ドクターヘリ | 鬼城

ドクターヘリ

2013.08.06.Tue.12:00
何だ!この音は・・・

西日の差す、書斎でパソコンに向かっていたら、当然大音響が頭上からした。
先日の市立宇和島病院に沈む夕陽をアップしたばかり・・・
我が家の上からほぼ並行にヘリポートに入るドクターヘリの音だった。
思わず、写真を撮ったが逆光で・・・


ドクターヘリ1

ヘリポートに入るドクターヘリ

何度も見ているが見事な着陸態勢である。
8階の通用口には控えの病院関係者が・・・
今回は人の緊急輸送では無く、医療器具か血液のようだ。

ドクターヘリ2

散歩から帰り夕食中、またもや大音響が・・・
夕方は5時半、今回は7時・・・この短時間に二度もは珍しい。

ドクターヘリ3

標識灯と吹き流しは欠かせない・・・
低空飛行で我が家の頭上を飛ぶのは、風向きで仕方が無いのかもしれない。
しかし、このような大音響は初めてであるし、正直、怖い気がした。

ドクターヘリ4

緊急用ヘリは必要

奇しくも沖縄県の米軍キャンプ・ハンセン内の山林に嘉手納基地所属の救難用ヘリコプターHH60が墜落・・・
炎上し、消火活動をしているニュースが流れている。
 沖縄では日常的なこと・・・恐怖との戦いだ。

我が家の頭上をドクターヘリが飛んだ一時間前の出来事・・・
他人事とは思えない。
炎上した恐ろしさもあるが、音の恐怖も大変なものだ。

今日は広島原爆投下の日、世界平和をささやかながら祈ろう!

ドクターヘリ5
コメント
今日も暑いですね。
八月のうだるような暑さは、きっと戦争の記憶を多くに日本人に蘇らせるのでしょうね。
戦争体験のない私にも、何がしかの追悼の想いを抱かせます。

この炎天下、沖縄で広島で長崎で、否、焦土と化した日本全国で多くの人が
生死の境を彷徨い途方に暮れていたのでしょうね。

井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」を映画化した同名の作品があります。
宮沢りえの娘と原田芳雄の父だけの、ほとんど二人芝居です。
婚期を逸した娘と父の会話のなかで、徐々に広島の被爆体験が炙り出されてきます。
そして父の大きな慈愛も。
地味な作品ですが、静かな感銘が胸に沁み入るような映画でした。

本当に国民に多くの犠牲を強いた悲惨な戦争に対して、今一度、想いを馳せたい季節ですね。
思い
ランスケ 様
猛暑日などと言う言葉はいつできたのか?子ども時代は30度まで位だったと思います。それでも終戦前、原爆投下の日は暑かったとか・・・また8月15日も・・・今年で68年目ですね。それが私の生きてきた年になります。

「父と暮らせば」見ましたよ。原田芳雄にこれだけの演技力があったのかと驚かされた英語でした。戦争の悲惨さが一番分かっている国のはずなのに・・・
 ドクターヘリだったのですか!
 妻と「今日は、ヘリがよく飛ぶね~。何か事件でも発生したのかね~。」と、のんきに話していたところでした。

 オスプレイ等のこともあり大変だと思いますが、アメリカ軍基地で働いている沖縄の方がかなり多くおられるそうです。基地移転となれば、その方々の生活はどうなるのでしょうかね。沖縄の基地問題は、「ただ県外移転すればいい」という問題だけではないように感じます。

 「日本は、唯一の被爆国だから」という言葉がこれからも使えるのでしょうか?広島・長崎・福島と悲惨な状況を体験しているのに、原発を輸出しようとしている。原発推進に向けて大きく舵を切ったように感じています。企業優先の政治は、間違いではないかと思っています。やはり、人間優先の政治でないといけないのではないでしょうか。
ヘリコプター
よくヘリコプターが飛びますね。沖縄に限らず恐怖があります。救難救助のヘリだって同じですね。
病院は町の真ん中ですから着陸に失敗したら大ごとになります。そのようなことにならないよう願いたいです。
今日は広島原爆投下の日でした。多くの犠牲で戦争が終結したということを忘れてはなりません。長崎もしかりです。合掌
無事山から帰ってきました。
今朝は8時15分に黙祷をしました。山でも、ヘリが飛んでいましたが、殆どが物資の積み卸し、ゴミの回収だと思いましたが、南岳で遭難もあったようでした。
人命救助とは言え、お家の上を音高に飛ばれると心配ですよね。
我慢も
syoryuで~す。様
一度、原点に戻り、再出発する方が良いと思います。今以上に景気を良くするとか、生活が安定するとかでは無く、昔の苦労をするつもりでやらないと駄目ですね。施政者だけで無く、国民のそれぞれが自覚しなければ・・・・
鎮魂
うわつ 様
先ほどはどうも・・・アウト話が弾んで帰宅が遅くなります。(笑い)終戦の年に生まれた我々は平和を願う最先端ですね。ドクターヘリも人を救うためであれば赦されると思います。ただ訓練とか、練習とかでは市街地を飛ぶことは困りますね。沖縄では日常茶飯事・・・大変だと改めて思いました。
楽しい山行、お帰りなさい・・・
吉野の食いしんぼう 様
お帰りなさい。山行の様子はブログで拝見させて頂きます。南岳というと北アルプス・・・穂高の手前ですね。縦走で滝谷を右に見ながら北穂へ・・・足の震えが来たことを思い出しました。山でのヘリは物資運搬か遭難ですね。一回飛べば500万とか・・・遭難保険をというのもありました。(苦笑)懐かしい思い出です。
 昨年、京都に赴き、帰りの道々、都会のビルには軒並みといっていいくらい主なビルのほとんどにヘリポートが付いていることを発見しました。であってみれば、かなり頻繁にへりが頭上を通過してもおかしくはないわけで、沖縄だけでなく、普通に日本の都会も墜落の危険はいっぱいあるのかもしれません。テレビには今日、かなりリアルな被爆後の再現をしている映画が紹介されていました。本当に体験をした方と我々の差はかなりあり、なかなか想像力でカバーできないのかもしれないと感じました。
8月6日、原爆投下、翌7日の朝日新聞に「広島を爆撃」の見出しでわずか5行の記事で伝えられたのがあの時代の国民が意識できた原爆情報です。今日では運転ミス(?)で墜落したヘリのために、同機種ヘリは原因がはっきりするまで飛行させるな、と騒ぎます。明日8日は長崎を狙った原爆の投下訓練爆弾が1個宇和島予科練に投下され、戦死17名(18名とも言われます)でたこと、ご存知ですか。この訓練に基づいて9日に長崎でした。長崎原爆では、敗戦直後に長崎に進駐したアメリカ兵が写した有名な写真があります。「亡くなった弟を背負って裸足の少年が焼き場の順番を待っている写真」。何と空しいことか。このアメリカのカメラマンも後年原爆症で亡くなりました。
井上ひさしの『父と暮らせば』は何度見にいったことか。ここで出てくる父は実際の人間ではなく、娘の幻影の人物ですから、さらに悲惨。映画では娘の恋人までと登場させていますが、やはり「娘」一人の生きざまという井上ひさしの設定が凄いですね。原爆をまともに扱った作品では「黒い雨」が凄い。映画も素晴らしい。是非この機械にご覧ください。
私は終戦日前後に「東京裁判」(丁寧に編集された記録映画です)を見ることにしています。今年は、昨日「ふるさとを失った予科練少年」を書きました。いつ発表できるか、あてもなく。
当事者
tentijin 様
便利さの追求には危険も伴うという例でしょうね。この車社会で何人の命が失われたか?緊急用のヘリも事故が無いとはいえません。運用方法を考えるのみですね。しかし、沖縄の基地は運用方法を考えようがない危険をともなっています。当事者でない私たちは、その実態はテレビや報道でしか知りようがない。さて、最善は?
良き映画
木下博民 様
旺盛な執筆力、体力的にも精神的にもお元気ですね。黒い雨、第五福竜丸、東京裁判も見ました。全てこれが現実かと思うばかり・・・しかし、経験の無い私たちがいくら言葉に出していっても空虚です。それでは何ができるか?私の仕事は教育ですから、その中で訴えていくしかない。
南海放送の伊藤ディレクターの受賞作品、第五福竜丸を扱った「X年後」を子どもたちとともに鑑賞したいですね。

話は変わりますが、「放ち討ち」という言葉をご存じですか?ネットでもあまり出てきませんが・・・
「討伐」っていうのなら、中国戦線で繰り返し体験しましたが、討伐するか、されるか、毎日は明日のない生活でしたっけ。「放し討ち」となると「囮作戦」のような感じがしますね。騙し討ちのことかな?
伊東さんの「X年後」は私も見たいですね。いつか東京で彼と会ったときこの映画が中野で上映されたので、その挨拶を兼ねて上京したといわれ、のちにこれで受賞した訳ですが。彼の「城川の作品」が8月29日10時20分から放送されると聞きましたが、ご存知ですか?
丁度、ここまで書いて、高校野球の開会式がはじまり高野連会長奥嶋氏(宇和島東高卒)の挨拶などを聞き、ふるさとを偲びました。
豊かな時代になったものですね。
木下博民 様
豊かな時代と言うより、地方の時代なんでしょうね。奥島先生のように全国的にも著名度が高い方を排出した地方・・・しかし、誰も気づかないんですね。8月29日の城川の放映、知りませんでした。早速セットしておきます。
放ち討ち(はなちうち)は秀吉が使った上意討ちの一種だとのこと。初めて聞いた言葉です。山家清兵衛は、この放ち討ちだったという説が出ています。また切腹の話も取りざたされています。しかし、闇の中・・・
放召人(はなしめしうど)を討ち取ること、とあり、放召人とは「中世、刑具を用いず、一定簿ところに放置しておくこと、またはその刑に処せられた囚人。とあります。山家清兵衛には通用しませんね。ただ、どう考えても山家は「上意討ち」、それも命じたことの証拠なるものがわからない上意討ちのようですから、陰湿そのものです。
この項で、このことを語るには不似合いですが、とにかく昔の権力者は当人が権力そのものだったのですね。秀吉然り、秀吉に愛された秀宗にそれを判断する思考は薄かったのでしょう。
政宗は良識人のようですが、初めから権力の具に使った長男秀宗への悔悟があって、山家事件で直接秀宗を罰することは出来なかった。突き詰めれば、山家事件は、伊達家安泰のための部下の犠牲、といいたいですね。
百人百説ですね・・・
木下博民 様
秀宗のことは政宗が一番心配していたこと。そのため清兵衛はお目付で、何から何まで政宗に報告していたと、もと仙台市博の佐藤館長さんが言っておられます。そのため政宗から付け届けや見舞い返し、和歌の添削など広範囲にわたり、指導の手紙が来ている。そのため秀宗は清兵衛を疎んじていたことも上意討ちの理由としています。この説は私も賛成します。すべて古文書による証拠の上の推定ですから・・・
もう一つ、私見では秀宗は甘やかされて育って、わがままだったと思います。生育歴からこれも推定できます。兎の耳にしろ、その他の和霊騒動にしろ、どれが真実か分かりません。今からも文書などは見つからないでしょう。人の口伝え、それで良いのかもしれませんね。

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