と思ったことがありました。
 怪我の回復は順調ですか?明後日、M中に午前中行くので、話題になるかも。
うれしい雨
うわつ 様
聞けば聞くほど、読めば読むほど分からなくなるのが、宇和島騒動・・・仙台騒動も同じですね。悪臣が実は良い人だったり、逆に利口だと考えられていた人が馬鹿だったりと、人によって解釈が違うのですね。たとえば実名で申し訳ないのですが、浅野内匠頭・・・かわいそうにいじめに遭ってと思う人、藩を潰したあほなとの様・・・描き方でずいぶん違います。ドラマなども脚本家次第ですね。しかし、真実はあるのですからその追究をされる人も居ます。私はその意欲に欠けますので・・・(苦笑)さて秋近し、何を撮ろうかな?
不思議なことに
吉野のくいしんぼう 様
山家さん、鬼北町に数年前まで在住されていました。現在は名古屋に転居されたとか、法円寺のご住職にお聞きしました。この方の先祖が五代村候がお家再興をさせた宇和島山家家のルーツですね。これも不思議な縁・・・元々は山形市の山家町の出ですね。この親族縁者の方々が「山家わかば会」を設立されています。御子孫の方々は全国至る所におられます。山家姓は和霊さんのルーツと言っても過言でありません。
鬼城さん、すっかり快復されたようで安心しました。
そしてこの週末から降り続いた雨で、一気に涼しくなりましたね。
もう山では、リンドウが咲き始め秋の気配でした。

以前に、お話したと思いますが、
私も東京在住の頃に山家姓の女の子をアルバイトで使っていました。
彼女は仙台伊達家をルーツとしていると聞きました。
もちろん御両親から宇和島騒動の経緯も聞いているようでした。
帰国子女の聡明なお嬢さんでしたよ。

虐殺されたり不遇な最期を迎えると、その鎮魂のために神様として祀られるのですね。
和霊様は、菅原道真や崇徳院、平将門などと同じ系譜なのでしょうか?
竜胆・・・漢字にもロマンが・・・
ランスケ 様
ご心配をおかけしました。和霊信仰は、庶民の味方という大義名分があります。菅原道真や平将門、崇徳院との大きな違いは、トップでは無く家老という職分でしょうね。そこで、より親しい和霊信仰となったのでしょう。この点などは木下先生の解釈通りです。山家姓の方は数多く居ますが、現在でも各方面でご活躍されている人が多いようですね。
竜胆、大好きな花です。咲く場所によっても種々様々な亜種が・・・南予地方の山岳信仰の篠山神社・・・家紋は笹竜胆です。
 怪我をされているのを知らずに過ごしていました。日頃よりウォーキングをされているので、本当の大事にならずにすんだのではないでしょうか。他人事ではなく、私の足は哀れなレベルなので、三日坊主にならないよう散歩を続けなければと思います。だいぶ回復されたようですが、お大事に。
痛かった!
tentijin 様
元気なのですが、医者の診断では一週間で痛みも治るとのことでした。足の腫れが引かず、昨日、病院に行ったところ内出血し、血だまりがあるのでとメスで切開・・・麻酔をかけず、血を絞り出しました。これは痛かった・・・昨日は痛くて寝るのみでした。今朝見ると腫れは引いています。今日も市立へ行き、事後処置をします。痛いのは嫌ですが・・・(泣)
大変でしたね。。。
私も側溝に気付かないまま足を取られたことあります。こけたらいけませんね。病院通いも嫌ですが、普段どおりの健脚に戻るために、我慢我慢ですね。お大事に。
長い治療
木工おじさん 様
ありがとうございます。まだ少しかかりそうです。内出血はなかなか止めることができないようです。明日、先生のご厚意で8時に最終チェックがあるようです。長時間の歩行禁止がつらいところです。
鬼城さん。
怪我されたとは、転ばれたのですか?転ぶのが、老齢者(貴方はまだお若いはずですが)は転倒が急速に人生を転換させてしまいます。
外科医は骨が折れれば人工骨に取り替えましょう、悪い箇所は切り捨てましょう、といってくれますが、人工と取り替える歯ですら、自分の歯が一番いいもので、とにかく用心してください。そういう私など、いつ転ぶかその時、その時が真剣勝負です。貴兄は良く散歩されますが、多いに結構なことですが、その時は必ず杖をもたれては今がですか。最近、山登りに若者が両手に杖を持つ人を見かけます。あれと同じでちょっとおしゃれの感覚でお持ちください。私は二度目の癌のときから、医者に厳しく言われ杖を放せなくなりました。
「老人の怪我は不注意」といわれます。とにかく用心してください。貴兄のこれからの人生はおまけではなく、大業仕上げの密度ある貴重な時間ですから。
打ち身
木下博民 様
ご心配掛けます。足は大丈夫ですからご安心ください。ブログは少々お休み状態ですが・・・(苦笑)
鬼城さん。
その後体調いかがですか?心配しています。
このブログの愛読者の皆さんは、おそらくあなたと同年齢のお仲間だと思いますが、くれぐれもお体お大切に。

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