山家忌 | 鬼城

山家忌

2013.07.30.Tue.10:00
金剛山西の谷

ここには宇和島藩総奉行「山家清兵衛公」が眠る。
今日、7月29日は清兵衛公の命日・・・
近くの臨済宗妙心寺派の和尚さん方が集まり、法要を営む。

今朝、我が家の前を広報車が・・・
「今日は金剛山に於いて6時30分より山家清兵衛公の法要があります。
ご近所の皆様方、お誘いの上、ご参加ください。」といもの・・・

その効果かどうか分からないが、最近では一番の人出となった。

山家忌1

山家廟の中、線香、ローソク立て、参拝所・・・
奥の建物が山家清兵衛の五輪の塔がある墓所

山家忌2

法要

素養様方が唱えるお経・・・
今から393年前の6月の晦日(旧暦)暗殺された。

山家忌3

法要が終わり、東の谷にある金剛山大隆寺の山門をくぐる和尚様方・・・
いつもの年なら、友人の和尚も参加するのだが、10日ほど前に亡くなった。合掌!

山家忌4

本堂横にある山家清兵衛の位牌所

ここには伊達家五代村候が描いた山家清兵衛の肖像画もある。

山家忌6

本堂横には山家清兵衛事件(宇和島騒動)の屏風絵が・・・
毎年恒例になっているが、内容は難しく、読み解かねばならない。

山家忌5 
コメント
毎年行われる山家清兵衛の法要、法要が夜なのは、殺されたのが夜だからなのでしょうか?
お参りに多くの人が来て、昔は露天がずら~と並んで賑わっていたそうです。今はお参りをする人も少なくなっています。宇和島騒動の真相を書いたものはないようですね。桜田玄蕃が襲撃したと聞いていたけどそうではないらしい?桜田家の墓も同じ西の谷にありますから謎だらけです。
うわつ 様
全て謎・・・小説を始め、歌舞伎の演目や能にも取り上げられていますが、資料がないので真実は闇の中です。6月晦日の夜と期されているようですから、新暦の7月29日の夜中なんでしょうね。蒸し暑い番だったようで、蚊帳の中で微熱の清兵衛は寝ていたとされています。和霊様に本を売っています。300円・・・これは安い。(笑い)元藪氏が来年は花火をといっていましたので、お金がかかるので、それより屋台を呼ぶ方が良いのではとアドバイスしておきました。昔は「うわつさん」のところの上まで、カーバイトの明かりの屋台が並んでいましたね。
庶民の味方「山家清兵衛」伝説、大事にしたいですね。
櫻田が殺したなどと今でも思っておられるとしたら、宇和島人として寂しいことです。
もし櫻田一党が自発的にやったとしたら、いくらあの時代でもすぐ捕縛されなければなりません。しかもこの事件で誰も捕縛された記録は知りません。ただ、あまりにも惨殺だったので、庶民の「判官びいき」を避けることは出来ませんから、犯人には天罰があたったというふうに伝えられました。だが、やがては怨霊信仰が体制をしめるようになります。
私は、凄いのは5代村候だと思います。単に怨霊神であったのを宇和島の守護神にまで祀り上げたことです。村候の時代に和霊神社の現在の姿が出来たのではないでしょうか。殺させたのは藩主ということを承知で、「宇和島の守護神」にしたのは凄いことだと思います。
伝説は伝説、小説は小説でして、桜田を悪人に仕立てることはどんなものですかね。
それにしても櫻田家はお気の毒の限り。ずっと伊達家にお仕えされておられるし、明治時代、伊達家の銀行であった国立第20銀行の破綻の際には、櫻田徳親は宇和島の櫻田家の財産をすべて提供してその責めを負いました。いま、櫻田家は墓が宇和島にある程度ではないでしょうか。櫻田本家13代だった櫻田久氏からいつも聞いていました。清兵衛事件では桜田は被害者の一人かもしれません。
この事件は、清兵衛の主家第一の気持ちは誰よりも強かったのだが、「藩財政改革を急ぎすぎた」結果だったような気がします。これは何時の時代にも起きることで、「為政者が強引に事を運ぶと妙なところで失敗する」という決断と実行時期のバランスという教訓ではないでしょうか。
この事件の少し後で起こった、「吉田藩山田家老殺害未遂事件」も似たようなもので、「為政者の強引施策の失敗」と捉えると現代に通じる教訓になります。屋台の300円の伝説本入手できませんか?
諸兄のご意見を承りたいものです。
 金剛山の屏風絵は、毎年、披露されるのですか?もし、そうなら、見てみたいものですね。300円の小冊子も、購入して読んでみたくなりました。
この小冊子は和霊神社社務所発行の「和霊宮由来」でしょうか?
木下氏のご意見、まさに当を得たものと存じます。
和霊様は謎のまま・・・
木下博民 様
まずは訂正、屋台の本ではありません。Kacchan様が言われている「和霊宮由来」ですね。現在発刊されている本は全て読みましたが、一番研究され、まとめられている本は大崎タイムス発行の伊藤卓二氏の「大崎外伝 恩讐を越えて」です。全二巻で絶版、手に入らないと思います。上巻は-神になった男 山家清兵衛-」、下巻は「-寛文事件その後-」大崎山家、最上の山家家についても詳しく調べられています。しかし、宇和島騒動に関しては資料が無いことから、やはり聞き語りのようです。
家紋の不思議・・・釘抜きはいつできたのか?抱き波(五つ波は船上で考えられたのでは?)とあります。正式な家紋は「抱き沢瀉」・・・宇和島ではこの家紋は、和霊宮由来の表紙にのみあります。新しい資料が発見されない以上、それぞれの見解なんでしょうね。
tentijin 様
金剛山のふすま絵は毎年展示されています。挿絵風のこまを張ったものです。今言うところの紙芝居ですね。これも昭和の中頃のものですね。注釈の書き込みなどもあり、興味がわきますが、聞いたこともない侍の話などもあります。解読するには結構時間がかかるかも・・・冊子は和霊神社の販売所にあります。
和霊神社の見解
kacchan 様
まさに和霊宮由来ですね。これが明治以来の山家清兵衛伝説のもとです。出展などはわかりません。いわゆる勧善懲悪ですね。この由来を変えることは無いと・・・
昨年、仙台市博の佐藤元館長さんの講演がありました。その中で上意討ちは、」その通りだが、山家清兵衛は秀宗の行動を全て政宗に報告していた。政宗は信用していなかった様子がうかがえる。そのため清兵衛を疎んじていたことも原因と言われていました。これは政宗宛の文書があるんだろうと思います。無駄使い、遊興費、過分な見舞い等々・・・
 知らないことの多さをつくづく感じさせられます。多くの和尚様にお経をあげてもらう、山家清兵衛様、色々な事情があれ、成仏されている名だろうなと、低次元な思いを持ちました。
 
 kacchan 様

 やはり同じ町内。でも、まず殆どお会いしませんね~。昔、アマチュア無線に凝ってた頃、愛治の友人と「お腹の塩もみの効果が出ない話」をしていてkacchan 様に全部聞こえていて、大笑いしたことを思い出しました~。、

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